Aちゃんの舌代日記

写真付きで日記や趣味を書く

老舗料亭「明治屋」で 同級会

2013年06月17日 | 日記

中学の 同級会 始まって以来の 老舗料亭。

戦前は 師団の 将校さんの 宴会が 華やかだったであろうか。 

幹事さんが 担任の O先生の米寿 祝いをかねての 豪華版。

20名の 古稀過ぎた 同窓生が 集まった。

近年にはない 盛会となった。

卒業以来 初めての方も 参加された。

めったには 来られないので まず 門前で 記念の写真。

明治屋の ページを 御覧下さい。

司会の挨拶 乾杯の後

先生のご挨拶。 記念の 集合写真を 写す。

昼席ながらも 豪華な お食事を 頂きながら 歓談。

写真は 上を リンクで 見られます。

和服に 白い長エプロンという 竹下夢二風 

戦前の カフェ女給さんスタイルの 

仲居さんが 出来た 順から 運ばれてくる 

懐石くずしという ものだそう。

ご飯の後 昼席にしては 豪華な

デザートも 二皿頂き

目や舌で楽しんだ だけではなく

お腹 いっぱいで 此の後は  

ココスへ 場所を替えて ティタイム歓談した。 

 

60人 弱の クラスメートが 卒業したが

判っているだけでも 既に 11人が 鬼籍に 入り

出席出来ても 体調については 気弱な 声も聞かれる 年となった。

元気組は 今も 現役で 働かれている 数名もいる。

 

明治屋の お料理は こっそり 幹事から 聞いたところ

昼席の 最も お手頃な コースだったそうだが

此の年齢層では 量的にも 充分 満足。

酒量も 年相応に 落ちているので

次期 幹事をする立場では 参考になった。

JR西口からの 大通り一直線ですから バスの便は 良い場所ですが

駐車場の情報は ホームページには無いので

電話で 確認した方が良いでしょう。


お茶 紅茶 コーヒーにみる 文明

2013年06月07日 | 日記

宇都宮大学の公開講座。

「世界文明と日本」 グローバリゼーションと日本のあり方

第一回の 講座が始まった。

定員は20名の 募集だったが 申し込み者が 多く 倍の受講者だった。

国際学部客員教授 神長善次先生。

 

授業の前に 先生は 受講生全員に 珍しい アラブコーヒーを 配る。

アラビアの コーヒーの器具を 見せて頂く。 

ナツメヤシ(種入り)の 半乾物状態の パックが 回って来る。

見た目は プルーンの 半乾物にそっくりだが 味わいが違う。

コーヒーは エチオピアに 始まり

1500年代に アラブから トルコへ

中部ヨーロッパ ウイーンへ

1800年頃に 西欧 フランスに 普及して

生産地が 植民地の カリブ諸国 ジャワ アフリカに 広まる。

インスタント コーヒーの 普及で 大衆化。

コーヒー文化は 長い時間かかって 変化してきたのでした。

北回帰線より 南の地域でしか 生産出来ない。

 

以降は 茶についても。

「文明とは何か?」

コーヒー 紅茶 お茶 という 物質を とうして

文明論の 入口が 展開された。

 

受講生は 団塊世代以上が 多いようだった。

珍しい ネパールの お茶の 香りを 嗅いだり

全5回の講義が 楽しみに なってきました。


母の習字 昭和戦前

2013年05月19日 | 日記

先日 うれしい事があった。

年長の 従姉妹が 隣県からの 旅行の途中に

娘夫婦に 頼んで 車を まわして 立ち寄ってくれた。

お土産を 頂いたが

何よりも うれしかったのは

先年 93歳で 逝った 母の お習字を 持参してくれたことだった。

以前 電話で 其の存在は 知らされていた。

従姉妹の 母 (母の姉)が 保存してくれていたのだった。

綺麗な 包み紙等を 再利用する為に

大事に 保存して 紙箱に溜めて 箪笥にしまったそうだった。

その中に 母が 水戸高等女学校時代に 

寄宿舎や 下宿から 持参した 習字も 仕舞われていた。

現在では 中学三年生に 相当する 年齢の 作品。

学校に 提出したもので 赤い検印が有り 展示されたのか 

四隅に 鋲の 跡が あるものもある。

 

自分達 姉妹が 母を 超えられなかった 事は 多かったが

技術的な 器用さも その一つだった。


大震災2年目

2013年03月11日 | 日記

あの日から 2年。人々の意識も価値観も変わった。

今年も 初めて 水仙が 日向で咲いた。

 

