美濃国・古城の旅 金山城へ向かうも急な雷雨でリタイヤ 2019年09月04日 | 愛知・岐阜 岐阜県・多治見駅改札口駅コンコース陶壁「ひびきあう声」加藤幸兵衛作JR太多線・可児駅名鉄広見線・新可児駅名鉄改札口可児駅前の可児市施設犬山方向への電車 新可児駅で御嵩行きの列車を待っていると急に雲行きが怪しくなり雷雨。スマホで雨雲の様子を確認すると、三重県から岐阜県にかけて雷雲が発生中です。悪天候で目的地に向かうのは無謀と思い、予定を変更、岐阜市へ向かいます。 名鉄広見線は犬山と御嵩を結ぶ路線ですが、新可児でスイッチバックをします。しかも新可児以西は電化、以東は非電化。そもそも直通運転はありません。可児市は名古屋のベッドタウンのため、新可児以西は通勤路線ですが、可児以東は超ローカル線ですね。JR跨線橋から撮影左はJR太多線・多治見行きの電車、赤い電車は名鉄広見線の犬山行きの電車、その右奥の赤い車両は乗るはずだった御嵩行きです。岐阜駅前の広場。黄金の信長像。2009年にできました。岐阜駅のテラス屋根。来年の大河ドラマは「麒麟がくる」です。岐阜や大津、福知山は盛り上がるでしょうね。ラッピングバス駅前の繊維街岐阜駅名鉄岐阜駅名鉄岐阜駅改札口 明日は長良川鉄道で郡上八幡へ行きます。
古戦場の旅 武田騎馬隊が壊滅した設楽原決戦場 2017年07月25日 | 愛知・岐阜 豊橋駅のホーム。左の3番線は名鉄名古屋線、右の2番線はJR飯田線のホームです。 飯田線の電車で三河東郷駅へ向かいます。 三河東郷駅 駅舎内に設楽原歴史資料館への案内図がありました。 三河東郷駅の駅舎。無人駅です。私は2014年秋に長篠城へ行きました。その際に設楽原へも寄りたかったのですが、電車の都合で断念しました。今回は設楽原決戦場を探索します。 駅前の勝楽寺。設楽原戦没者霊場の石碑があります。 駅前の案内図 山縣塚の入口 山縣(山形)という地名が残っています。 山縣塚 左は設楽原で戦死した武田の武将、山縣昌景の碑 左は山縣昌次、従士名取道忠、右は高坂助宣の碑徳川軍の陣、弾正山 小幡塚 井伊家の赤備えは有名ですが、もとは武田の戦装束です。小幡氏は上州国峰城の城主。国峰城は富岡製糸場の近くです。小幡信貞の碑。小幡信貞が設楽原で戦死したかどうか史実は不明のようです。 鉄砲隊 火おんどり 設楽原歴史資料館入口 幕末の外国奉行、岩瀬忠震の銅像 資料館内部 資料館内は設楽原の戦い、火縄銃・鉄砲の歴史、岩瀬忠震の足跡を展示しています。 日本最古の火縄銃、信玄砲 近くの野田城の模型。飯田線の途中に野田城という駅があります。 風林火山 信玄台地の上に資料館があります。 山岡荘八書の「長篠役設楽原決戦場」。我々の世代の教科書では「長篠の戦い」となっていましたが、最近は織田・武田の決戦は「設楽原の戦い」といわれるようになりました。山岡荘八の書は「長篠城を争奪する戦い全体が長篠役、両軍が決戦を行ったのは設楽原」という意味ですね。納得です。山岡荘八は「徳川家康」で有名ですが、武田信玄・勝頼を主人公とした小説は手がけていないと思います。 設楽原の戦いで死んだ武田軍武将の碑。左上から真田信綱・昌輝兄弟(昌幸の兄)、馬場信房(信春)、内藤昌豊、左下から山縣昌景、原昌胤、土屋昌次。真田昌輝以外は「武田二十四将」(昌輝も二十四将という説もあるようです)。大筒 馬上筒 岩瀬忠震のコーナー。忠震は設楽家に生まれ、岩瀬家の養子となり、幕末期に外国奉行として活躍しました。設楽家、岩瀬家はともに設楽原周辺を領地としていましたが、忠震はこの地に住んだことはないようです。 岩瀬忠震の陶像 黒澤明監督の映画「影武者」のコーナー 資料館の屋上は展望台になっています。織田軍が布陣した茶臼山、激戦地・丸山の方角 徳川軍が布陣した弾正山の方角大鉄砲名古屋城の模型資料館内のポスター 地元で発掘された土器 資料館の外観 信玄塚。武田軍の将兵を弔った塚です。信玄の塚ではなく、武田軍の塚です。武田=信玄という見方なのでしょう。 えんま堂いろはかるた 「火おんどり」は武田軍の将兵を弔う祭りです。首洗池 竹広激戦地 両軍が対峙した連吾川。武田の騎馬隊が川を渡り突撃しました。 「長篠役設楽原決戦場」の石碑。山岡荘八の書です。 連吾川の対岸は武田軍が布陣した信玄台地
