野球狂の詩

2008年09月29日 11時04分50秒 | Weblog
野球観戦が好きである。

これは,育った環境に因るところが大きいと思う。
父が大の阪神ファンで,まだ舌もまわらぬ頃から
「六甲おろし」は3番まで完璧に歌えていた。

よく甲子園球場へ連れて行かれて,観戦していた。
阪神ファンは気さくな人が多く,小さな少女であった私は,
まわりの知らない大人たちに可愛がられ,おやつを貰っては,
「かっとばせー,○○!!」と
一緒になって声を張り上げていた。

縁あって,実家から離れたところへ嫁いできて,
甲子園へ行くことは無くなってしまった。
しかも,夫とその家族はみんな広島カープファン。
私の実家の父のような熱狂的ファン,という感じではないが,
やはりご当地球団があるというのは,
自然とテレビ,ラジオ,新聞などからの情報量も多く,
否応なしにカープ情報の中に身をおくことになるのだから,
カープファンになるのは当然のことであろう。

もれなく私もだんだんカープに興味をもつこととなっていく。
生まれた息子がこれまた大のカープファンとなり,
ほどなくして,初の「広島市民球場観戦デビュー」となった。

初めて広島市民球場を目にした私は驚いた。

「小さッ・・・」

そうなのである。
12球団中,一番小さい球場なのである。
子どもの頃から甲子園という大球場を見慣れている私にとっては
正直言って拍子抜けする思いであった。

しかし観戦を始めてほどなくして,私はだんだん分かってきた。
私は,阪神が好き,とか,カープが好き,というより,
野球そのものが好きなのだ、ということが。

特に,甲子園も広島市民球場もそうなのだが,
ドーム型ではない球場での観戦が好きなのだ。

ドーム球場でも何度か観戦したことはある。
確かに室温もちょうどよい具合に調整してあり快適だ。
それにも増して,試合の有無が天候に左右されないというのは大きな魅力である。
よほどの台風でも来ない限り,必ず試合があるので,
楽しみにしていた試合が流れてショック・・・ということは
まず無い。

でもやはり,ドーム型では味わえない良さがあるのだ。
そよ風や,時期によっては冷たい風を肌でじかに感じたり,
「暑い暑い」と言いつつ,団扇をバタバタさせながらビールを飲んだり,
日が暮れていくにしたがって徐々に変わっていく空の色を眺めたり,
という,様々なことをトータルで楽しむことが私は大好きなのだ。

昨日の試合をもって広島市民球場での公式戦は最後であった。
老朽化にともない,来年から新球場へ移るためである。
この新球場を建設するにあたって,ドーム型にするか,否か,で
ずいぶん揉めたようである。
結局ドーム型ではなくなった。
もちろん,それは費用の問題も大きかったとは聞くが,
私は,それでよかったな,と本当に思った。
選手にとっても,雨で試合が流れる,というのは,
モチベーションが下がることもあるかもしれないが,
「恵みの雨」となることも大いにあるのではないだろうか。

カープは現在,中日と同率3位で,
クライマックスシリーズに出られるかどうか,
一試合一試合,目が離せない。
例年なら,今頃はそんな争いからは蚊帳の外になってしまっていて,
消化試合を黙々とやっている頃なのに。
ましてや,今年は昨年までカープで最多勝だった黒田がメジャーへ移り,
同じくカープで最多本塁打だった新井がFAで阪神へ行き,
いったい,どうなることか,と思っていただけに,
ファンの皆さんも喜びひとしおであろう。

クライマックスシリーズで,もしも,もしも,
勝ってしまうようなことがあれば,
もう一度,日本シリーズという最高の試合が
広島市民球場で行われることとなる。
ファンのみんなは,その最高の「アンコール」を
待っている。
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例のおじいさん

2008年09月25日 12時07分11秒 | Weblog
昨日仕事の帰り,駐車場までの道で,例の

「白昼堂々プロポーズじいさん」

に出会った。(9月14日 「最強のジジキラー」を参照されたし。)

