めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

熱いトタン屋根の親方?

2014-08-15 23:00:00 | 日記
                               
 
 夏の庭に咲く涼しげな花


                       サギソウ  
                    白鷺が飛んでいるようです




                        白いベゴニア 

 
           名前を忘れましたが繁殖力が凄くて庭のあちこちに


 
今日(8月15日)、親方はまた、屋根に上がる気でした。

  我が家の平屋の部分の屋根はトタン葺きになっています。
  勾配は緩やかで、2階のベランダから簡単に行き来できます。
  この暑さで屋根は熱したフライパン状態。
  さすがに親方、本日、屋根での仕事をあきらめました。
  私にすれば、取りやめる以前の問題です。
  屋根での仕事は全面禁止です。
  今日も止めてくれるように申しましたが、頑として聞き入れてくれません。
  聞こえぬ振りです。
  馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘。
  親方のためにある言葉です。

  エリザベス・テーラーの『熱いトタン屋根の猫』という映画がありましたね。
  「熱いトタン屋根の親方」は洒落にもなりません。
  
  
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終戦記念日

2014-08-15 14:00:00 | 日記
                               
                     

風はあるけれど暑い
   今日は8月15日、終戦記念日です。
   戦後69年経ちました。
   風化させてはなりません。
 
   私は3歳の時、中国の新京(現在の長春)で終戦を迎えました。
   父が中国の商社で仕事をしていましたので、あちらで生まれたのです。
   日本に引き揚げたときは4歳になっていました。
   結構、その時の記憶が残っています。
   敢えて、ここでは体験談は記しませんが。

   現地召集されていた父は、戦後すぐに、私たちの元に戻りました。
   しかし、すぐにソ連兵に連行され、捕虜としてシベリアに抑留されたのです。
   厳寒の下、厳しい強制労働で身体を壊して3年後に帰国しました。

   東京、巣鴨で生まれた親方は戦災に会っています。
   空襲で焼夷弾が降り注ぐ中を逃げ惑ったと聞きます。
   焼け跡でのバラック住まい、庭でサツマイモを育てた話などをよくします。
  
   当時、小学生だった友人は江東区で空襲に遭いました。
   阿鼻叫喚の火の海を逃げ惑い、一夜明けたら、累々たる焼死体の山。
   恐怖におののきながら数日間歩き通して、八王子の親戚の家に辿り着いたそうです。
   むごい話です。
   戦争は残酷です。 

   私の母方の叔父は江田島海軍兵学校の67期生です。
   私が生まれた年の5月、飛行機が博多湾に墜落して殉死しました。
   毎年、5月に靖国神社で慰霊祭が執り行われます。
   祖母と叔母にお参りを頼まれ、複雑な思いで参列しました。
   私的には靖国神社に対して素直に受け入れられない思いがあったからです。

   優しくして頂いた同期の方々も、今は天に召されてお目にかかれなくなりました。
   生き残って恥ずかしいとおっしゃったNさんの言葉が耳に残っています。
   同期の方々もたくさんの思いを抱えて戦後を生きていらっしたのですね。
   
    
   
                         全国戦没者追悼式
 

                         サギソウ
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友だちは宝物

2014-08-15 00:10:28 | 日記
                                
                    
 学生時代の親友から便りが届いた
   娘を亡くした私を陰ながら気遣ってくれていた友。
   私がブログを始めたことを知らせたら早速、読んでくれて、
   元気になったようで嬉しいとの便りだった。
   お便りありがとう。
   
   彼女とは54年に及ぶ長いつきあいだ。
   学生時代、彼女と二人でリュックサックを背負って、東北一周の旅をした。
   彼女は小柄で私は大柄の凸凹コンビ。
   おっとりした彼女と慌てん坊の私。
   何故か気があった。
   52年前の夏休み。楽しい7日間の旅だった。

   学生時代のもう一人の親友と彼女とで、娘が10ヶ月の頃、我が家に来てくれた。
   私が一番早く結婚して、二人はまだ独身だった。
   
   二人とも、娘の赤ん坊の時から大人になるまでを見守ってくれた。
   勿論、娘が闘病中も心配してくれた。 
   それだけに、気落ちした私に声を掛けづらかったことであろう。
   申し訳ないと思う。
   感謝の気持ちでいっぱいだ。

   彼女は名古屋、もう一人の友は宝塚に住んでいる。
   宝塚の友もブログを見て、時々、メールをくれる。
   持つべき物は友だちである。

   いつか、3人で集まって学生時代のように楽しくお喋りがしたい。
   私以外はまだまだ若々しくてとても72歳には見えないのだ。
   
   私は、東京オリンピックの年から東京に住んでいる。
   それから今日まで友だちがたくさん出来た。
   みんなみんな大切な友だちだ。
   貧乏だけれど、友だち持ちだ。
   
   ブログを始めて、ブロ友も出来た。
   お目にかかったことはないけれど、大切な友だち。
   友だちは宝物だ。

知り合いから赤いジャガイモを頂戴した。
   その方の奥様とも娘が小さい頃からのお付き合いだった。
   気持ちの優しい方でいつもにこにこしていた。
   60代で認知症になられ、ある日、私が挨拶したら首をかしげられた。
   私が誰だか分からなくなっていた。悲しかった。亡くなられて10年経つ。
   ご主人がお元気で畑仕事に精を出されている姿を見かけるとほっとする。

            
                    サツマイモのように皮が赤い
            
                ポテトフライにしたらほくほくして美味でした
コメント (6)
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