Aちゃんの舌代日記

写真付きで日記や趣味を書く

青木繁の アートの周辺 芳賀町 その2

2013年01月29日 | 美術散歩

あの おなじみの 「海の幸」が モザイク 大壁画になっている。

明治37年(1904) 千葉県布良海岸に 福田たね 坂本繁二郎 等と 

滞在中に 描いた。

後ろから 4人目 一人だけ こちら向きの 白い顔の 女性。

作品製作後に 青木は 福田たねを モデルに 書きなおした。

 

国道123号を 宇都宮市から 益子町に 向かう 途中

芳賀町 水橋付近の 五行川の 堤防に 巨大な モザイク。

元の 実物は 長辺が 180センチ程 短辺が70センチ程だが。

此のサイズは いろこの宮と ほぼ同じ。(縦横が 反対)

共に 重要文化財で 油彩 キャンバスも 同じ。

 

いろこの宮と共 福岡県久留米市の 石橋美術館の所蔵。


青木繁の アートの周辺 芳賀町 その1

2013年01月28日 | 美術散歩

前回の 創作人形展で 訪れた 芳賀町の 知恵の環館には

大きく 素晴らしい ステンドグラスがある。

図書館部門の 傍に在り

開館していれば 展覧会が 終わってからでも 見られるから

道の駅はがへ 行ったら 寄り道してでも 見たい程。

原則的には 月曜休館。

青木 繁 (1882~1911) は 

わだつみの いろこの宮 1907(明治40年) を 芳賀町で 描いた。

五行川 傍の 恋人 福田たねの 生家に 来ていて

そばに現存する農家 黒崎家を アトリエに 借りて描いた。

豊玉姫の モデルは 福田たねで

海幸彦は 当時 中学生だった たねの弟。

後ろ向きの 侍女の モデルは たねの友人だった。

海幸彦が のぼっている樹木は たねの生家に あった 金木犀を

モデルにしていて この木は 今もあり 大木になって 残っている。

 

いろこの宮 とは 魚のうろこのように作った 宮だそうな。


奈須野悦子 創作人形展 芳賀町

2013年01月27日 | 美術散歩

現代と 懐かしい 数十年前の 庶民の 風俗を 

リアルに 高度で 緻密な 技術で 人形に 表現している。

芳賀町の 道の駅の 東南の 町総合情報館(知恵の環館)へ。

2009年11月 同じ作者の 個展が 宇都宮市石井町の 

外池酒造さんの 傍の 小さなカフェで あった。 

その際は 狭い 空間で 見学者同士 背中を 互いに 交わしながら 見学した。

素晴らしいものを 拝見したと 満足感を 口にしたものだった。

作者も 和服で 控えられていて 素敵な方だった。

もっと 良い舞台で 鑑賞したいと 願ったが ついに 実現した。

人形の 素材には 無縁と思われる 初老の男性や 老人も

見事に 表現されていて ほほえましい。

紳士服の ポケットの 片玉縁や 

ランニングシャッツの バイヤス縁とりまで 洋裁技術まで リアル。

 

19組のセットが 展示されている。2月2日(土)まで。


宇都宮美術館 社会人学芸員 1

2012年04月06日 | 美術散歩

市の公報「うつのみや」で 社会人学芸員を 募集していた。

パソコンで 募集要項を 検索してみると

ワークショップ形式の グループ研修らしい。

アンケート形式の 作文を 添えて 申し込んだ。

どんな人が 申し込むの だろうか?

講義形式の 研修会などに 参加してみたことはあったが

参加者は 退職された 男性が 多く

同好の 仲間が 出来ると いうものでもなかった。

応募者が 多かったそうで 定員よりも 多く 採用された。

年代は 若い方から 各年代で 自分と 同年代の方もいた。

期間は 半年と 長いので どうなるか?と 思った。

下野の 記者が 来ていたのは 1月だったから

記事は ボツになったものと 思っていた。

もっと 後に 資料などを 準備してからと 思っていたが。

先日の 鞍掛山は 此の 関連です。

 


郷土の巨匠画家 米陀 寛

2012年02月04日 | 美術散歩

市の文化会館に 巨大な 陶板の 壁画があります。

米陀 寛(1917-2005)さん 郷土の 巨匠です。

横長の画面なので リサイズが 不適当か? 

隣の 市の 中央図書館にも

(新しく 南図書館が 雀宮地区にできたので 此の名前に なりました。)

巨大な 陶板の 壁画が あります。

此れには 説明がつけられて います。

居住されていた 近くの  豊郷中学校にも 次の 絵が あります。

 

いずれも 少年と 小鳥が 描かれています。

探して みましょう。

素敵な 絵でしょう。