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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

信州・古城の旅 大河ドラマ「真田丸」で人気急上昇の上田城

2016年03月08日 | 長野
18きっぷで信州の古城、上田城と小諸城を目指しました。

高崎から信越線の電車に乗り換えます。

新幹線の開通に伴って横川から先は廃線となりました。高崎と横川を結び、群馬県内だけを走る路線ですが、信越線という名称はそのままです。

横川駅の改札口。今も「峠の釜めし」の売店はあります。

横川・軽井沢間は代替バスが運行。1月にスキーバスの事故があった碓氷バイパスを通行します。

軽井沢に到着。新幹線開業によって新設された駅舎です。

第三セクター鉄道・しなの鉄道の改札口

しなの鉄道の赤い電車。真田の赤備えか?

上田市の観光看板

中央奥に軽井沢の旧駅舎

軽井沢駅舎記念館の展示車両。EF63形電気機関車

アプト式電気機関車EC40形

湘南カラーの車両

車窓から見える浅間山

小諸で水色の車両に乗り換え

上田駅に到着。しなの鉄道・上田駅の入口です。

赤備えの甲冑レプリカ


上田駅

駅前の商業ビル。駅前通りが市街地へまっすぐに伸びています。

河岸段丘、崖下の道。当時、上田城の真下を千曲川が流れていました。このあたりを尼ヶ淵といい、上田城は別名、尼ヶ淵城と呼ばれました。

文化講演会のポスター。童門冬二氏(作家)、八名信夫氏(俳優)、真田徹氏(仙台真田家14代当主)。

二の丸堀



二の丸橋


大河ドラマ館

真田十勇士ウォーキングマップ


東虎口櫓門。右に北櫓、左は南櫓

東虎口の空堀

千曲川の方向。今は新幹線、しなの鉄道が通っています。

東虎口の北側の本丸堀

真田石。真田信之が松代移封の際に運ぼうとしたが動かないために諦めたという巨石。

南櫓

千曲川方向

南櫓の内部

南櫓の内部。甲冑

信之の奥方・小松姫は旅の途中の鴻巣宿にて死亡。亡骸を上田へ運んだという駕籠

上田城の模型。左側が千曲川です。

空堀

渡櫓

南櫓

火縄銃

北櫓

北櫓内部


本丸跡の真田神社

赤備えの兜

真田神社の本殿

真田井戸。城外へ通じる抜け穴となっていたそうです。

西櫓

西櫓内部



山本鼎記念館標柱石。山本鼎は大正・昭和前期に活躍した画家です。山本鼎記念館がこの地にありましたが、2014年に上田市美術館が開館、山本作品は新しい美術館に移管されました。私は十数年前に見学したかも知れません。

上田市立博物館

初めて人工的にがんを発生させることに成功した病理学者、山極勝三郎のコーナー

上田城の模型。城下に千曲川が迫っている様子がわかります。

上田市立博物館別館

博物館別館入口



平和の鐘


二の丸堀

大河ドラマ館。真田丸便乗キャンペーンにはいささかうんざり。入館はしませんでした。












信州の旅 上諏訪温泉、片倉財閥がつくった日帰り天然温泉の片倉館

2015年08月15日 | 長野
高島城の見学を終え、諏訪湖畔を歩き、片倉館へ向かいました。片倉館は富岡製糸場で知られる片倉財閥の2代目片倉兼太郎が造った地域住民のための温泉大浴場です。

諏訪湖

8月15日は諏訪湖の花火大会です。早くも前日から場所取りが始まっています。

諏訪赤十字病院。こんな立派な病院があるなら諏訪に住むのも悪くはないと思いました。病室からも花火は見えるのでは。

諏訪市の木かりん


湖畔の遊歩道

遊覧船はくちょう丸乗り場

露店が準備中

片倉館の駐車場入口



片倉館の完成は1928年(昭和3年)、設計は森山松之助。森山は台湾総督府などの官庁建築、両国公会堂、新宿御苑台湾閣などの建築を手がけました。

片倉館の入口。入浴料は650円です。浴場はローマ風の風呂で、浴槽は深く湯量が多いのが心地よかったです。千人風呂と称していますが、1000人は無理でも100人は入浴できそうな広さです。2階には休憩室・食堂があります。

片倉館の会議棟


2代片倉兼太郎顕彰碑。片倉財閥は諏訪で製糸業としてスタートし、富岡製糸場を経営していましたが、戦後の集中排除法で解体されました。戦後存続会社となった片倉工業は繊維・アパレルの会社、婦人靴下「キャロン」のブランドで知られていました。一時自転車やオートバイも生産していたそうです。東京・京橋にレトロな本社ビルがありましたが、老朽化で解体されました。
さいたま新都心にあるコクーンシティは以前の片倉工業大宮製作所の工場跡地です。コクーンとは繭のことで、片倉工業の元となった事業を表わしています。片倉工業は現在では各地にショッピングセンターを経営し不動産業が主たる事業です。
歴史マニアには片倉といえば仙台伊達藩の片倉小十郎が有名ですが、仙台の片倉家ももとは諏訪の出身です。来年の大河ドラマは「真田丸」です。真田幸村・大助の父子は大阪夏の陣で討ち死にしますが、幸村の次男は縁戚の仙台片倉家に匿われ、その後、真田家を再興し幕末まで続きました。