東日本大震災の あの年の 3月の日記を読見返す。

 

東北で 地震と テレビに出てすぐに 停電。

停電 一昼夜だけの体験で 済んだが 

大地震 大津波も大変だったのに さらなる被災は 今も続く。

「栃木県は 電気の自給は出来ず 福島から 電気はきている。」

と 東電の 広報誌に書いてあったが 原子力発電とは 書いてなかった。

漠然と 水力発電所が 沢山あるんだなと 思っていた。 

福島県には 山登りやスキー 観光には 何度も 行っていたが

浜通り地方へは 常磐ハワイだけしか 行った事はなかった。

前年に 北海道の道南観光に行き 

偶然にも 泊原発の傍をバスで 通過していた。

すぐ傍は トンネルで通過して 何も見えなかった。

認識不足。胸が痛む 

 

亡くなられた方の ご遺族は 三回忌を迎える。


確定申告

2013年03月08日 | 日記

此の季節 頭の痛い問題。確定申告は 3月15日(金)迄。

給与だけの サラリーマン家庭でも 関係ない 話ではない。

病気や 事故 災害で 大きく 経済的な 損失の在った方。

申告すれば 収めた税金が 戻ります。

日頃 書類を まとめておき 準備しておくことです。

 給与や 年金の源泉徴収票 

 生命保険や 地震保険の控除証明書

 医療機関の 領収書

 損失関係の 証明書や 領収書

始めて 確定申告をした 新聞記者の 体験談が 新聞に出ていた。

申告書類は 会場等で 手に入り ネットで 申告もできるが

分からないと 進めない為 会場へ 出向くことになる。

 

申告書が 全部 出来あがっていれば 

待ち時間は あまり無く 申告は済む。

出来なかった場合は ほぼ百人待ち 状態になり

番号順に 呼び出しを待つ事になる。

 

仕事をしていた時代は 税理士に お任せしていたが

(当然 それなりの 顧問料と料金は お支払した。)

年金暮しで ひまが出来てからは

自分で 書きあげて 申告を 済ませた。


スペインの絵ハガキの ミニミステリー

2013年02月25日 | 日記

先日 学生時代の登山サークルの 同窓会があって 盛会だった。

半世紀ぶりの 仲間達にも 会って 話は 尽きなかった。

其の折の スナップ写真等を 折を見ては

印刷して お送りしていた。

その後に お電話を 下さる方 自筆の 絵を 葉書に 書いて

下さる方もあって うれしい。

Tさんからは 旅行先で 購入されたらしい 絵ハガキに

近況などを 書いて下さった。

スペインの 有名な 寺院の 絵ハガキだった。

文面の書いてある 面を 良く見ると

西洋風に 横に使う場合は もちろん

此の様に 日本風に 縦の葉書としても 使用できるように  

対応して 構成されていた。

 

此処で 注目!

最上部分の 赤い 郵便番号の 七ケタのワクは 追加して

あとから スタンプされたものであることが 判るが

現地で 追加して スタンプされて 売っているのか?

日本とは 異なり 絵ハガキは 数枚組の セット販売ではなく

バラ売り販売の物を 選ぶスタイルのようだが

買い上げ時点での サービスで 枠をスタンプしてくれたものか?

いずれにしても 日本では 先頭が 三個のワクで

続いて 四個のワクが連なる。

此れが 左右 虐転している。

 

日本国内の 郵便局等で ハンコを 押す場合

ハンコの 上部背面には 表示が してあるので 間違う事はない。

 

ちょとした ミステリー。


春子屋の おだんご(茨城県常総市 本石下)

2013年02月09日 | 日記

めったには 登場しない 美味しいもの。

Tさんからの 到来物です。

やわらかくて なんとも 表現できない 歯ざわりの お団子。

串には 刺してない。

 口どけの良い 濾しあんが 絶妙。

 

先日 おからこんにゃくを 差し上げた Tさんが 

仕事帰りに 買い 即 お届け 頂く。

此の方は 数十年 仕事先 一円で 地元の産物を 購入されていて

その情報は 半端でない。  

自分には 仕事中に 此の 余裕は 無かった。

 

あまりの 美味しさに おもわず アップした。 (^◇^)

 


テレビ放映60周年 当時は?

