めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

お先走りの私

2014-07-17 12:07:09 | 日記
                          
                      

先日、ふきちゃまのブログを訪問して、私も、昔、同じような経験をしたことを
  思い出したので一筆。
「お先走りの私」

 スーパーマーケットのレジでのことである。
 篭をカウンターに乗せようとすると、掌ほどの小箱が一つ置いてあった。
 先客の篭からこぼれ落ちたのであろうか。
 私は、レジの前で財布を開けている茶髪の若い女性に声を掛けた。
 「これは?」
 「いま、やっているところだよ。他人のこと、きゃんきゃん言うんじゃねぇよ」
 彼女はドスのきいた声で言うと、鋭い目つきで私を睨んだ。
 30歳前後であろうか、ジーンズにベージュのセーターを着ていた。
 化粧っ気のないスレンダーな身体から出たとは思えない迫力。
 私は蛇に睨まれた蛙のようにたじろいだ。
 いい年をして情けないかな、私は咄嗟に声が出ずただ彼女の横顔を見つめていた。

 茶色のサングラスを掛けたお先走りのお節介婆こと私は、その時63歳。
 戦中生まれで、少々のことには動じない人生を送ってきたつもりだが、
 最近ではすっかり気力が失せてきた。サングラスは伊達じゃない。
 飛蚊症で瞳の中に虫が3匹飛んでいるのだ。眼科医に老化現象と言われた。
 高血圧症、高脂血症もちで、安定剤も手放せない。
 ストレスを抱えて、ただ耐えるだけの人生。
 きゃんきゃんどころか、大声で吠えたいことだらけだ。それを我慢している私に
 向かって、「きゃんきゃん言うんじゃねぇ」、とは何事だ。
 こちとらはきゃんのきもも発していませんわよ。
 些細なことで切れるんじゃないわよ。もう少し、穏やかに話せないのかしらね。
 彼女の冷たい横顔を見つめながら心の中でつぶやいた。
 でも、彼女のように啖呵をきったら、どんなにかすっきりするだろう。
 羨ましくも思う。
 彼女は支払いを済ませると、もう一度私を睨み付けて去って行った。しつこい。
 憮然とした思いで帰宅して、ことの子細を夫に話した。
 「余計なことをするからだ。他人にかまうなよ」、夫は一言。
 あれは余計なことだったんだ。私はお節介婆なのか・・・。
 
 十年近く経った今でも、思い出すと悔しい

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おいらん草の思い出

2014-07-17 01:55:58 | 日記
                            
                          
 
おいらん草の思い出と家族旅行

  炎天下、我が家の庭に、おいらん草が咲いている。
  別名、草夾竹桃とも言う。多年草で丈は1メートルほどだ。
  おいらん草とはよく言ったもので、紅紫色の手毬のように咲く姿は、妖艶な花魁を
  彷彿とさせる。しかし、おいらん草は悲しい花だ。

  35年前の夏、愛車、スバル360の軽自動車で家族4人、富士五湖巡りの旅に出た。
  娘13歳、息子9歳だった。
  八王子インターから中央高速道に乗る。軽自動車なので、すいすいというわけには
  いかない。常に左側車線だ。それでも、1時間ほどで山中湖に到着。
  山中湖、河口湖は人出が多く、車を止める場所もない。早々に退散して西湖へ。
  宿泊先は西湖のほとりにある民宿だった。
  小さな民宿で、お客は私たち家族だけ。
  西湖も人っ子一人見当たらない。
  水面を渡る風は爽やかで、子供たちは嬉々として水遊びに興じた。
  宿の食事は質素だった。宿の夫婦は愛想がない。素朴と言えば聞こえがいいが。
  文句たらたらの私と子供たちに、「民宿ってこんなもんさ」と、夫。
  いつも、夫のペースで事が運ばれるのだ。

  翌日は精進湖から本栖湖へ。
  本栖湖は透明度の高い湖だ。冷たい水の中、子供たちは震えながら泳いでいた。
  その後は身延山詣り。夫の計画する旅はいつも強行軍だ。
  勾配がきつく長い階段を汗びっしょりになって登ると、そこは別世界。
  天上に、静かな佇まいの久遠寺があった。晩年の日蓮の隠棲にふさわしい場所だ。
  下部温泉で一泊。何故か、ここの宿のことは全く覚えていない。
  いい記憶も悪い記憶もないと言うことか。

  翌日は山梨市を経て、塩山、大菩薩峠をこえて奥多摩を抜けて帰途につく予定。
  360CCの軽自動車、それも4人乗りでの山越えはきつかった。
  あえぎあえぎ登る我が家の車を自転車の若者が振り返りながら追い越していった。
  息子の悔しがることしきり。夫は苦笑い。私と娘はお腹を抱えて笑った。
  やっとの思いで大菩薩を抜けたときは、心底ほっとした。もうすぐ奥多摩だ。
  車を止めて休憩した。
  そこは丹波川の上流で、塩山と丹波村の境辺りだった。  
  丁度、車を止めた場所はおいらん淵と言って遊女たちの供養塔が立っていた。
  戦国時代、この辺りに武田信玄の隠し金山があった。その金山の閉山にあたり、
  秘密を守るために遊女たちを深い谷の上に架けられた舞台の上に集め、酒盛りの
  最中、綱を切り桟敷ごと谷底に落として沈めたそうだ。
  
  蒼く深い水底に、遊女たちの哀しみと恨みがこもっているような気がした。
  私は供養塔に飴を供えて合掌した。
  すると、不思議なことに、今まで薄暗かった辺りに日が射したのである。
  私は鳥肌がたった。 
  庭のおいらん草が咲くたびに、おいらん淵の供養塔と悲しい物語を思い出す。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする