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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

信州・鉄旅(3)しなの鉄道、上田電鉄に乗る

2014年09月06日 | 長野


上田電鉄の上田駅です。駅には真田家の六文銭の旗。

2016年NHK大河ドラマ「真田丸」のポスターです。再来年の放映ですが、すでに地元は盛り上がっています。

上田電鉄別所線の電車がきました。

途中駅で見かけた別のカラーの電車です。

大学前という名の駅がありました。家へ帰ってから調べると長野大学です。長野大学は公設民営の大学の草分けだそうです。公設民営とは、土地建物は公有で、運営は民間という方式です。大学前駅とその手前の駅周辺には学生用のアパート・マンションがけっこうありました。大学前駅の先はほぼ皆無です。学生はやはり大学の先には住まないのです。

別所温泉駅に着きました。

日帰り入浴専門の「あいそめの湯」で入浴。いい湯でした。料金は500円。

別所温泉駅です。

駅の裏手に旧型の車両。


別所温泉周辺は「信州の鎌倉」というそうです。北向観音をはじめ神社仏閣が多いので、地元ではそのように言われたそうです。そういえば私が昔住んでいた浦和も「北の鎌倉」と自称していました。

別所温泉駅の内部です。レトロな雰囲気です。

ホームではサルビアが満開。やっぱり高地ですね。

雨雲に包まれた山並み。

上田駅では観光列車「ろくもん」が停車していました。水戸岡鋭治氏のデザインです。JR九州の観光列車は有名ですが、しなの鉄道にもこういう列車があるのは知りませんでした。軽井沢・長野間の運転で、列車内で豪華な食事を楽しめます。

上田駅で見かけた旧特急あさまのクハ189-510の車両。停まっているのを近くで見るとけっこう塗装は劣化しています。

浅間山です。

軽井沢からはバスで横川へ向かいます。

信越線の終着駅、横川駅です。釜飯のおぎのやは営業時間を過ぎていました。

湘南カラーの電車で高崎へと向かい東京へ戻ってきました。
1泊2日の信州鉄旅、十分に楽しめました。







信州・鉄旅(2)篠ノ井線と長野電鉄に乗る

2014年09月05日 | 長野
信州の旅2日目です。温泉街はどこもそうですが、上諏訪も寂れています。

温泉街のヌード劇場は営業していないようです。

こちらは温泉旅館の売り物件です。

上諏訪駅。上野駅に似ていますね。

駅の軒下には御柱祭御用の注連縄。

駅構内には足湯があります。「一駅一名物 駅露天風呂」と書いてました。

絶景で有名な姥捨駅。

長野駅は工事中です。北陸新幹線延伸に関連した工事でしょうか。

北陸新幹線E-7系車両の看板。

長野電鉄の長野駅は地方鉄道では珍しい地下駅です。善光寺下駅までは地下鉄です。

写真左は旧小田急ロマンスカーの特急の車両。各停の電車が先発するので小布施まで各停に乗りました。

もう一つ特急は旧成田エクスプレスの車両。長野電鉄では「スノーモンキー」という名前です。

長野電鉄の車庫にはもう1編成の成田エクスプレスが。両隣は旧日比谷線の車両のようです。

小布施駅舎の裏側(ホーム側)。数年前に小布施は散策したので今回は途中下車しませんでした。

長野電鉄の古い車両です。

北信五岳の案内板。北信五岳とは斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱です。五岳のうち妙高だけが百名山ですね。この日は曇って何も見えません。

小布施からは旧小田急ロマンスカーの特急に乗りました。特急料金は全区間100円均一です。


シートはロマンスカーのままですが、リクライニングはできません。シートを倒すボタンが外されていました。

1988年ブルーリボン賞受賞です。今から26年前ですから、かなりの年代物ですね。

終点の湯田中駅に到着しました。大雨です。温泉街の散策は諦めてそのまま引き返しました。

旅を終えて自宅に帰ってから知ったのですが、長野電鉄には今回乗った長野・湯田中間の長野線のほかにもう1本、屋代線という須坂・松代・屋代を結ぶ路線が2012年4月まであったそうです。なんと2年前です。残念ですね。その電車に乗って松代へ行きたかった。
私は今のように鉄道で旅をするようになる前は、もっぱら車で出かけていました。車で関東甲信越を中心にいろんな都市に行きましたが、車で行くと裏口からその町へ入るような気がします。逆に電車で行き駅を降りて城郭や寺社、美術館などの目的地へと歩いていくと表玄関から入ったという気分になります。駅で観光マップを手に入れ、駅前の大きな案内地図を見て、情報を仕入れてから歩き始める。町を歩いていくうちに徐々にその町の成り立ち、歴史的な背景などが分かってくるのは楽しいですね。
松代城址へは表玄関から行きたかった。鉄道は廃止になったが松代駅の駅舎はまだそのまま残っているそうです。

