風はあるけれど暑い
今日は8月15日、終戦記念日です。
戦後69年経ちました。
風化させてはなりません。
私は3歳の時、中国の新京(現在の長春)で終戦を迎えました。
父が中国の商社で仕事をしていましたので、あちらで生まれたのです。
日本に引き揚げたときは4歳になっていました。
結構、その時の記憶が残っています。
敢えて、ここでは体験談は記しませんが。
現地召集されていた父は、戦後すぐに、私たちの元に戻りました。
しかし、すぐにソ連兵に連行され、捕虜としてシベリアに抑留されたのです。
厳寒の下、厳しい強制労働で身体を壊して3年後に帰国しました。
東京、巣鴨で生まれた親方は戦災に会っています。
空襲で焼夷弾が降り注ぐ中を逃げ惑ったと聞きます。
焼け跡でのバラック住まい、庭でサツマイモを育てた話などをよくします。
当時、小学生だった友人は江東区で空襲に遭いました。
阿鼻叫喚の火の海を逃げ惑い、一夜明けたら、累々たる焼死体の山。
恐怖におののきながら数日間歩き通して、八王子の親戚の家に辿り着いたそうです。
むごい話です。
戦争は残酷です。
私の母方の叔父は江田島海軍兵学校の67期生です。
私が生まれた年の5月、飛行機が博多湾に墜落して殉死しました。
毎年、5月に靖国神社で慰霊祭が執り行われます。
祖母と叔母にお参りを頼まれ、複雑な思いで参列しました。
私的には靖国神社に対して素直に受け入れられない思いがあったからです。
優しくして頂いた同期の方々も、今は天に召されてお目にかかれなくなりました。
生き残って恥ずかしいとおっしゃったNさんの言葉が耳に残っています。
同期の方々もたくさんの思いを抱えて戦後を生きていらっしたのですね。
全国戦没者追悼式
サギソウ