太宰治の残り4作 読了 短編4作を含む「人間失格」金の星社1982/1 文句なく5つ☆
①「津軽平野」: 1944年長編「津軽」の一章
「兄弟の間では、どの程度に礼儀を保ち、またどれくらゐ打ち解けて無遠慮にしたらいいものか、私にはまだよくわかつてゐない」(本分より)
旅行本で紹介される津軽に比べそこで育った作家が記述する津軽は全く別物だった。津軽への愛着が感じられ一度訪れたい気にさせられた。
②「赤い太鼓」:1945年『新釈諸国噺』の中の一編。「人の世話をするなら、そ知らぬふりしてあっさりやったらよかろう」(本分より)人の微妙な心理をえがく。
③「薄明」 :1946年。太宰の妻の実家の甲府へ疎開して空襲にあったときの体験を基にしている。主人公がとても子供のことを心配し、周囲の人々に気をつかっているのがよくわかる。
④「人間失格」1948年雑誌「展望」に発表。2,3回は死後発表。
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。(本分より)
太宰の作品は作者の生活と書かれた激動の時代のなかで生まれたことがよくわかり
、作者の生き方が読み取れる。また、太宰が、ひとを憂える、ひとのさびしさ、わびしさ、つらさに敏感な心の優しい人間であったことを知る。
漱石を読んだときも感じたが、この頃使われた語句が今ではあまりみられなくなったのは寂しい。日本語をもっと大切にしてほしいものだ。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」(本分より)
図書で2冊借りる。おもいがけもなくグレッグ・レッカの本が海外本コーナーに並んでいた。本当に読みたい本がなくてやむなく借りる日と違い今日の収穫は吉。
「わが手に雨を」グレッグ・レッカ
「雲雀の巣を捜した日」車谷長吉
①「津軽平野」: 1944年長編「津軽」の一章
「兄弟の間では、どの程度に礼儀を保ち、またどれくらゐ打ち解けて無遠慮にしたらいいものか、私にはまだよくわかつてゐない」(本分より)
旅行本で紹介される津軽に比べそこで育った作家が記述する津軽は全く別物だった。津軽への愛着が感じられ一度訪れたい気にさせられた。
②「赤い太鼓」:1945年『新釈諸国噺』の中の一編。「人の世話をするなら、そ知らぬふりしてあっさりやったらよかろう」(本分より)人の微妙な心理をえがく。
③「薄明」 :1946年。太宰の妻の実家の甲府へ疎開して空襲にあったときの体験を基にしている。主人公がとても子供のことを心配し、周囲の人々に気をつかっているのがよくわかる。
④「人間失格」1948年雑誌「展望」に発表。2,3回は死後発表。
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。(本分より)
太宰の作品は作者の生活と書かれた激動の時代のなかで生まれたことがよくわかり
、作者の生き方が読み取れる。また、太宰が、ひとを憂える、ひとのさびしさ、わびしさ、つらさに敏感な心の優しい人間であったことを知る。
漱石を読んだときも感じたが、この頃使われた語句が今ではあまりみられなくなったのは寂しい。日本語をもっと大切にしてほしいものだ。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」(本分より)
図書で2冊借りる。おもいがけもなくグレッグ・レッカの本が海外本コーナーに並んでいた。本当に読みたい本がなくてやむなく借りる日と違い今日の収穫は吉。
「わが手に雨を」グレッグ・レッカ
「雲雀の巣を捜した日」車谷長吉