
















昭和54年頃の覚え書きらしい。
料理のレシピ、娘の中学入学、息子のカブスカウト入団準備など、その他色々と
メモ書きしてる。娘13歳、息子9歳の頃だ。
懐かしくて、ガラクタに埋もれて読み耽った。
「第1回家族会議」なる表題のぺージでは、思わず声を出して笑ってしまった。
昭和54年9月29日、出席者・・・家族4人の名前が記してある。
①ペコのせわ (この項目の部分は息子の文字で記してある)
まえのとおりぼくとお姉ちゃんがペコのせわをする。散歩を休んだよく日は、
ばつとしてあそびにいけなくすること。
②○○(娘)はいつも爪を綺麗にしておくこと。
③2人ともお部屋を片づけること。
④△△(息子)はテレビの見過ぎです。約束は一つのはずです。
四項目の約束事が記してあった。私、結構、厳しい母親だったようだ。
ペコは雑種犬だった。息子が6歳の時、生後3カ月で我が家にやって来た。
13歳まで生きた。
私の妹夫婦の飼い犬エリザベスが一週間ばかり家出をして、その結果5匹の
子犬を産んだ。父親は付近をウロウロしていた不器量な野良犬らしかった。
生まれた中の1匹がそれに似ていてのだ。
エリザベスはスコッチテリアの雑種で毛足が長くて優雅でおとなしい犬だった。
可愛い子犬から貰われていった。
最後に残った父親似の子犬が我が家にやって来た。それがペコだ。
娘がぺス、息子がコロという名前を提案。両方の意見を合わせてペコにした。
雌犬だったので可哀相だったが避妊手術をした。
焦げ茶色の小型犬。少しばかり出っ歯の風貌は雄犬のようだった。
息子は弟のようにペコを可愛がった。でも、時々、暗くなるまで遊びほうけては
ペコの散歩を忘れることがあった。
「約束を守れない人は出て行きなさい」と、私が叱りつけると、
息子は布袋にお気に入りのミニカーと目覚まし時計を詰め込んで玄関を出た。
行き先は庭のペコの小屋だ。私はかまわず家中の雨戸を閉める。
暫くして、そっとペコの小屋を覗くと、息子はペコと抱き合って丸まっていた。
暗闇の中、ペコの目が青く光っていた。私はそっと家の中に戻った。
やがて、仕事から帰宅した夫が息子を家に入れるのだった。
子供たちが成長するにつれ、ペコの散歩は夫と私の役目になった。
ペコはドッグフードが苦手で、味噌汁をかけたご飯と胡瓜が好きだった。
夫がそのように育ててしまったのだ。
長い胡瓜を器用に前足で持ちポリポリと囓った。
犬にご飯と味噌汁は良くない。結果、肥満犬となり、散歩中に狸みたいだと笑われた。
冬の寒い朝、ペコは逝った。高校生になった息子がペコを抱いて泣いていた。
家族でペコの死を悲しんだ。
そして、夫と私は、もう、犬を飼うのはやめようと約束した。
あれから、26年。老夫婦だけの暮らしになった。
ペコに似た犬のぬいぐるみが息子の部屋にぽつんとある。