昨日は終日仕事が忙しかったため,ちょっと疲れて歩いていて,
誰とも話したくない気分だったので,なんとなく,

「あ・・・,会っちゃった・・・」

という感じだった。

じいさんは,いつも通りの満面の笑顔を私に向け,

「お疲れさん!今,帰りか?」

と話しかけてきた。
そうなのである。
優しく,気のいいじいさんなのである。

しかし,何となく気が乗らず,私は,
じいさんの連れていたパグ犬(画像参照)を
触って,お茶を濁していた。

そんな私の気持ちなどお構いなしに,
じいさんは「べっぴんさん,ちょっと痩せたんと違うか。」
などと機嫌をとってくる。

パグは老齢らしく,だいぶ足腰も弱りヨボヨボしていたが,
触るとひどく喜び,低い鼻をフンガフンガいわせていた。
やはり,犬はいいですね。
ひと撫でごとに,疲れた気持ちがすぅっと癒える気がした。

ちょっと機嫌を直した私は,じいさんに
「どうも,ありがとう。おやすみなさい。」
と,笑顔で挨拶をして,駐車場へと歩いた。

その道すがら,ふいに,私の頭の横で,
よく昭和のマンガであるような,豆電球がピカーンと光る感じがした。

じいさん、誰かに似てるな,とずっと思ってたが,わかった!

・・・パグ犬だ・・・

犬は飼い主に似ると言うけれど、激似である。
可愛いパグ犬に免じて許してやるか・・・(何目線)




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「アパッチけん」考察

2008年09月19日 21時51分48秒 | Weblog
昔,友人の妹のKちゃんと話していた時のことである。
好きなタイプの男性とか,そんな話題だったと思うのだが,
Kちゃんは
「私の好きなタイプは『アパッチけん』なんです~」
と言った。

・・・オドロイた。
「アパッチけん」が,好みの男性のタイプという人に初めて会ったので
オドロキだった・・・

だいたい,好きだからと言って,そうちょくちょくテレビに出るわけでなし,
どうやってその姿を楽しんでいるのだろう,とその時は思ったが,
「釣りバカ日誌」にレギュラーで出たり,ちょくちょく露出してるんですね。
世の中に,「アパッチけん需要」が割とあることを知ったのも
その時であった。

先日,NHKを観ていると,「趣味悠々」という番組で
アウトドア料理を楽しもう,ということで,
ダッチオーブンのことを特集していた。
アウトドア料理は割と興味があるので,腰を据えて観ることにした。

すると!
ナビゲーター役の男性が,なんと「アパッチけん」であった!
おぉ!ここにも「アパッチけん需要」が・・・!

しかし!
彼が登場するのとほぼ同時に出た,字幕スーパーには
「中本賢」
と書いてあるではないか!
えッ?人違い?
いやいや,この五木ひろし似の顔は
(そう言えば,芸人時代のネタの大半も五木ひろしのモノマネ
だった記憶が・・・)
明らかに「アパッチけん」だ!

どういう経緯で改名したのだろう、
とまず思った。
極めて「和顔」なのに,
どこからどうなって,「アパッチ」なのか,
そのワケのわからなさが,芸人としてメリットだったんじゃないのか?
と,私は,理不尽な苛立ちを募らせた。

気になった私は,インターネットで
「中本賢」
を検索してみた。
すると!!!
もっと驚いたことに,
「アパッチけんより中本賢へ1990年に改名。」
とあるではないか!!!
18年も前に改名してたのかッ!
世の中のどれくらいの人がそれを認知しているのか?

ますます気になり,私は更に調べを進めた。
すると,奥さんのお父さんが
出羽錦忠雄(大相撲・元関脇,年寄田子ノ浦・相撲解説者)
ということもわかった。
うーん,どういう馴れ初めだったのだろう。
謎は深まるばかりである。

今,日本で一番「アパッチけん」について熟慮しているのは
間違いなく私だと思う・・・
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最強のジジキラー

