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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

みちのく津軽の旅(3) 最北の現存天守、石垣修復工事が始まった弘前城

2015年04月02日 | 青森・秋田・岩手
津軽の旅3日目、天気はまあまあの晴天、弘前城を中心に弘前市内を歩きました。ようやく今回の旅の一番の目的、弘前城を訪ねます。
弘前城は石垣の修復工事のために天守を移動させて天守台の石垣を修復するという大工事が始まったところです。天守付近の濠の埋立工事はすでに終了し、今年は天守を曳屋で移動させ天守台下の石垣の修復工事にとりかかります。今年秋には移動を完了し、移動先で天守は公開されます。今年の春が本来の場所で見るには最後の機会となるため、今回の津軽遠征を決意しました。私は弘前城には過去2回来ていますが、いずれも花見の時季だったために、天守内部見学は長蛇の列で2回とも断念していました。



城の南側の入口、追手門から入城します。

追手門の内側。弘前城の城門は5つ現存していますが、いずれも枡形門です。ただし通常の枡形門は高麗門と櫓門がセットとなり枡形のスペースを囲む配置となっていますが、弘前城の場合は高麗門がなく、櫓門のみの構造です。外部から濠を渡って進入するとすぐに櫓門に突き当たります。もう一つ、外濠に石垣はなく、濠の水面と進入路との高低差もほとんどないというのも大きな特徴です。本州の最北の地で、以北には仮想敵は存在しないという理由からでしょうか、本州の他の城郭とはかなり様子が違っています。


中濠と二の丸の隅櫓、未申櫓
追手門から入ると広い三の丸で、三の丸には前川國男設計の市民会館・市立博物館(別途紹介)、植物園、市民広場などがあります。

杉の大橋

南内門。ここから二の丸です。

下乗橋

天守台の下の濠はすでに水抜きされ埋め立てられています。石垣は年月が経過すると重力により歪み、膨らみが生じて崩壊の恐れがあり、定期的に修復工事が必要です。弘前城の天守は濠の石垣のすぐ上に建っているために地盤構造上の問題もあるかと思います。
今回の工事は明治以降では2回目で、明治30年(1897年)に今回同様の曳屋工事が行われました。その工事を担当したのが地元の大工棟梁・堀江佐吉。堀江佐吉は弘前城の修復工事のほかに、明治期に弘前で建築された市立図書館、青森銀行なども手がけた功労者で、今のゼネコンの先駆けですね。



天守

南口券売所


天守より



天守最上階は展示品の大部分はすでに撤去され模型だけが残っています。天守はいろいろ展示物があるより、ガランとしているほうが天守らしいと私は思います。

岩木山


工事風景




天守の床下


金蔵跡


本丸未申櫓跡

蓮池

本丸戌亥櫓跡

鷹丘橋

内濠

本丸はほぼ長方形です。一周し再び天守を撮影しました。


武徳殿。明治44年(1911年)に演舞場として建設された建物です。今は休憩所となっていて、展示、物産販売コーナーもあります。



武徳殿内部には弘前さくらまつりの過去のポスター全てが展示されています。デザインの時代推移が興味深い。棟方志功の絵をモチーフにしたものもあります。私は今回が3度目ですが、過去2回もこのポスター展示は鮮明に記憶に残っています。

