なんとなくな日々

SL残日録(個人的なメモ帳)

鈍々楽

2009年03月02日 23時59分51秒 | 本・雑誌
・「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」城山三郎 2009/1 読了 ☆☆☆☆
今日のために、今日がある――。晩年を迎えるすべての読者に勇気を与える一冊。
今まであれこれ苦労し、やってきた。もうこれからは、鈍々楽で生きよう……。亡き妻を回想する「そうか、もう君はいないのか」を執筆しつつ、著者は孤愁の日々を手帳に記した。老いを見つめる眼、限られた命の自覚、やわらかな軽みの境地。最愛の妻が倒れる前年から、自身が世を去る三ヶ月前まで、九年間に綴られた感動の記録。(出版社)

遺族が出版をためらいながらも出しただけに、ある程度編集カットされているかもしれないがその肉声の妻への想いや孤独感は痛々しい。それにしても70歳最すぎても執筆意欲が衰えないのには敬服する。

文中に出てきた城山氏のモットー、指針など
「失敗は次への一歩にすぎない」
「横着に、気の向くままに、のんびりと」
「これからは、あすはあす たのしむはいま まあいいじゃないか まあまあでいい」
「楽楽鈍」(楽在正論の楽、筋を通す。「世語は欣ばず。楽しみは正論にあり」。世間が何を言おうと一切気にしない、自分の楽しみは正しい論にある、ということ。さらに鈍、鈍、楽へ行くと、どんどん楽にもなる。楽楽鈍、鈍鈍楽!)「楽しむことを優先すべし」
「眼前のみこそ人生、楽々鈍で!」「眼前これ人生 眼前のみこれ人生」
「興味最優先、人生見物で生きよう!大いに義理欠き、恥かいて。」
「静かに行くものは健やかに行く、健やかに行くものは遠くまで行く。」

・「ちくま日本文学 尾崎翠」2007/11 読む

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