片倉館会議棟。見学には事前予約が必要です。




隣接する諏訪市美術館。戦前は片倉財閥の私的博物館でしたが戦後諏訪市に寄贈されました。九段会館や愛知県庁、名古屋市役所と同様の帝冠様式です。前前都知事がいうところの「銭湯のような建築物」です。

会議棟の側面


会議棟の裏面



浴場棟の裏面。銭湯には煙突は付き物ですが、片倉館は温泉なのにどういうわけか高い煙突があります。

美術館の正門

片倉館の正門


上諏訪駅のホームから見える観光看板

青春18きっぷのポスター。今シーズン初めて見つけました。今回は私の懐かしき駒ヶ岳と大沼です。


信濃国・古城の旅 諏訪湖に浮かぶ、諏訪の名門・諏訪氏の高島城

2015年08月14日 | 長野

猛暑の夏が続いていますが、私は夏の暑さに負けずに城攻めに専心しています。18きっぷ4日目は諏訪の高島城です。上諏訪には昨年18きっぷで飯田線の旅をしたときに上諏訪温泉で1泊しました。それ以来です。
高島城は諏訪湖畔にあった水城、浮き城で、諏訪の名門・諏訪氏の傍流・諏訪頼忠の子、諏訪頼水が初代城主です。諏訪氏の惣領家の諏訪頼重は武田信玄に攻められて滅亡しました。頼重の従兄弟・頼忠が御家再興を目指し、その子の頼水が関ヶ原の戦いの功績で悲願を達成し城主となったのが高島城です。


城下の縄手通り

諏訪湖へと注ぐ衣の渡川


もう一つ、中門川。衣の渡川も中門川も高島城の堀の役目を担っています。


高島城本丸の復元角櫓

高島城の復元天守


本丸と二の丸を結ぶ冠木橋と冠木門。高島城は本丸、二の丸、三の丸が梯型に連なった連郭式の配置です。


冠木門。冠木門は左右2本の柱と梁だけの簡素な門の形式です。この門は櫓門ですね。当初は冠木門だたっために後々も冠木門と言われたようです。




冠木門の石垣





覗石松

亀石。水をかけると亀型の紋様があらわれるそうです。

多門跡。多聞櫓だったのでしょうか。多聞櫓は防御のための長屋状の建物で囲んだ物です。建物内は武器庫、倉庫、つまり矢倉として使われました。

いよいよ天守です。

諏訪家の家紋、梶葉紋

NEXCO中日本が「日本どまんなか・お城スタンプラリー」を3月28日から11月30日まで実施中です。北は富山城、東は小田原城、西は彦根城、南は掛川城と、中日本エリア内の21城を巡るイベントです。復元天守、模擬天守を含めて天守のある城に絞っています。そのため金沢城、安土城、七尾城などは入っていません。私は21のうち未登城は小牧山、清洲、越前大野、小山、墨俣の5つでした。

小天守跡

天守入口




2007年NHK大河ドラマ「風林火山」のポスター。原作は井上靖、信玄役は市川亀治郎(現猿之助)、勘助は内野聖陽、由布姫は柴本幸。

こちらは1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」のポスター。原作は新田次郎、信玄は中井貴一、勘助は西田敏行、湖衣姫は南野陽子。二つのドラマでは、原作が異なるため諏訪頼重の娘、武田信玄の側室、武田勝頼の生母である諏訪御料人の名前が違っています。

明治初期に取り壊される前の高島城の写真

天守の内部階段

天守最上部

天守から見る内堀

諏訪湖

本丸の藤棚

時計台。諏訪は「東洋のスイス」といわれて、三協精機、諏訪精工舎、エプソン、チノンなど精密機械メーカーが集積しています。時計塔の時計はセイコーでした。

石集配湯枡。温泉を城内まで引き込んでいたそうです。

本丸庭園

心字池。「心」という字の形の池です。


川渡門跡。ここから船に船に乗れたそうです。現在の門は三の丸御殿の裏門を移設したものです。



諏訪護国神社

西多門

諏訪出身の永田鉄山の像。相沢三郎に惨殺された陸軍省軍務局長です。文春新書から「永田鉄山 昭和陸軍・運命の男」という新刊が出ています。

本丸南東の富士見櫓

二の丸跡の諏訪市役所


東側の内堀





本丸東側の内堀の石垣


内側から見た角櫓

角櫓前のキハダ

心字池

埋門




本丸西側から見た天守


中門川

中門川沿いの遊歩道。所々に東屋があって、諏訪赤十字病院の医療スタッフらしき人が休憩していました。

諏訪湖に注ぐ中門川の河口
























信濃国・古城の旅 日本で二つ、佐久の五稜郭、龍岡城

2015年07月31日 | 長野
青春18きっぷの旅、第2回は小海線に乗り、信州・佐久の五稜郭、龍岡城を訪ねました。私は小学校時代を函館で過ごし、五稜郭はきわめて身近な存在です。函館五稜郭と同様の西洋式城郭の五稜郭が佐久にもあると知り、是非一度訪問したいと思っていました。