常陸宮夫妻の写真。常陸宮妃は津軽家の出身です。



丑寅櫓

二の丸から見上げる天守

与力番屋


東内門

東内門外橋


三の丸の植物園

東門の内側

東門の外側

外濠

鷹揚園の石碑。大正天皇が弘前を訪れた時に弘前城公園を「鷹揚園」と命名したそうです。


日本一太いソメイヨシノ。周囲5.37m、高さ10mです。

賀田門跡

賀田橋と二階堰

四の丸。さくらまつりのために駐車場を整備中です。

護国神社

北門(亀甲門)。弘前城最大の櫓門です。

亀甲橋。弘前城独特の枡形構造がわかります。橋を渡って直角に左へ曲がると亀甲門があり、城兵は枡形まで敵を引き込んで弓矢・鉄砲を打ちかけます。


外濠

北門近くの外濠から見る岩木山

弘前城は天守のほかに3つの櫓と5つの城門が現存しています。
櫓は未申櫓、丑寅櫓、辰巳櫓、門は追手門、東門、東内門、南内門、北門(亀甲門)、すべて重要文化財で、江戸時代初期のものです。
今回私は全部しっかり撮影しようと思ってはいたんですが、1つ辰巳櫓を通り過ぎました。辰巳櫓は二の丸にあるんですが、コースから少し外れた場所にあるんですね。残念、不覚です。
弘前といえば桜ですが、江戸時代の城はどこも桜はこんなになかったし、花見の場所でもなかった。今の桜はほぼすべて明治以降に植えられたもので、各地の城は桜の名所となっています。
花見の時季は城よりも桜が主役で、とても城見学どころではありません。そういう意味で今回はいい時期でした。桜の木が多過ぎて馬出しや土塁、石垣がよく見えなくなっているという指摘もありますね。














みちのく津軽の旅(2) 五所川原から東能代へ、JR五能線に乗る

2015年04月01日 | 青森・秋田・岩手
今にも降り出しそうな空模様なので、弘前市内は翌日にまわし、雨でも影響の少ない鉄道の旅に予定を切り替えました。

川部駅のホーム。弘前発のディーゼル列車は川部駅でスイッチバック、五能線へと進行します。

鯵ヶ沢駅のホーム。鰺ヶ沢は焼きイカの生産地として有名です。「焼きイカ通り」という名の街路もあります。



千畳敷付近。車窓からの景色

長靴を活用したオブジェ??



途中の深浦駅で1時間20分ほど乗り継ぎの列車待ち。

深浦町歴史民俗資料館・美術館

深浦町役場

昼食は魚料理と思っていたんですが、寿司店はずいぶん前に廃業した様子。

湘南風のレストランで昼食。深浦は「マグロステーキ丼」というのが名物のようですが、ステーキが丼にのった焼肉丼みたいだし、イメージがわかないので私はパス、ビーフシチューを注文。あとで知ったのですが、ステーキ丼といってもマグロの刺身も付いているらしい。メニューに写真が載っていれば私は注文したんですが、非常に残念でした。


深浦駅前の海岸。日本海です。

深浦駅構内

東能代駅から奥羽線で弘前へ引き返しました。

能代はバスケットボールの町として知られています。強豪の高校があります。

東能代駅内の釧路湿原の丹頂鶴の写真パネルを展示








みちのく津軽の旅(1) 本州のさいはて、風の岬・竜飛崎へゆく

2015年03月31日 | 青森・秋田・岩手
東京都内は桜が満開です。満開の桜をあとにしてみちのく津軽へ向かいました。2泊3日、往復飛行機、ホテル付き、自由行動型の安いツアーです。

津軽のシンボル、岩木山が見えてきました。

青森港、旧青函連絡船・八甲田丸が見えます。

青森空港の「ねぶた」の壁画。青森は「ねぶた」、弘前は「ねぷた」なので、これは「ねぶた」だと思います。

青森駅

青い森鉄道の駅はJR青森駅に間借りしています。

JR津軽線の電車で蟹田へいきます。

蟹田からはディーゼル列車に乗り換えます。


蟹田駅のホーム。「蟹田ってのは風の町だね」(太宰治の「津軽」)。津軽は太宰治の国です。


三厩駅に到着。「みんまや」と読みます。


三厩駅の駅舎

駅前通り。さいはての村ですね。

バスで竜飛崎へ向かいます。岬までは乗車時間は30分ほど。外ヶ浜町営バスなのでなんと運賃は100円でした。

竜飛崎に到着。真っ先の目に入ったのは「津軽海峡冬景色」の歌碑。近づくとメロディが流れます。

「風の岬」というとおりです。蟹田や三厩駅では感じませんでしたが、メチャクチャ風が強い。他と比べると風力は10倍です。

竜飛漁港


有名な階段国道339号線

灯台へといく階段村道


竜飛崎灯台

自衛隊のレーダー基地

カメラマンたち。渡り鳥が海峡を超えて飛ぶのを待ち構えて撮影するそうです。超望遠の撮影機材、防寒対策は大変な重装備です。

竜飛崎の先端

岬付近の元食堂


ホテル竜飛。休業中でした。

トンネル工事殉職者慰霊碑


青函トンネル記念館




高倉健主演の映画「海峡」のポスター。昨年健さんが亡くなり、私は続けざまに健さんの映画をDVDで見ましたが、「海峡」は初めて見ました。健さんはやはり「夜叉」や「居酒屋兆治」「冬の華」がいいですね。

