オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

小田原・邸園の旅 黒田長成の清閑亭、松永安左ヱ門の老欅荘

2017年05月29日 | 神奈川

筑前福岡藩黒田家13代当主黒田長成の別邸・清閑亭





2階
2階から見た庭

次に松永安左ヱ門の邸宅・老欅荘へ向かいましたが、道がわかりません。かなり迷いました。

小田原競輪場。小田原城の八幡山古郭があった丘陵地帯には競輪場、中学、高校、陸上競技場のほか一帯は住宅地となっています。

戊辰戦争で小田原を戦乱から救った小田原藩士・中垣謙斎の記念碑




小田原藩初代藩主大久保忠世と小田原藩中興の祖・11代忠真を祀る大久保神社

競輪場のバンク

空堀・土塁が残る小峯大堀切




大倉財閥の創始者・大倉喜八郎の別邸・山月。現在は閉鎖されています。大倉財閥をルーツとする企業は大成建設、ホテルオークラなどがあります。



香林寺

やっと松永記念館老欅荘にたどりつきました。小峯大堀切を見ながら老欅荘へ来たので随分遠回りをし道に迷いました。小田原中心部からは旧東海道沿いに歩くか、登山鉄道の板橋駅からくるのが正解です。
庭園

下り龍


老欅荘の入口
九重塔


記念館

手水鉢
記念館入口


松永安左ヱ門銅像。松永は大正・昭和に活躍した経済人で、電鉄会社や東邦電力、旧東京電力などの電力会社を経営、戦後は9電力体制の確立に貢献し、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれました。晩年は小田原に老欅荘をつくって老後を過ごしました。

小田原用水


旧東海道沿いの内野邸
下田豆腐店
西洋館風の民家

松木駅長殉職碑。「昭和16年7月23日暴風雨の夜、松本駅長は当小田原駅付近の支障現場を再三巡察中烈風豪雨の暗夜とて不幸足を取られて陸橋下に墜落重傷を負い、ついに再起されなかったのです」と書かれています。菊池寛の書です。




小田原高校の碑。この場所に明治期に小田原高校がありましたが、1920年小田原駅の建設のため移転しました。東海道線は国府津からは御殿場経由だったので、小田原駅の開業は大正時代になりました。
今回、黒田長成の清閑亭、松永安左ヱ門の老欅荘を訪ねましたが、山縣有朋の古稀庵は日曜のみ公開なのでまたの機会とします。旧田中光顕邸(現小田原文学館・北原白秋童謡館)は10年ほど前に一度訪問しています。












































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