オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

四国・古城の旅 国重要文化財、現存12天守の宇和島城

2019年01月08日 | 四国
宿泊したJR宇和島クレメントホテル駅商店街朝の改札口駅のホーム駅前駅周辺は江戸時代は海でした。その名残で、駅前は暗渠になっています。
宇和島は闘牛が有名です。「鉄道唱歌」を作詞した大和田建樹の記念事業、宇和島鉄道で使用されたコッペル社製SL(レプリカ)。宇和島鉄道は1914年に宇和島・近永間で軽便鉄道として開業、1933年に国鉄となります。現在のJR予土線です。天守風看板闘牛の看板。闘牛は年5回開催、1月は2日に開催されました。桑折氏長屋門井戸丸矢倉跡二之門跡現存12天守に入館します。天守模型12天守の写真パネル甲冑レプリカ。左は豊臣秀吉、中央は伊達秀宗、右は伊達政宗万延元年に作られた天守模型左は7代藩主伊達宗紀、右は幕末四賢侯の一人8代宗城(宗城は宗紀の養子)。宇和島藩主はわずか8人で幕末まで継承されました。1人平均在位30年くらいです。
東京・文京区の護国寺に伊達宗敦の墓があります。宗敦は宗城の次男で仙台伊達家の養子となりましたが、戊辰戦争後は養父で13代伊達藩主の慶邦とともに謹慎、廃嫡となりました。伊達家を継いだ幼少の宗基に代わり宗敦が藩知事を務め、のちに男爵、貴族院議員になりました。宇和島伊達家と仙台伊達家の間では嫁取り、婿養子取りの相互交流が盛んだったようです。

天守最上階天守からの海側展望山側の眺望小笠原流鏡餅黒門櫓の古写真
宇和島城は1596年に宇和郡領主となった藤堂高虎が宇和海に面する丘陵に築城しました。関ヶ原の戦いの後、戦功により高虎は今治も所領に加えられて本拠を今治城へ移します。宇和島城、今治城、のちに築城した津城も築城名人・高虎が縄張りをした水城です。日本百名城の認定証二之丸宇和島をあとにして次は大洲へ向かいます。


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