新幹線「奥津軽いまいべつ駅」のポスター。来年の今ごろは開業です。

「太宰治と旅する津軽」JRのポスター。やはり津軽は太宰治の国です。

トンネル記念館の屋外展示。掘削機です。青函トンネルは地盤が複雑ではシールド掘削機では無理だったようですね。

掘削機のカッター

3線式軌道。青函トンネル内は狭軌と標準軌の両方の列車が走行可能です。来年新幹線が通ることで今年寝台特急は廃止となりましたが、来年には在来線特急はなくなり、貨物列車もかなり制約されます。新幹線がもし狭軌だったらこの問題はなかったし、もし日本の鉄道が最初から標準軌だったら日本の鉄道の風景はまるで違っていました。タラレバの話ですが。

アジテーター。トンネル工事用のコンクリートミキサー車です。

斜坑用の人車

人車

青函トンネル基地。私が帰京後の4月3日、青函トンネルで火災事故がありました。この一帯は騒然とし大騒ぎだったでしょう。

風力発電施設。竜飛は風が強いので発電効率はよいのでは。

外ヶ浜町の太宰治文学碑。バスの車窓から撮りました。


三厩駅の駅舎内。「ここは本州の極地である」(太宰治の「津軽」)。本当にそのとおりです。




三厩駅構内


青森駅に戻りました。青函連絡船メモリアルシップ・八甲田丸です。青函連絡船は現在は函館に摩周丸、青森に八甲田丸が保存されています。数年前までは東京の「船の科学館」に羊蹄丸が保存されていましたが処分されました。これら3隻以外には松前丸、大雪丸、津軽丸、十和田丸の計7隻体制でした。確かではありませんが私は青函連絡船に20回くらい乗船したので7隻全部に乗ったように思います。

またもや「津軽海峡冬景色」。


八甲田丸のスクリュー



駅前のぬぶたの家「ワ・ラッセ」

青森駅の跨線橋から見る旧青函連絡船桟橋の方向

昨年春に下北半島の大湊、大間を旅しました。今回は竜飛へ行きましたが、次回は蟹田から下北半島の脇野沢へフェリーが出ているので、その船に乗ってみたい。































下北半島の旅 大湊線大湊駅、大間、津軽海峡フェリー

2014年03月31日 | 青森・秋田・岩手
次の日は青森から鉄道で大湊、バスで大間、大間から函館へはフェリーの旅です。
青森・野辺地間は青い森鉄道ですが、途中下車をしなければ18きっぷは使えます。野辺地から大湊はJR大湊線。大湊へは青森から行くよりも八戸からのほうが連絡はスムーズですね。意外でした。
大湊の駅からは頂上に四角い構造物のある山が見えます。自衛隊のレーダーだそうです。この山は恐山ではありません。念のため。
一駅戻って下北駅から大間行きのバスに乗車。途中大間崎で下車したかったのですが、途中下車をすると大変なことになるのは分かっているので断念。まっすぐフェリー乗り場へ。
津軽海峡フェリー大函丸です。昨年新しい船が就航しました。数年前にフェリー会社の経営が悪化し、旧大函丸は老朽化のため不採算の大間・函館航路から撤退する計画が持ち上がりましたが、大間町と青森県が新しい船の建造費を負担することによって大間・函館航路は存続しました。この日は風が結構強くて海は白波が立っています。これはまずい、船は揺れるのではと思ったが、出航してみると津軽海峡は案外穏やかでした。昔青函連絡船では乗客は船酔いにかなり悩まされたものでした。
赤灯台を回っていよいよ函館港に入港。函館フェリーターミナルにはナッチャンワールドが係留されています。ナッチャンは数年前に乗りましたが、時速40ノット近く出る高速フェリーです。一般の船とは大型トラックとスポーツカーくらいの速度差がありますね。高速はいいのですが燃費効率が最悪で、今は定期運航はされていません。東日本震災のときは支援活動に活躍しました。姉妹船のナッチャンレナは台湾へ売却されました。観光船としての復活を期待しています。