先生と 古稀同級生と カラオケ会
先生が お元気な うちは 年に 何回でも
有志で 集まろうと 皆で シダックスへ
選曲は ペンタッチ付きの タブレットのような器具で 無線送信
評価点数もでる
得意な 人は 自慢の 持ち歌を 次々と
時間の 過ぎるのが 早かった。
先生と 古稀同級生と カラオケ会
先生が お元気な うちは 年に 何回でも
有志で 集まろうと 皆で シダックスへ
選曲は ペンタッチ付きの タブレットのような器具で 無線送信
評価点数もでる
得意な 人は 自慢の 持ち歌を 次々と
時間の 過ぎるのが 早かった。
パソコン講座は
フォトスケープを 使って
地図に マークを 入れたり 文字を入れたり
線や 矢印も 記入できます。
以前は いろいろと 苦労して いましたが
正確で 判りやすい 地図が つくれる 方法です。
前回の 大小山の 地図を 作ってみました。
足利市の 東 JR富田駅の北側 西場町にある
百観音は 江戸時代 寛政年間(1790~1798)に
作られた。
最前列に 西国 33の 札所
中列の段には 坂東 33の 札所
後列 山側には 秩父 34の 札所 が
整然と 並ぶ。
此の地区 一帯が 丁寧に 保存されていて
年月を 感じさせない程に 美麗な 一基も!
次は 当地 下野の 三霊場
不鮮明に なっている 文字を なぞって 探した。
もう 一基 出流山 万願寺も 在ったはずだが
写真を 撮り忘れ 残念 四霊場の はず。
足利フラワーパークからは 近いが
大規模に 宣伝は されてはいない。
駐車場は無いので 大型バスを 路上に 止めては
近隣の 地区の方の 迷惑になる。
石碑の 列の 通路は 人のすれ違いが やっとで
大勢で 押しかけては 問題も 出来るだろう?
大人だけで 静かに 参拝したい 百観音さま。
ガイド役の 先生方の 他の
参加者は 女性4人 男性1人 全員 ほぼ 70歳
添乗員さんだけが 若い。
駐車場のある 阿夫利神社に 祈願してから 出発
植林地帯を 過ぎると 岩稜登りが 連続
行程が 短く 天気も 安定していたので
ゆっくりと 登った
マイカー登山の 場合は 駐車場に 戻るが
車は ドライバーさんが 移動してくれるので
見晴らし岩の ピークを まわって 一気に 急降下
村社 稲荷神社 標高45Mへ 下る。此の後は
山本先生が 眼福の 地点へ 案内してくださる。
見晴らし 最高で 変化に富んだ 山だった。
以下は 次回。
半世紀も前 国鉄 両毛線や 旧国道50号線の
富田駅に 近ずくと 山頂 直下の 岩峰に 大小の 二字を 掲げた
山が 眼に入った。何の為に ? と 不思議だった。
調べたこともなかったが
地元の 山本先生の ご案内 解説つきで
登山出来ることになった。
江戸時代の 末期から 掲げられ 木製だったので
掛け替えを 続けられた。
お礼の 印に 近接した 村落の 民が
掲げたのが 始まり だったそうだ。
栃さんぽ エバーグリーンツーリスト社 の企画
ガイドは 池田正夫さん
「日光修験 三峰禅頂の道」の他
最近刊行された 「古賀志の里歳時記」の 著者
ご両人とも 宇都宮大学の 同窓生で
自嘲ぎみに 後期高齢者と 言われる。
超 健康者に あやかっての 登山は 二山目となった。
パソコン購入の際に 家電店指定の 通信に 2年加入すれば
パソコン本体の 価格を 割り引く という宣伝を 期待して
イーモバイルに 契約した。
2年 経過しないうちに 一月当たり 3000円も 安い
他社が あることを 知った。
二年契約の 縛りの期限が 過ぎたから
ワイマックスに 加入契約した。
順調に 通信が 出来たのを確認して イーモバイルは
解約しようとしたら 同社から 同じ条件の 案内が来た。
が 当然 イーモバイルは 解約しようと 調べたら
なんと! 「イーモバイル解約地獄」 ブログを 発見!
すごい数の コメントの 投稿が ついていた!
読み進むうちに ブログ主の 不注意 不見識も 在ったし
解約の 仕方を 解説したものも 読めた。
(^-^)
フリーダイヤルに 電話したら 簡単に 係員に 繋がり
本人 確認の後に
「データ プラン ベーシック 2年 得割」 契約に
変更を 提案された。
一月に 一度も 使用しなければ ゼロ円で
使用月に 限り 月毎に 4280円 請求される というもの
契約は 2年で 契約終了時に 解約しなければ
自動的に 契約は継続する というもの。
その 契約の 際は 現在附いている オプションは 解約する。
今回の 契約の 変更に 料金は 発生しないと。
納得出来て 損はないので 契約を 此れに 変更した。
その際の 文書を 請求したら 契約書の 文書は 無いが
メールで 内容を 示したものを 送ると言って
メール番号を 聞いてきた。
電話の 受付者の 名前を 聞いて メモした あと 更に
現在 手元の 機器の 所有者は 自分で
プロバイダー通信社の 所有物で無い事を 確認した。
メールで 送られた 文書を 印刷して 終わり。
レオンが 包あん形成機を 作ってからは
桜餅も 草餅も 柏餅も 円くなった。
苺大福は 初めは 苺が 隠れていたが
このごろは 顔を出している。
料理という程の ものではないが ハサミで
中央に切り込みを入れて
左右にも 浅く 切れ込みを
苺は 縦に 半分にして
先端を 奥にして 差し込む。
半分づつ 食べる。
平らに したぶん 苺大福より 味が なじんで 美味しいよ!