美濃・古城の旅 眼下に木曽川、中山道の押さえの苗木城 2017年04月06日 | 愛知・岐阜 旅の3日目、恵那から中津川へと向かいます。 恵那の中心地の木造教会 中山道広重美術館 中山道 明治天皇行在所 庄屋古山家 史跡大井宿本陣跡 延寿院横薬師 高札場 五妙坂 下問屋場跡 庄屋古屋家 市神神社 白木番所 中津川駅に到着。妻籠・馬籠へ向かう外国人観光客が大勢いました。 中津川駅からバスに乗り、バス停・苗木で下車しました。 苗木城入口 足軽長屋跡 遠山家の祈祷所、竜王院跡 本丸が見えてきました。 風吹門跡 駈門跡 大門跡 御朱印蔵跡 綿蔵門跡 坂下門跡 菱櫓門跡 本丸口門跡 千石井戸 本丸口門跡 武器蔵跡 具足蔵跡 玄関口門跡 本丸玄関跡 恵那山(標高2191m)と木曽川 木曽川 本丸跡 大矢倉跡 本丸下の馬洗岩 大矢倉 大矢倉上部 苗木遠山史料館 苗木城のジオラマ 天空の城ブームで苗木城も観光客は増加中です。 本物の風吹門 永寿寺 城下町の蔵 明治期の遠山家屋敷。遠山家は鎌倉時代の加藤氏改め遠山氏に始まり、宗家の岩村遠山氏は武田軍の秋山信友によって滅亡されましたが、苗木遠山氏は幕末まで続きました。 見返り松 バス停近くの食堂 中津川駅 栗きんとん発祥の地の記念碑 明知鉄道恵那駅
美濃の旅 歴史的建築物と非歴史的建築物の日本大正村 2017年04月05日 | 愛知・岐阜 大正ロマン館栃錦像高峰三枝子像 大正ロマン館の展示は大正村初代議長・春日野清隆(横綱栃錦)と初代村長・高峰三枝子の記念の品物がメインです。高峰三枝子が乗っていた日産プレジデントの実車も展示。大正時代の展示物はアコーディオンだけです。 出身地でない場所に記念館をつくるのは、小樽の石原裕次郎記念館の例もあるのでダメとはいえないが、なぜこの場所に栃錦や高峰三枝子なのか。栃錦や高峰三枝子のゆかりの品物を展示するなら堂々と栃錦記念館、高峰三枝子記念館と名乗ればいい。大正ロマン館の名前で大正時代ではないものをテーマ無視で展示するのはどうかと思います。 絵画館 大正村役場(旧明智町役場) 時計店 十六銀行明知支店 通信資料館(旧郵便局) 大正村資料館。橋本家は庄屋、豪商で、金融業も兼ねていました。銀行蔵とは繭を貯蔵した蔵です。 郷土玩具展教科書展 永田和之氏の蓄音機コレクション レコード針 新聞・雑誌のメディア展。昭和の品物も含まれているが、貴重な展示物です。 旧橋本医院。橋本家はもとは庄屋、米穀商でしたが、3代目は医師で診療所を開業していたそうです。資料館の係の人は「昔私も通院しました」と話してました。 喫茶コーナー喫茶店 天久資料館。この建物は大阪で営業していたスナックを移築したそうです。 浅井俊雄氏の建築模型を展示 フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテルの模型を展示。これはいいものを見学できました。玄関ロビーの部分だけは明治村に移築されましたが、大部分は解体されました。ライトの帝国ホテルの全体像を知る上では貴重な模型です。素人にはありがたい。 辰野金吾設計の東京駅 門司港駅 河村伊蔵設計の豊橋ハリストス正教会 鈴木禎次設計の岡崎銀行本店(現岡崎信用金庫資料館) 鈴木禎次設計の共同火災保険名古屋支店 鈴木禎次はほかに上野松坂屋、旧横浜松坂屋も設計した建築家です。 ジョサイア・コンドル設計の六華苑(桑名市) 岡崎市郷土館 山田七五郎設計の森田銀行(福井県坂井市) 岡田信一郎設計の大阪市中央公会堂 模型製作者・浅井俊雄氏の略歴紹介。私は不器用で模型製作とはまるで無縁ですが、完成した模型には大いに興味があります。そういう意味での模型マニアといえます。 真空管ラジオと真空管 蓄音機 1階の喫茶コーナー蓄音機 明治期の明智村役場、その後は八光館(製糸工場)の事務所として使用されました。明智村は明治・大正・昭和と生糸で大いに賑わいました。 まちなかの公衆便所 大正ロマン亭。100%商業施設です。 明知鉄道 車庫 明智町の大正村は大正ロマン館の大減点はありましたが、大正資料館、天久資料館の展示物はプラス評価、町並みも素晴らしく、私は大いに満足しました。
美濃・古城の旅 信濃への備え、遠山氏の山城、明知城 2017年04月05日 | 愛知・岐阜 再び明知鉄道に乗り、終着駅の明智駅へ向かいます。 明智駅の内部。鉄道会社の名前は明知鉄道ですが、駅名は明智です。 明智駅の正面 明智光秀の出身地は現在も定かではないですが、同じ岐阜県の可児市の明智城ほうが有力のようです。 恵那市商工会館 明智町の中心部を流れる明智川 正面が明智西宮恵美須神社、左手の石段が八王子神社の石段 恵美須神社 八王子神社 大正期の建物が残る保母歯科医院 大正村のメインストリート 途中で見かけた売り物件 おかげさま地蔵 明智光秀の墓 明智遠山氏の菩提寺、龍護寺 龍護寺の本堂 達磨堂内部 遠山氏累代の墓 明知城への道 大手道 曲輪 大手門東砦 枡形 畝堀曲輪畝状空堀跡三の丸堀切石垣跡本丸。標高は530m 本丸 虎口 二の丸 腰曲輪 出丸跡 猿戻しの断崖 代官所明智陣屋跡