2013年02月01日 | 日記

2月1日 今日は 60年前 日本で テレビ放映が 始まった日。

その頃は 小学生ながら 新聞を 読み始めた頃だった。

一般家庭が テレビを 購入出来たわけではなく

電気器具店等が 街頭に向けて 設置した テレビで

力道山などの プロレスを 大人も 黒山になって 見ていた。

小学生は 夕方になると 子供向けの NHK ラジオ放送が 楽しみだった。

ヒャラ~リ ヒャラリーコで 始まる 「笛吹き童子」とか。

当時の 自分の 写真を 此処に 載せるのも はばかられるので

当時から 使用している 自分用の はさみ。

小学生に なっていた 自分達それぞれに

父が 東京に 仕事で 行った時に 買ってきた。

最初は 先端は とがっていたが

学校へ 工作の為 持参して 友人達に 使いまわされて 欠けた。

当時 文房具店には 手ごろな 洋式鋏は 売って無く

学校へ 親が 持参させたのは 和裁の 糸切り用の 握り鋏が 多かったので

小学生が 紙工作するには 不適当だったからだ。

写真の鋏は 東京の下町の職人が 作ったで あろうか。

ネジを外して 分解して 砥ぎやすかった。

手ごろな 大きさで 便利だったので 

学生時代の 登山合宿には 衛生掛りの 備品として 重宝した。

足の マメの治療の際に 絆創膏や ガーゼで 手当することが 多かった。

バンドエイドという 便利品が 出まわったのは 随分と後だった。

砥石で 砥いで ピカピカにしよう。   


例年にない寒さ 雑感 その1

2012年12月30日 | 日記

地元生産の 土付きの 根野菜を 買ってきたので 戸外の水道で 洗おうとした。

此の節 当地では バケツには 氷がはっているが

持ち上げて ビックリ。

 

測ってみたら 厚さ 約 8センチ。

例年にない 寒さで 雪国では 50年ぶりだとか

観測の 例がないとか。御苦労が しのばれる!

今は 老人ばかりに なった過疎地では 

雪おろしも 大変だろうし

車通勤になった 今は 昔とは 違う 苦労がある。

  

近年 日光等では 積雪が 少ないため 鹿が 増えた。

子供の鹿が 生き延びる率が おおはばに 増えた為である。

増えた鹿は 大量に 植物を 餌にする為

シラネアオイ等 貴重な 高山植物が 絶滅しそうだ。

植物が 育たず がけ崩れなど 自然破壊が 進む。


みなとみらい(横浜)の 大ツリー

2012年12月16日 | 日記

知り合いの ブログを 時々見る。

身内のも 見ていたら 今年の 横浜の みなとみらいの タイムズスクエアのツリーの写真。

同じ 場所で 昨年 撮影したのを 携帯の 待ち受けに していたので

すぐわかった。

此れは 昨年 11月 中旬に 早くも 飾られていたもの。

当地 宇都宮では 横浜 フリー観光は 5000円位で 日帰りバスツアーがあるが

インター コンチネンタル ホテルへ 泊ろう! しかも 安く!

というのを 決行した。

おきまりの 観光コースでは 行けない 山手の 洋館群を 歩いた。 

 

今年の ツリーは 折原みと ブログで 検索すると 12月 16日に 写真が でている。

漫画家。茨城県出身。

 


ホームカミングデイ(第2回)

2012年10月28日 | 日記

宇都宮大学ホームカミングデイ(第二回)へ行ってきた。

要するに 全体同窓会。

第1回は 2010年4月29日(祝)に行われた。

前回は 体育館で 全学部の 式典が メインだったが

今回は 初めから 学部毎に。

 

農学部は 大正時代に 高等農林が 出来てから 90周年で 盛大だったようだ。

自分達の 教育学部は 階段教室で 

音楽教育の教授達による演奏会 

教育学部の スライドショー フォーラムの後 

 たかぞらに~  みねがおか  と 歌う 何と 4番まで あったのね!

別室に 移動して 前回とは 異なり

丁度 時分時で 軽食の 立食パーテイ

前回よりは 広報も 少なかったので 出席者も少なく

お会いできた 同学年の 友人は 同窓会副会長になっていた Mさんだけ。

半世紀ぶりながら 良く覚えていてくれて

友人の 消息も 教えてくれた。

おなかも いっぱいになったので 学内を散策。

会費なし 無料ですぞ!次回は ぜひ 参加しましょう!

