信州の旅 諏訪大社上社の本宮・前宮、諏訪市博物館 2017年08月20日 | 長野 本日は上諏訪の諏訪大社へ向かいます。各駅停車の旅の乗り継ぎで甲府で時間調整。甲府駅前の藤村記念館です。島崎藤村とは無関係、ふじむらと読みます。旧睦沢学校の校舎です。2階教室近代建築写真展を開催中です。今回は山形市・旧済生館本館、近江八幡市・旧八幡東学校、松本市・旧開智学校、桐生市・旧群馬県衛生所医学校などの学校建築の写真展を行っています。次回は病院・診療所建築写真展、私の注目のテーマです。甲府城の石垣 上諏訪駅の足湯 上諏訪駅の駅舎上諏訪市のコミュニティバスで諏訪大社上社本宮へ来ました。 本宮東参道の鳥居 案内図吉良上野介義央の孫・義周の墓があります。義周は義央の孫ですが義央の養子となっていために赤穂事件後は諏訪高島藩の預かりとなり幽閉されてこの地で死亡しました。本宮入口 三之御柱遥拝所。二之御柱御柱曳きで下側の樹皮は完全に剥けてます。大けやき入口御門 額堂 御宝殿 四脚門 大鳥居 宝物殿祈祷受付所 四之御柱勅願殿 参拝所 拝殿 雷電の銅像この銅像は柏戸、佐田の山、富士錦をモデルとしたそうです。雷電は史上最強力士と言われ、身長197cm、体重169kgの巨漢。私の雷電のイメージとはかなり違いますね。現代の力士をモデルにするなら大内山、出羽ヶ嶽がよかたっと思いますが。山形の上山城に出羽ヶ嶽の銅像があります。表参道 大鳥居 狛犬 神楽殿土俵 五間廊 勅使殿三之御柱 神馬舎 奉納絵馬 法華寺。武田家攻略ののち織田軍はこの法華寺に集合。諸将居並ぶ中で信長が明智光秀を罵倒したことが怨恨となって本能寺の変となったとも言われます。たまたま今朝の新聞に明智光秀が室町幕府再興を意図していたという手紙が発見されたという記事が出ていました。 法華寺の山門 本堂 吉良義周の墓所 墨縄神社 五重塔跡心字池跡 普賢堂跡 神宮寺跡五本杉 信玄墓所。前日大雨が降ったあとで坂道は滑ります。不覚にも転倒しました。ズボンは泥だらけとなりました。 諏訪市博物館上諏訪温泉関連の展示 昭和40年代の上諏訪駅の1/150ジオラマ 五重塔の1/10模型 約1.5km歩いて前宮へ来ました。神殿跡 穀の木十間廊内御玉殿水眼の清流本殿 三之御柱 山之神 治水碑 四輪駆動車の墓場 水眼の清流 一之御柱 四之御柱 三之御柱 二之御柱 中小路 中村一壽銅像。紺綬褒章受賞の食糧検査技官。紺綬褒章は公的機関に一定額以上の寄付をすると受賞の対象となります。ここを右折すると杖突峠を経て高遠城です。茅野駅まで歩きました。
信州・古城の旅 小彼岸桜と絵島囲み屋敷の高遠城 2017年08月04日 | 長野 JR中央線・茅野駅のホーム看板。小彼岸桜と絵島生島で有名な高遠城跡への最寄り駅の一つです。 茅野の駅舎駅前の商業ビル姥塚古墳の碑 寒天の里の記念碑。背後の3本の柱は寒天を模しています。 茅野から高遠へは春の桜、秋の紅葉、夏の登山の期間限定でバスが運行されています。1日1便、終点は南アルプス登山基地の仙流荘です。このバスがない時期は高遠へは伊那市または伊那北駅からバスで行くことになり、東京からだとかなりの遠回りになります。 茅野から杖突峠を越えて高遠へと行きます。諏訪氏の居城、上原城がある城山の山並みが見えます。高遠駅。バスターミナルですが駅となっています。現代では駅は鉄道駅を指しますが、鉄道以前の時代では馬を替える場所であり、近年では「道の駅」もあるのでとくに違和感はないのでは。ユニークな二宮金次郎像御城下通りの商店街 藤沢川 太鼓櫓 阪本天山屋敷跡 大手門跡高遠の町並み 三の丸跡の高遠高校の碑 高遠高校の正門として使用されていた伝高遠城大手門藩校進徳館進徳館百年碑空堀さくら名所100選高遠城北ゲート 高遠閣。1936年に建築された木造建築、登録有形文化財。今風にいえば町のコミュニティセンターです。 天下第一の桜の碑 桜雲橋問屋門。城下にあった門を城内へ移設しました。 天正10年の織田信忠率いる織田軍の甲斐進攻の際に武田方の高遠城主・仁科盛信(信玄の五男)は籠城して徹底抗戦、最大の抵抗をし、ついには落城しました。武田氏最後の戦いです。高遠落城後、武田勝頼は新府城から天目山へと逃れ最期を遂げます。 コヒガンザクラの碑新城藤原神社 本丸跡 本丸からの眺望 本丸太鼓櫓中村元恒・元起の碑 招魂碑 白兎橋空堀法幢院曲輪 広瀬奇璧・河東碧梧桐の句碑裏面伊澤多喜男の無字の碑 南ゲート 保科正之と正之の生母・静の石像。