信州・鉄旅(1)飯田線に乗り、豊橋から岡谷へ

2014年09月04日 | 長野
2014年夏季の青春18きっぷ、第4回・第5回の鉄旅は飯田線、篠ノ井線、長野電鉄、しなの鉄道、上田電鉄に乗る1泊2日信州縦断の旅です。しなの鉄道の軽井沢・小諸間以外はすべて初乗車の区間です。

東海道線を乗り継ぎ豊橋に到着。豊橋駅はJR、名鉄、豊橋鉄道の共同駅で、ホームで電車を観察しているとなかなか楽しいです。

豊橋駅の駅ビルは思っていたより立派です。ホテルとショッピングセンターが入っています。

豊橋駅に隣接する新豊橋駅。こちらは豊橋鉄道の駅です。

豊橋鉄道の渥美線の電車です。豊橋駅と新豊橋駅は駅舎は別ですが、平面でつながっていてほとんど一体化しています。

1番線には飯田線・豊川行の電車が入線。豊川稲荷には飯田線の豊川駅と名鉄の豊川稲荷駅の2つの駅があります。豊川稲荷名物のいなり寿司は豊橋駅でも販売しています。

3番線は名鉄の快特、新鵜沼行の電車です。成田エクスプレスに似たデザインですね。

2番線に天竜峡行の電車が入線。いよいよ飯田線の旅の始まりです。

途中の中部天竜駅。停車時間が10分ほどあったので、改札を通過して表側から駅舎を撮影しました。

平岡駅で上りの特急伊那路の通過待ちでした。

天竜川の渓谷です。

天竜峡駅で岡部行の電車に乗り継ぎました。乗り継ぎの時間が2分しかなかたったので、きっちり写真を撮れませんでした。

1日目は電車に乗りっぱなしでした。飯田線は豊橋から天竜峡までは渓谷沿いに走行し秘境線といった趣がありますが、天竜峡から先は普通の地方都市間路線ですね。けっこう通勤・通学客で混み合っています。
豊橋駅は面白かった。豊橋鉄道と名鉄はぜひ乗りつぶしたい。
最近、所澤秀樹氏の「鉄道会社はややこしい」(光文社新書)を読みましたが、その本では相互直通運転のこと、共用線路のこと、共同使用駅のことが詳しく書かれていました。豊橋駅は氏の本でも何度か紹介されていました。
この日は上諏訪温泉のビジネスホテルに宿泊。ビジネスホテルでも温泉大浴場があって満足でした。



信州・鉄旅 松本電鉄上高地線の終着駅・新島々へ

2014年08月04日 | 長野
青春18きっぷ第2回は信州・松本電鉄上高地線の新島々へ行きました。
松本へは高尾9時48分発松本行というちょうどいい電車があります。私は早めに家を出たので、その電車より先行して松本へと進み、途中駅でその電車に乗ろうとしたんですが、都内の中央線がトラブルでダイヤは大幅な乱れ。高尾まで下り電車なのに相当な混雑でした。

甲府駅で乗り継ぎの電車待ちで途中下車。線路の北側になにやら城郭らしきものが見えたので行ってみると甲府城の山手御門を復元した歴史公園だそうです。中央線の南側には甲府城址があって、そこは昨年訪ねました。歴史公園のガイドさんの説明によると、線路の北側も甲府城址で、中央線敷設の際、甲府城を貫通して線路を建設したため甲府城址は南北に分断されたそうです。
甲府城にも天守閣再建計画があるそうです。甲府といえば武田信玄ですが、甲府城は信玄とは関係がなく、武田家滅亡後、豊臣氏が建設した城です。

山手御門から甲府城の天守台方向を望みます。手前に中央線の線路が通っています。

松本行の電車で一路松本へ。

穴山駅は武田家の重臣・穴山氏の発祥の地だそうです。穴山梅雪は武田家滅亡の前に徳川へ寝返り、家康とともに上京、本能寺の変に遭い、三河への帰路、土民に襲撃され死亡したそうです。本能寺の変のあとの家康一行を描く映画やドラマではたまに梅雪も登場します。

松本駅へ到着。電車が遅れたために松本電鉄との接続は悪く、しばし駅周辺で時間つぶし。駅舎には北野建設、信濃毎日新聞の看板があります。松本までの途中、エプソンの大きな工場が見えました。スケートで有名な日本電産サンキョー(旧三協精機製作所)の工場も。もちろんセイコー関連の工場も。さすが「東洋のスイス」ですね。

いよいよ松本電鉄上高地線の電車に乗車です。

新島々駅に到着。やはり登山者が多いですね。

天気予報は午後から雨、突然降り出しました。

新島々駅はバスターミナルと一体になっています。昔、この新島々に初めて来た時、妙な地名だと思いましたね。山間部に新島々とは。上高地線は今の新島々の先、島々が終着駅だったのですが、島々駅周辺は平地が少なくバスターミナルを建設するには適さなかったために手前に新島々駅を作ってそこでバスと接続をさせたそうです。その後、新島々・島々間の線路は台風の被害を受け廃止されました。
帰りの電車は「なぎさトレイン」です。なぎさちゃんはアニメのアイドルなのでしょうか。