オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

2020桜の旅 文京区、清和公園と播磨坂の河津桜

2020年02月21日 | 東京
本日は文京区内の河津桜を見て歩きます。春日町交差点の文京区民センター、その右は尚美ミュージックカレッジ左は文京シビックセンター、文京区役所です。右は再開発で建設中のビル。区民センター脇の道清和公園の河津桜公園の広場清和公園は本郷台地の端っこの斜面を生かしてつくられています。この一帯は右京山という名前です。江戸時代後期に高崎藩松平右京亮の中屋敷がありました。区民センター、尚美専門学校の場所も松平家の屋敷跡です。明治時代には陸軍用地となり、そのあと東京市の所有となり、清和寮という名前の独身寮がつくられました。寮の名前から清和公園という名前になりました。台地の道路白山通り小石川岡埜栄泉東横イン東横イン裏の堀坂堀内蔵助という旗本の屋敷がありました。マンション建設反対のポスター伝通院の山門処静院跡の石柱の説明。伝通院山門内にあった塔頭、処静院に清河八郎、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らが浪士隊を結成し中山道を京都へ向かいました。処静院の住職、琳瑞は公武合体派の僧侶で、近くの三百坂で暗殺されました。新徴組の説明伝通院本堂案内図。境内の墓地には於大の方、千姫のほか徳川関係者、清河八郎、詩人の佐藤春夫、「眠狂四郎」の柴田錬三郎などの墓があります。本日は清河八郎の墓だけを紹介します。
2016年5月に伝通院を訪れた時のページはこちら
山門横のウメ
善光寺坂のムクノキ沢蔵司稲荷伝通院の修行僧、沢蔵司は伝通院を守護する神になりました。沢蔵司は門前のそば屋によくそばを食べに来たそうです。本堂手水舎沢蔵司稲荷は稲荷とはいうが神社ではなく慈眼院というお寺です。
浪士隊のメンバーが伝通院に集合したときのこと、沢蔵司の話は村松友視の「土方歳三への旅」が面白いです。土方の足取りを追って日野、伝通院、中山道、京都、伏見、大坂、江戸、流山、会津、宮古、函館と取材をして歩きます。伝通院の取材のあとで近くの幸田文の家に立ち寄り、そば屋ではそばを食べます。善光寺信州善光寺月参堂六地蔵イチョウ善光寺の塀善光寺坂沢蔵司稲荷前東京学芸大学付属竹早高校の東門北門三百坂。竹早高校やエーザイのあたりに松平播磨守の屋敷がありました。播磨守は登城の時この坂で新参の家臣を待ち、遅れた家臣には300文の罰金を課したことから三百坂と言われたそうです。竹早幼稚園の門三百坂の坂下エーザイ本社エーザイ小石川ナレッジセンターエーザイ近くのクリニックの桜播磨坂播磨坂の河津桜。河津桜は1本だけです。河津桜はチャイルドブック社の前にあります。中勢以。有名店です。たまたまハンバーグを販売していました。



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