静は2代将軍秀忠の子を懐妊し、生まれた子は保科家の養子となりました。正之は異母兄の3代将軍家光を補佐し幕政に貢献し、のちに会津藩主となり、保科正之の会津藩は幕末まで続きました。最後の会津藩主は松平容保です。 高遠町歴史資料館 「保科正之を大河ドラマに」のキャンペーン実施中です。絵島囲み屋敷 絵島の間新宿区と伊那市は友好提携の関係にあります。新宿御苑は高遠藩内藤家の屋敷の跡です。新宿は内藤新宿ともいわれました。昨年、新宿歴史博物館で友好提携10年を記念し「信州高遠藩」のイベントが開催されました。高遠湖。三峰川をせき止めた人造湖です。 三峰川に架かる白山橋 高遠ダム 国道152号の高遠大橋 高遠城の南壁 藤沢川 そば店 酒蔵の泉 ある商店のショーウインドーのポスター。高遠・伊那間は鉄道の計画はありましたが実現しませんでした。このポスターは幻の鉄道想像図かと推測します。建福寺 高遠石工の石仏群 本堂 保科正直(中央)、保科正光(左)、諏訪御料人(右)の墓。正直は戦国期に武田、豊臣、徳川の武将として活躍しました。正直の嫡男が正光。正光は秀忠の庶子を養子とし、正之に家督を継がせました。 諏訪頼重の娘、武田信玄の側室、勝頼の生母・諏訪御料人の墓です。 高遠駅に戻りました。待合室の石油ストーブです。北海道育ちの私としては懐かしいですね。中央構造線・フォッサマグナのポスター伊那市駅伊那市駅前 高遠城訪問は今回が3度目です。約25年前の過去2回はいずれも桜見物でした。小彼岸桜が見事だったことと絵島屋敷は記憶に残っていますが、当時は高遠が城跡だったことはあまり意識をしていませんでした。今回は城跡見物を目的に3回目の訪問をしました。 高遠城の歴史を簡単に振り返ると、築城は諏訪氏一門の高遠氏で、高遠氏は武田信玄と組み諏訪氏を滅亡させました。その後高遠氏は信玄によって攻略され高遠城は武田の城となります。信玄の家臣・山本勘助が城の改築を担当し、勘助曲輪として名前が残っています。 信玄は諏訪頼重の娘を側室とし、勝頼が誕生。勝頼は一時高遠城主ともなっています。信玄嫡男の義信が廃嫡され自決したのち勝頼は武田本家を継承、高遠城は信玄の弟・信廉、信玄の五男・仁科信盛が継ぎ、信盛のときに織田軍に攻められて落城します。 徳川期には旧武田家臣の保科正直が藩主となり、正光、正之(家光の異母弟)と続き、正之は会津へと栄転。1691年に内藤氏が入封し幕末まで続きます。その内藤家の江戸屋敷が甲州街道の新宿にありました。現在の新宿御苑一帯です。
信州・古城の旅 武田信玄の三河進撃の拠点、伊那谷・飯田城 2016年10月23日 | 長野 信州飯田にきました。諸用を終えて飯田城址を探索。 飯田城本丸跡の長姫神社。飯田城は別名、長姫城といいます。 飯田城を最初に築いたのは小笠原氏の家臣の坂西氏、次に武田の家臣、秋山氏が本格的に築城しました。飯田を通る三州街道・遠州街道は武田が甲斐から進撃する際には重要なルートでした。武田滅亡のあとは織田、徳川、京極、江戸時代には小笠原、脇坂、堀と城主は代わっていきます。 長姫神社の碑 観耕亭跡碑。飯田城の殿様、堀親義が城外を眺め農民が耕作する姿を見て楽しんだそうです。 天然温泉の浄水 本殿 本丸の東端は三宜亭という旅館になっています。 飯田城は松川と野底川の間の河岸段丘の舌状台地に築かれています。 柳田国男館。世田谷にあった柳田の書斎を移築しました。 日夏耿之介記念館 飯田図書館 追手町小学校 「田中芳男と南信州の偉人たち」という特別展を開催。田中芳男は日本の博物館・動物園・図書館の生みの親で、上野公園の設計に関わりました。飯田出身に柳田国男(民俗学者)、日夏耿之介(英文学者・詩人)、菱田春草(画家)。飯田に疎開していたのは岸田国士(劇作家)、山田風太郎(作家)。近隣の町村出身は富岡鉄斎(文人画作家)、椋鳩十(作家)。 飯田市美術博物館。美術館も博物館も英語ではどちらもミュージアムです。英語で美術館を限定する場合はmuseum of art。日本では美術館、博物館、資料館、史料館、記念館と名称はいろいろあります。 二の丸大通り跡 御用水跡 伊那谷の巨石を展示