付属農場の 産物も買って 自然と 足は 旧講堂へ。

建物は 講堂と 旧図書館の 大谷石の 書庫以外は 全部建て代わっている。

数年前に すっかりと 綺麗に リニューアルされて 大正ロマン。

地域の 各種の行事に 貸し出されるが 内部は 普段は 見られない。

下の 右は 入口から 舞台を望む。

下の 左は 自分が 毎日 巣くっていた UWVの元部室。

正面の窓の 銀杏は 未だ 青かった。黄色になると 大学祭。

今回は 図書館で 卒業生の 著作物が 展示されていた。

上野動物園の園長だった 中川志郎さん その他。

此の図書館は 原則的には 誰でも 利用出来る。

しかも 長期間 開館していて 便利です。

 

かっこ良いバッグには 宇大グッズの ロゴ入りの ボールペンと メモ

沢山のパンフレットも 頂き 寄付の振り込み用紙とともに 持ち帰る。

 

 


ハローウイン近し

2012年10月15日 | 日記

ハローウィンは 今月末だそうで 店に グッズが 並べられた。

かぼちゃの お化けランタン ジャックオランタン。

 

作家 林真理子さんが 数年前に 週刊誌に書いていた。

首都圏の ある住宅地で 子供たちが 近所の家を 回って

お菓子を 貰って歩く と。 キリスト教の 行事だそうだが 

今や 全国的な 行事として 定着しているのか。

先ごろ アップした 当地の伝承行事 ぼうじぼ も 同様に

子供達が お菓子や 小銭を 貰って歩いた。

 

一昨年の秋 那珂川水遊園では 御覧の様な 巨大な かぼちゃが

青空のもとに 沢山 行列を 作って 飾られていた。

中身は ナーンダ?

刈り取った 牧草を 大掛かりな 機械で グルグル捲きにして 保存するが 

ついでに かぼちゃの様に ペイントした アイデアは 見事。 

 

ハロウィングッズの お化けは 皆怖いが

こんな かわいい 日本式 ペイントも ユニークじゃないかな?

キャノン クリエイテイブ パークで 検索すると

ハロウィン特集で カードやクラフトが 作れるよ。

 

おまけ 

七五三や お正月など 日本の 伝統行事 用のも ある。

 

 


お施餓鬼(せがき)と宇都宮大仏

2012年10月08日 | 日記

寒露だそうで 朝晩は 寒くなった。

体育の日でもあるが お寺参り。彼岸花を お墓に 供える事が出来た。

お施餓鬼は 駐車するのが 大変なので 

後日 お塔婆(とうば)を 頂きに行くことが多かった。 

近年は 法要の前に アトラクションが 企画されるようになった。

奈良の大仏様の 開眼(かいげん)の時も 盛大な アトラクションが 行われたそうで

特段に 珍しいものでもないそうだ。

法要の後

大変な数の 塔婆が 並び 頂くのも 容易ではない。

天気が 良かったので 何よりだった。

由来は 検索すると 出てくる 文化財である。

宇都宮大仏 善願寺 


秋の交通安全旬間(9月21日~30日)

2012年09月21日 | 日記

当番が 回ってきた。

朝の ラッシュ時間に 街角に立つ。

朝方は 小雨もようだったが 日差しも 出てきた。

早々に 宇都宮市内の 国道119号で 死者が出てしまった。

 

回覧板で 回ってきた「 けいさつだより」を 拝借して

何回か 作っても 忘れてしまう コラージュの 復習。

帽子をかぶった 青い鳥 ルリちゃんは

栃木県の 高山にいる 県の鳥 おおるりにちなんだ

県警の シンボル。

 

ついでに 検索すると 近隣各県の シンボルが 見られた。

男女 1対になっている 県もあるが お決まりのように

ブルー 一色のなかで 神奈川県だけが 黄色だった。

 

 

 


地井武男さん 亡くなる

2012年07月03日 | 日記

ちいさんぽは 6年つづいたそうだ。

当初から 見ていたわけではないが

体調を 崩して 番組を 降板したのは 数ヶ月前だった。

最近まで 快調な 散歩風景を 見ていたので

6月30日に 急に 心不全で 亡くなるとは? 70歳。

 

らいらくな(字が 変換されない!)散歩の情景は 楽しみだった。

同世代の 男性の オフの カジュアルな 服装が

垢ぬけてきたのは 彼が 手本か?