2008年09月14日 15時21分01秒 | Weblog
なぜか,昔からうんと年上の男性にモテる。
それもちょっとやそっとの年上ではなく,
どう見ても,

「おじいちゃん」

にさしかかったような人ばかりである。

同世代や,その前後の,いわゆる恋愛対象の年代のかたには
とんとモテない。
これは,私の生来の「オッサン」気質のためか。

例えば,私と夫が月極めで借りている駐車場の管理人のじいちゃん。
夫が私の分もまとめて駐車代を入金に行くと

「ほー,アンタがあさひさんのダンナさん,ほー。」

と,いつも言い,ジロジロ見るらしい。
そして,挙句の果てには,

「あさひさんにも,入金に来てもらってよ。」
と,のたまうらしい。

「オレが行ったらアカンのかッ」

と,夫は苦笑していた。

また,職場近くの和食屋のマスターのじいちゃん。
通りかかるたびに,にっこりと微笑みかけてくれ,

「ワシがもうちょっと若かったら,アンタを嫁さんにしたいわ。」

と,白昼堂々のプロポーズ。

・・・あの,読者のみなさん,これ,全部,60~70歳代のおじいさまばっかり
ですからね・・・

そんなジジキラーの私は,このようなことの枚挙に暇がないのだが,
その中でも,最強のエピソードが次のようなものである。

大学生時代,大阪で暮していた。
友人のYと,なぜそういうことになったかは忘れたが,
憂歌団のライブに行こうということになった。
前もってチケットをとっていたわけでなく,
思い付きだったような気がする。

憂歌団とは,大阪を中心に活躍するブルースバンドで,
Yも私も割と好きでよく聴いていた。

そのライブが行われるホールの前で待ち合わせて,
一緒に当日券を買おう,という約束になっていた。

地下鉄を降りそのホールへと向かう途中,
あるおじいさんが私ににっこりと微笑みかけ,話しかけてきた。

「あのー,お嬢さん,○○ホールへは,どう行ったらええんですやろ?」

○○ホールは,今,まさしく私が向かおうとしているところだった。
へー,憂歌団のライブ以外にも
今日はこんなおじいちゃんが参加する
ようなイベントを別部屋でやってるのかー,と思い,

「あ,私も今から行くところですから,一緒に行きましょう。」

と連れだって○○ホールへと向かった。

じいちゃんは大層喜び,ニコニコと笑いながらついてきた。
とても善良そうな人でたわいもない話が弾んだ。

ほどなくして,○○ホールへと到着。

「じゃ,おじいちゃん,またね。」

と,別れようとすると,そのじいちゃんは,

「あ,お嬢さん,今から憂歌団のライブですか?
それだったら,このチケットをどうぞ。
親切にしていただいたお礼です。」

とチケットを差し出してきた。

「えーッ!おじいちゃんも憂歌団のライブへいらしたんですかー!」

とビックリする私に,そのじいちゃんは,

「ワシ,憂歌団のボーカルの木村の父親ですねん。」

と言い放った!!!

かくして,私とYはじいちゃんからタダ券をせしめ,
まわりは憂歌団の家族ばっかりという,
すんごい席でライブを堪能したのである。

Yは
「あさひちゃんのじいさん吸引力,凄すぎるわ・・・」
と,感嘆しまくっていた。

Yよ、じいちゃんを吸引しても,
その一件以外には何一つとしていいことないぞ?
いや、その一件だけでも、ものすごいエピソードトークにはなってるね。
これでいいのだ。


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兄の悲鳴

2008年09月05日 02時10分26秒 | Weblog
私には6歳上の兄がいる。
歳が離れているせいか,よく可愛がってもらってきて,
いまだに何かと世話をかけている。

そんな彼は学生の頃,ドラマ「西部警察」の大ファンであった。
放送を欠かさず観るのはもちろんのこと,テーマ曲のサントラ盤を買って
繰り返し聴いたり,写真集を買ったり,と相当熱をあげていた。

今思えば,ありえねー!ことだらけのドンパチ合戦なのだが,
当時は「カッコイイ!」とシビれていた青少年も多かったことだろう。

レイバン風のサングラスをかけ,
「団長!自分は・・・」
などと,渡哲也を気取っていた男子の一人がうちの兄。
(こうやってあらためて文字にすると,泣けてくるくらいアホ。)

そんな彼がその年の年賀状のデザインを,
「西部警察」の
タイトルロゴにする,と言った。
そう,冒頭の画像の文字である。

兄は手先が器用で絵や工作が子どもの頃からうまく,
そのタイトルロゴを得意のゴム版画で彫り上げようと考えたらしい。

部屋に籠ること3時間。
棟方志功のごとく,魂を込めた渾身の作品が出来上がった。

「おーいッ,あさひーッ,見てくれーッ」
と,彼は飛び跳ねるように私の元へやってきた。

それを見た私は絶句した。
「に・・・兄ちゃん・・・こ・・・これ・・・」

なんと,兄は,版画ということを忘れ,文字を反転させることを
すっかり忘れてしまっていたのである!!

「あ”----------ッッッッッ」

彼が彫刻刀を握ることはそれ以来二度と無かった・・・


コメント (2)
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