信州・古城の旅 千曲川を見下ろす「懐古園」の小諸城 2016年03月10日 | 長野 上田から帰路、小諸で途中下車、小諸城址を訪ねました。小諸城は3回目です。 しなの鉄道・小諸駅の駅舎内 小諸駅 駅前の停車場ガーデン しなの鉄道の線路を渡って小諸城址へいく跨線橋 立派な跨線橋です。これだけ幅があれば花見のシーズンでも大丈夫か。 三の門 秀忠憩石。秀忠が率いる徳川本軍は関ヶ原へ進む途中で上田城を攻撃します。秀忠は小諸城を本陣とし、この石に座ったそうです。 懐古園の入り口、三の門。小諸城址は今は懐古園となっています。 三の門の内側 徴古館 小諸城は武田信玄が築城し、一時は織田の武将・滝川一益が入城したが、徳川家康が関東に移ると仙石秀久が小諸城主となり、大規模な改修工事を行って現在に残る縄張りとなりました。北側は北国街道、南側は千曲川の断崖絶壁、城は北国街道沿いの城下町より低位にあって、街道から城内が見えたために「穴城」と言われたそうです。 券売所 野面積みの石垣 二の門跡 二の丸跡 二の丸に秀忠が滞陣したそうです。 二の丸跡から見る浅間山(2568m)。左は黒斑(くろふ)山(2404m)。黒斑山は1990年ころに一度登りました。 番所跡 中仕切門跡 北の丸跡 北の丸跡の弓道場 南丸跡 鶯石 空堀 稲荷神社 懐古射院、弓道場です。 南丸と本丸の間の紅葉谷に架かる黒門橋 紅葉谷 黒門跡 馬頭観音 ケヤキの大木 荒神井戸 藤村記念館 藤村像 桜開花観測木 小諸八重紅枝垂桜 武器庫 酔月橋。この先に小山敬三のアトリエと美術館があります。 酔月橋の周囲の空堀と断崖 「千曲川旅情」の藤村詩碑 水の手展望台。小諸城で私が一番好きな場所です。 水の手台から見下ろす千曲川の流れ。絶景です。 西側の絶壁 懐古園から千曲川へ下っていく道があります。一度川岸へ行ってみたい。 天守台北側の石垣 八重紅枝垂桜 富士見台 ここから富士山が見えるようです。 動物園 動物園と懐古園の間の空堀 小諸城は武田信玄の軍師・山本勘助が築いたという説もあります。 本丸跡の懐古神社 社務所 山本勘助が愛用したという謂れの鏡石 本丸跡の碑 新徴組に加わった小諸藩士・佐々木如水の碑 懐古園の碑 懐古神社の鳥居 小諸城址の碑 駕籠台跡 弓道場 東側の石垣と崖 浅間山の噴火でできた石を利用したために焼石と言われるそうです。 動物園の東側 小諸義塾記念館 「惜別の歌」歌碑 シェイクスピア美術館。閉館です。 跨線橋を通り線路北側へ戻ります。 観光交流館 くらしかる浪漫館 小諸宿本陣主屋 再び停車場ガーデン レンガ造りの小諸駅の油庫 小諸駅前。小諸はいいですね。新幹線の駅はなく、真田のブームとも無縁でひっそりとしています。海野宿、馬籠宿、妻籠宿などと違って観光地化していない。我関せず、我道をゆく、という風情です。うっかりですが、帰京後に北国街道側に大手門跡があることを知りました。今度また来たい城の一つです。
信州・古城の旅 河岸段丘面に広がる上田市街、真田坂、海野町を歩く 2016年03月09日 | 長野 上田城二の丸をあとに上田市街を歩きました。 二の丸橋の前の上田市立第二中学校 真田十勇士案内図 旧市立図書館、現在は石井鶴三美術館 上田市役所 木造建築の上田新参町教会 八十二銀行上田支店のウィンドー。このあたりが上田城三の丸大手門、真田が徳川を迎え撃ち戦った第1次、第2次上田戦争の激戦地だそうです。 古い城下町らしい老舗書店・平林堂 そば処・太平庵 池波正太郎真田太平記館。「真田太平記」に登場する人物図、池波正太郎の真田関連作品年表などを展示 西沢書店 高市神社。なでると幸運を呼ぶ「真田三代・運の石」があります。このあたりは海野町といい、真田氏ゆかりの海野郷から人を移住させて町づくりをしたことから海野町と名付けられました。 ノスタルジックな「浅草雷門ホール」。不思議に思い帰京後調べてみると、実は元映画館を映画ロケのために改装したロケセットのようです。 「浅草ファンタジー座」「花やしき通り」も架空のセットです。 六文銭ラーメン。このラーメン店はリアル店舗です。 池波正太郎も通ったというそば店・刀屋。普通盛りでも私には食べきれないくらいの大盛りでした。 清水書店 飯島商店。江戸時代から続く果実菓子の老舗。果汁・水飴・寒天でつくった「みすゞ飴」のほかゼリー、ジャムなども製造販売。 飯島商店の前の駅前通りは真田坂といいます。河岸段丘を登る坂道、上田のメインストリートです。 並河源兵衛が住んだ屋敷があったので、源兵衛坂といいます。 駅前広場の水車 真田幸村像