Aちゃんの舌代日記

写真付きで日記や趣味を書く

NHK カーネーション 最終回

2012年04月01日 | 日記

毎朝 楽しみにしていたが 最終回になった。

お雛様で アップした 写真の 台として 写っていた 小引き出し箱に

一緒に 仕舞われていた 身分証明書

帰省する 切符を 買う 学割申請の為だったが 

なぜか 2枚残っていた。

 

昭和10年に 東京青山で

アメリカ帰りの 中村ツヨ先生が 教えていた レデイス洋裁学院に

寮(若葉寮)が 出来たのを 知って 母は 上京した。

寮の 友人は 上海 台湾 大連など

 外地(日本本土でない)処の 人が 多かったそうだ。

未だ 和服を 着ている 人が ほとんどの時代だったが

むしろ そのような 土地のほうが 洋服は 普及していたのだろう。

入門科 3か月の後の

本科 3か月は 毎日 1着を 仕上げたそうだ。

先生には 男児が 二人いて 喧嘩のときは

 英語になったのが 可笑しかった。

スポンサーは 青山墓地の 大きい 石材店だったそうで

催しがあると 社長が 顔を 出したそうだった。

この学校についての 情報をぜひ 知りたい!

先生の名前は 普通なら 千代 だと思われるが?

先生の親御様は どちらの ご出身だったのだろうか?

 

当時は 田舎の旧家へ 嫁したら 目立ちすぎて 家風に合わず

洋服は 着られない等の 理由も あって

そのうん年後に 母は 宇都宮の 中心部で 既製服の

 卸 兼 小売をしていた 我が家へ 遥々と 嫁に来た。