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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

豊後の旅 磯崎新のアートプラザと坂茂の大分県立美術館

2018年01月06日 | 九州
府内城三之丸跡に建つアートプラザ。磯崎新が設計、1966年に完成した旧大分県立大分図書館。1998年に大分市が改修しアートプラザとしてオープンしました。3階は磯崎新建築展示室。北九州市立美術館(1974年)群馬県立近代美術館(1974年)ハラ・ミュージアム・アーク(1988年。群馬県)水戸芸術館(1990年)ロサンゼルス現代美術館(1986年)西脇市岡之山美術館(1984年。兵庫県)奈義町現代美術館(1994年。岡山県)富山県立山博物館(1991年)ブルックリン美術館(1992年)ミュンヘン近代美術館(コンペ落選)シュトゥットガルト現代美術館(コンペ採用も建設計画中止)新聞少年像大手公園巨大ソテツ伊東ドン・マンショ像(北村西望)健ちゃん像(北村西望)
滝廉太郎像(朝倉文夫)西洋演劇発祥の地坂茂が設計、2014年に完成した大分県立美術館イサム・ノグチ展を開催中ノグチがデザインしたAKARI。大部分は撮影禁止です。六郷満山開山1300年の記念展示2階
対面のオアシスひろば21への渡り廊下県立美術館の全景OASISひろば21内部。iichico総合文化センター、NHK大分、オアシスタワーホテルなどで構成される多目的複合施設
大分駅のイルミネーション
ザビエル像大分駅の改札内です。なんとフローリング床です。行き先表示版も見やすい。トイレの入口はまるでスーパー銭湯の入口のようです。黒川医院の広告パネル


豊後・古城の旅 キリシタン大名・大友宗麟の大分府内城

2018年01月06日 | 九州
2018年新春の旅、大分豊後へ向かいます。
大分空港に着陸。空港からバスで1時間ほどかかって大分駅に来ました。大分空港は国東半島にあって別府・大分からかなり遠いです。大分駅前の大友宗麟像。豊後は戦国時代、キリシタン大名として有名な大友宗麟が支配しました。大分銀行赤レンガ館は修復工事中です。辰野金吾が設計し1913年に完成。府内五番街養老孟司講演会のポスター講演会を主催する黒川医院が入居する複合ビル西洋医学発祥記念碑。1557年に病院が創設され、ポルトガル人医師のアルメイダによって外科手術も行われました。大分県教育発祥の地
フランシスコ・ザビエル像。1551年に大分に来て布教を始めました。
大分府内城。大友宗麟の城です。
着到櫓大手門の堀大手門アオサギ
大手門の石垣
仮想天守イルミネーション府内城1/70模型
本丸櫓台人質櫓北之丸(現松栄神社)につながる廊下橋天守台上本丸櫓台
天守台石垣
人質櫓東の二階櫓廊下橋修復工事西之丸角櫓北之丸の方向駐車場入口廊下橋北之丸跡の松栄神社




九州・古戦場の旅 明治10年西南戦争最大の激戦地、田原坂をゆく

2016年09月13日 | 九州

田原坂公園
九州の旅、最後の訪問地は西南戦争最大の激戦地、田原坂です。鹿児島を出発し熊本鎮台を包囲した薩摩軍は、小倉から熊本鎮台の救援に進軍してくる政府軍を田原坂一帯に防御陣地を築いて迎え撃ち、両軍は大激戦となりました。
「雨は降る降る人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂 山に屍 河に血流る肥後の天地秋さびし」の歌で有名です。





弾痕の家


田原坂西南戦争資料館



当時の熊本城の写真

薩摩軍と政府軍の兵士

西南戦争で負傷した両軍の兵士の治療を行った博愛社は、その後日本赤十字社として発展します。


田原坂公園からの景色。雲仙岳が見えます。

資料館の裏側

薩摩塚


戦没者慰霊碑




大楠

美少年像

崇烈碑








パノラマガーデン




金峰山県立公園




西南戦争百周年記念碑


政府軍の包帯所があった正念寺。博愛社(のちの日本赤十字社)発祥の地です。





七本柿木台薩軍墓地







七本官軍墓地。薩軍墓地は共同墓地ですが、官軍墓地は一体ごとに墓碑を建てて埋葬されています。
田原坂一帯には山縣有朋歌碑、谷村計介之碑、有栖川督戦地、篠原国幹戦没地、薩軍三勇士の墓、乃木希典奮戦の地のほか墓地、慰霊碑、砲台跡、戦跡など多くの遺跡があります。関ヶ原のような広大な古戦場なので、丁寧に探訪するとすると1日や2日ではとても足りません。









最後に熊本空港内に展示保存されているYS11の実機の写真を掲載します。







九州・古城の旅 唐・新羅に備え大和朝廷が築いた山城、鞠智城

2016年09月13日 | 九州

鞠智城歴史公園の防人のモニュメント
菊池市に隣接する山鹿市の鞠智城歴史公園に立ち寄りました。鞠智城は7世紀後半につくられた朝鮮式古代山城です。朝鮮半島の白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れた大和朝廷は新羅・唐軍が対馬海峡を渡って九州に攻めてくることを怖れて北九州一帯に多くの城塞をつくりました。最前線である対馬に金田城、今の福岡県には太宰府、大野城、水城、基肄城がつくられ、鞠智城は後方支援基地でした。
平安時代に太宰府から派遣された菊池氏の初代は鞠智を菊池とかえて名乗ったそうです。

八角形鼓楼

長者館

温故創生館


温故創生館の1階


2階の展望フロア

2階からの展望。鞠智城跡は鼓楼のほか兵舎、米倉、板倉が復元され、土塁や堀の跡も整備されています。私は北海道出身、東京在住のため九州の歴史も、また古代の歴史もまったく無知であるため、鞠智城、鞠智一族のことは新鮮でした。



九州・歴史の旅 平安から室町時代に栄えた肥後最大の豪族・菊池氏

2016年09月13日 | 九州
2泊目は菊池市に泊まりました。菊池市のある菊池地方は古代から中世前期に菊池一族が君臨した土地で、全国の菊池姓の人のルーツと言われています。九州はもちろん、東北、北関東にも菊池姓は多いですが、ほぼすべて肥後・菊池郡が発祥と言えるそうです。

菊池夢会館


きくち観光物産館


菊池氏15代菊池武光の騎馬像。巨大です。皇居前の楠木正成像、山形の最上義光像、萩の山縣有朋像と敗けずとも劣らずの大きさです。
菊池氏の初代は平安時代に太宰府から菊池へ派遣された藤原則隆。以降鎌倉時代には元寇で蒙古軍と戦い、室町時代に15代武光のときに最盛期を迎え、九州一の豪族となったが、24代武包のときに大友氏によって滅ぼされました。

菊池氏の本城、守山城がある城山。守山城の近くに12代武時、13代武重、15代武光を主祭神とする菊池神社、12代武時騎馬像がありまさに菊池一族の本拠と言えます。