レオンは 林虎彦さんが
包あん成形機を 発明して
1963(昭和38年)創業
本社 宇都宮市 野沢町
庭の草花で 練習です。
前回は ぼかし効果が いまいちのように 思えて
このように
次は
円く 切り抜くを してから
作って みました。
笑美パソ倶楽部が 継続されて 一年間
お花見昼食会が 岡本駅傍の 花みずきで 行われ
美味しい ランチで おなかいっぱい!幸せ いっぱいでした。
先生 有難うございます。
先立つ 幹事さん お世話になりました。
その後の 講座で
昨年の 初秋の 写真で 作りました。
那珂川町 馬頭 広重美術館の 傍 奥の 寺院
春は 白藤が 見事だそうです。
更に 奥の 散策路は 水芭蕉や 山草が 素敵です。
検索すると 綺麗な写真が 楽しめます。
広重美術館は 70歳以上と 中学生以下は 無料。
数日前から やや うつむき加減に 咲いている。
多年生 半野生 草丈は 50センチほど
風情が あり 茶花として 愛好される。
中国原産で 半蔓性 貝母(バイモ)科 バイモ属
葉の 先端が 細く 絡みつく。
漢方薬になり 薬効があるが 有毒でもある。
春先の 草花には 切り花に 出来るものは 少ないが
1メートル近い 草丈に なっているのも 見かけた。
此の花の 写真を 送ったら パソコンで 調べて
入手された 方が 意外に 地味な 花ね!と
百合の名前で 大きい花と 思ったようだが?
紫の 網目のある花は 水仙よりも 小さい
市の公報「うつのみや」で 社会人学芸員を 募集していた。
パソコンで 募集要項を 検索してみると
ワークショップ形式の グループ研修らしい。
アンケート形式の 作文を 添えて 申し込んだ。
どんな人が 申し込むの だろうか?
講義形式の 研修会などに 参加してみたことはあったが
参加者は 退職された 男性が 多く
同好の 仲間が 出来ると いうものでもなかった。
応募者が 多かったそうで 定員よりも 多く 採用された。
年代は 若い方から 各年代で 自分と 同年代の方もいた。
期間は 半年と 長いので どうなるか?と 思った。
下野の 記者が 来ていたのは 1月だったから
記事は ボツになったものと 思っていた。
もっと 後に 資料などを 準備してからと 思っていたが。
先日の 鞍掛山は 此の 関連です。
パソコン購入から 2年 通信費を 値ごろにしたい!
プロバイダーを 換えたかった。
ワイマックスの 値ごろな 宣伝を見て 検索した。
判断に 困ったのは 機器(ルーター)の 写真を見て
接続方法が 想像の 他だった 事だった。
機器の 接続口が 写ってない
コードと 接続端末(USBとか)の 写真が無い。
クレードルと 充電器の 説明とかが ある種類のものさえある。
使い慣れた モバイルの 他に
無線と 有線で 接続する 方法が あるのは 判っていたが
購入したのは 此の製品
CDの 説明を 見て 判らないところは いつもの
デジカメで 記録して 接続法の 検索したものも 参考にして
付属の 紙の説明書のとうりに 接続!
パソコンの ポートにも 接続具合に 差が あったが
出来た! (^◇^)
数日 過ぎて 使用しているが 説明の 様に
アンテナが 3本 表示されないのが 不満だが。
今年は 桜の開花が 遅れて 気が揉めますが 工学部では
4月7日(土)~8日(日)に 例年どうりに さくらフェスタが開かれます。
駐車場は 無いが ベルモールの すぐ傍。
子供向けや 催し 講座など いろいろと。
行ったら まず 頂こう。(無料) ↓ ↓
どなたでも 受講できる 講座が たくさん在ります。
無料の 講座は 早く 申し込もう。
申し込みの方法も 詳しく 書いてある。
図書館の 達人講座(無料 2時間だけ)を受講すると
付属 図書館が 利用できる カードを 作ってくれます。
ここは 土日も 夜間も 休暇中も 開いていて
名画シネマの 視聴なども 出来るし 便利です。
公開講座を 受講すると 車で 運転して 構内に
入れる 許可証(一年間有効) も 頂けます。
放送大学(BSTV利用) 大学院の 情報も 得られます。
毎朝 楽しみにしていたが 最終回になった。
お雛様で アップした 写真の 台として 写っていた 小引き出し箱に
一緒に 仕舞われていた 身分証明書
帰省する 切符を 買う 学割申請の為だったが
なぜか 2枚残っていた。
昭和10年に 東京青山で
アメリカ帰りの 中村ツヨ先生が 教えていた レデイス洋裁学院に
寮(若葉寮)が 出来たのを 知って 母は 上京した。
寮の 友人は 上海 台湾 大連など
外地(日本本土でない)処の 人が 多かったそうだ。
未だ 和服を 着ている 人が ほとんどの時代だったが
むしろ そのような 土地のほうが 洋服は 普及していたのだろう。
入門科 3か月の後の
本科 3か月は 毎日 1着を 仕上げたそうだ。
先生には 男児が 二人いて 喧嘩のときは
英語になったのが 可笑しかった。
スポンサーは 青山墓地の 大きい 石材店だったそうで
催しがあると 社長が 顔を 出したそうだった。
この学校についての 情報をぜひ 知りたい!
先生の名前は 普通なら 千代 だと思われるが?
先生の親御様は どちらの ご出身だったのだろうか?
当時は 田舎の旧家へ 嫁したら 目立ちすぎて 家風に合わず
洋服は 着られない等の 理由も あって
そのうん年後に 母は 宇都宮の 中心部で 既製服の
卸 兼 小売をしていた 我が家へ 遥々と 嫁に来た。