「風山房風呂焚き唄」山田風太郎 2008/12 読了 ☆☆☆☆☆
この人の小説をほとんど読んだことないが、「人間臨終図巻Ⅰ・Ⅱ」や昭和17年からの一連の日記シリーズを読んでいっきに好きな作家のひとりになった山田風太郎。このエッセイ集もそのものの見方、考えは大いに共鳴する。
葬式は無用ながら骨箱をそこらに散らかしておいてはめざわりで、どこかに始末する必要があるから墓は要るが、院号は寺からもらう必要はない本名だけで結構と語る。
墓には「山の上には風吹くばかり」と刻ませる、と。(1975年53歳のときのエッセイでこう書いていた。ただ、2001年79歳で亡くなった時には生前に戒名を「風々院風々風々居士」と自ら定め、墓石には「風ノ墓」と刻まれているらしい)
この人の小説をほとんど読んだことないが、「人間臨終図巻Ⅰ・Ⅱ」や昭和17年からの一連の日記シリーズを読んでいっきに好きな作家のひとりになった山田風太郎。このエッセイ集もそのものの見方、考えは大いに共鳴する。
葬式は無用ながら骨箱をそこらに散らかしておいてはめざわりで、どこかに始末する必要があるから墓は要るが、院号は寺からもらう必要はない本名だけで結構と語る。
墓には「山の上には風吹くばかり」と刻ませる、と。(1975年53歳のときのエッセイでこう書いていた。ただ、2001年79歳で亡くなった時には生前に戒名を「風々院風々風々居士」と自ら定め、墓石には「風ノ墓」と刻まれているらしい)