中央線の小淵沢駅です。

小淵沢駅は海抜881m

小淵沢駅の立ち食いそばは結構うまい。馬肉入りのそばが名物らしいのですが、馬肉はパスじて、私は舞茸天ぷらそばです。

小海線のディーゼル列車

高原リゾートとして有名な清里駅。標高1274m

鉄道最高地点の駅、野辺山駅。標高1345m

龍岡城駅に到着。無人駅です。鉄道を利用してあちこちの城をまわっていますが、城の名前と同一の駅名は全国でも珍しいのでは。






龍岡城駅から龍岡城跡までは徒歩で20分ほどです。大手門の手前に城跡碑と部分的な石垣があります。ここの石垣は後世の物という気がします。


曹洞宗の寺院、蕃松院




佐久市歴史の里であいの館



であいの館の内部。龍岡城は函館五稜郭と同様に五角形、西洋式の星形城郭です。

龍岡城の大手門。龍岡城は幕末期に三河の大給(おおぎゅう)松平の藩主、松平乗謨(のりかた)が西洋式築城術に興味を持ち、函館五稜郭を築いた武田斐三郎の影響を受けて、佐久に西洋式城郭を築いたものです。工事は1864年(元治元年)に開始されたが、幕末風雲急な時に乗謨も幕政に関与し多忙を極め、建物は完成したが堀は未完のまま1867年(慶応3年)に工事は中止され、明治初期に廃城となりました。五角形の城郭のうち大手門側の濠の五分の三は完成したが、裏側は土塁です。

松平乗謨改め大給恒の像。大給恒は明治期には赤十字社運動に活躍しました。


北側の大手門付近の濠。幅は9mほどです。

大手門の内側

大手門近くの田口招魂社

五稜郭内の田口小学校




御台所。当時の建物のようです。

土塁外側の小学校プール


西側の黒門。現在は小学校の通学路となっています。黒門から南側の濠は未完成で土塁のままです。






東側の通用門

小学校の体育館のようです。


北側の大手門付近の石垣はきれいな切込みはぎですが、南側の濠の外淵は野面積みです。
龍岡城は幕末に蝦夷地防衛のために築城された函館五稜郭とは異なり、城郭というより藩主の居館です。周囲の濠は平均で7mくらいですから、防衛というより防犯という程度の意味合いです。
私は五稜郭は函館の五稜郭が日本で唯一の西洋式城郭であり、五稜郭は固有名詞と思っていました。小学校でもそう習ったと記憶しています。佐久にも五稜郭があるとすると、五稜郭は普通名詞なんでしょうか。
函館にはあまり知られてはいませんが、四稜郭もあります。こちらは五稜郭ほど本格的な城郭ではなく、濠のない四角形の土塁です。箱館戦争の際に旧幕府軍が五稜郭の出城として築いた砦です。

龍岡城駅に戻ってきました。





















信濃国・古城の旅 松代10万石、真田の城下町

2015年05月17日 | 長野

松代藩の藩校・文武学校の正門


文学所



文学所の内部。文学所では主に漢学、文学所の東側の建物・東序で軍学、西側の西序で医学の講義が行われました。


剣術所

弓道所

槍術所

文武学校の裏手の松代小学校

旧白井家表門

真田勘解由家

旧樋口家表門


旧樋口家住宅

真田家の新御殿。9代藩主の母の隠居所として建設され、明治以降は真田家の私邸として使用されました。



真田邸の庭園


真田邸内部

真田宝物館

真田家12代当主・真田幸治の像。幸治が真田家の大名道具を旧松代町に寄贈したことにより、1969年(昭和44年)に宝物館が開館しました。


松代城の模型

メタセコイアの並木。メタセコイアは珍しくはないが、並木となっているのは珍しいと思います。

松代交番

信州名物・おやきや総本家の前の丸ポスト。4月に日経新聞に丸ポスト愛好家の方のエッセイが掲載されました。その方は全国各地の丸ポストを撮影し続けています。私も微力ですが多少のお手伝いを。

矢沢家の表門


長野電鉄旧屋代線の線路跡

ウィーラーのバスが発着する信州松代ロイヤルホテル。4月に宿泊した北九州八幡ロイヤルホテルと同系列です。大和ハウスの経営です。

ロイヤルホテルの敷地内の丸ポスト