オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

下野国・古城の旅 平将門の乱を平定した藤原秀郷の唐沢山城

2015年06月01日 | 栃木
平安時代に平将門が起こした天慶の乱を平定した藤原秀郷が下野・武蔵を拝領、下野の唐沢山に築いたのが唐沢山城です。
川越城(旧名・河越城。埼玉県川越市)、忍城(埼玉県行田市)、前橋城(旧名・厩橋城。群馬県前橋市)、金山城(群馬県大田市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)、多気城(茨城県つくば市)あるいは太田城(茨城県常陸太田市)とならび関東七名城といわれています。
関東七名城は近年観光立地を目指して選定された日本100名城とは異なり、これらの城が現役だった時代に自然発生的に称されたもののような気がします。なぜかというと、金山城や唐沢山城は確かに今でも名城といえますが、宇都宮城や前橋城はあまり残っているものが少なく今日の基準ではとても名城とはいえないと思うからです。関東七名城のうち日本100名城に入っているのは川越城と金山城で、唐沢山城は意外にも選外です。


唐沢山城は栃木県佐野市にある典型的な中世の山城で、藤原秀郷の子孫が佐野氏として城主を努め江戸時代初期に断絶、廃城となるまで続きました。
唐沢山城へは徒歩の場合は東武佐野線・田沼駅から40分くらいかかかるので、今回私は車を使っての城攻めとなりました。

田沼駅から唐沢山城への道は関東ふれあいの道の一部となっています。

唐沢山レストハウス。わりと広い駐車場はあります。

レストハウス周辺には野良猫がたくさんいました。ざっと10匹見かけたので全体では数十匹いると思われます。

食いちがい虎口。城門付近がクランク状に曲がって造られています。

桝形の近くの天狗岩





天狗岩の上からは佐野市の市街地を眺望できます。往時は物見として使われたようです。

唐沢山荘

城跡は現在は唐沢山神社となっています。

八大龍王神


大炊の井。唐沢山は水は豊富だったようです。

神橋

神橋の下の四つ目堀


和合稲荷神社


桜の馬場


唐沢山神社。唐沢山城の本丸跡に神社はあります。

神社の社務所


本丸下の石垣

佐野の地酒の献酒


本丸跡の神社拝殿


本丸の石垣。1メートル以上の大石が一つだけあり目を引きます。


二の丸の虎口

武者詰跡

お花畑跡。薬草の畑があったそうです。

金の丸跡の金の丸ロッジ。金の丸には金蔵がありました。



北城。姫御殿がありました。今は青年の家となっていますが、営業はしていないようです。

唐沢山城キャンプ場

本丸下の車井戸



三の丸跡

水琴窟

唐沢山城のポスター。前述したように唐沢山城は日本100名城には入っていません。栃木県では足利氏館がただ一つ選に入っています。
私は日本100名城の選定基準についてやや違和感をもっています。こういった選定は、芥川賞・直木賞、レコード大賞、アカデミー賞などもそうですが、厳正なる基準なんてあるはずがない。なんらかの違和感は付き物だとは思っていますが、あえて一言。
足利氏館は中世の館であって城とはいえないのでは。ただし城とはなにかという定義もありませんが。
私は100名城の中の足利氏館や多賀城、吉野ケ里、沖縄の城郭、北海道・根室のアイヌの城砦は日本の城郭史の中では別物だと思うので除外すべきと思っています。100名城はうまく各県のバランスをとっているのも特徴ですが、栃木県の足利氏館を除外すると栃木県はゼロになるので、是非唐沢山城を加えるべしと思っています。










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