日記 6月18日(日)弾丸日帰り帰省

2023年06月23日 20時45分00秒 | Weblog
実家へ弾丸日帰り帰省してきた。
始発&最終の新幹線を予約。

GWに帰省したかったのだけれど、義母が骨折して絶賛治療中だったので断念。
嫁はつらいよ。

県外に住む姪が現在里帰り出産で帰省中で、月末に自宅へ戻るというので、
赤ちゃんに会うという口実もあって今回の帰省は義母に切り出しやすかった。
これでもいろいろ姑に配慮して暮らしているのだ。
嫁はつらいよ。

朝4時半に起きて準備したものの、結果的に早過ぎて駅で時間を持て余してしまった。
駅の中の店も全部は開いておらず、お土産も最低限にしか買えなかった。
まあ、気は心、とシンプルな定番土産をいくつか買い乗車。

新幹線の中で過ごすのは大好き。
音楽やラジオを聴いたり本を読んだりおやつを食べたり。
早朝に家を出て来たので今回は朝食も車内で。

駅に兄が迎えに来てくれていた。
兄はとても優しい。
面倒見が良くて、子どもの頃から私の保護者的な存在でもいてくれている。

早く着いたので、両親はまだ朝食をとっているところだった。
今日の帰省はギリギリに決定したので、兄と義姉しか相談しておらず
両親は今朝、兄から聞いて知ったようで、はからずもサプライズのようになり喜んでくれた。

姪と赤ちゃんもすでに起きていて、早速抱っこさせてもらう。
生まれて1ヶ月半のホヤホヤの赤ちゃん。
お乳の匂いがして、たまらない幸福感に包まれる。
自分が子育てをしていた時は無我夢中で、
こうして余裕を持って赤ちゃんを愛おしく抱く、
ということができていたのかどうかわからない。
ただただ懸命に生きていたな、と思う。
きっと愛おしく抱っこしていたのだろうとは思うけれど、
それもよく覚えてないほど必死のパッチだった。
よく世間の皆さんが「孫は可愛い。それは責任がないから」
とおっしゃるけれど、こういうことなのだろうな、と
「擬似孫」を抱っこしながら思った。

お昼ご飯を地元の美味しい老舗のピザ屋さんへ父と買いに行った。
父、89歳だがピザが好物。健啖家である。
私が土産に持って帰れるように、とピザ屋の帰りに小鮎の甘露煮の店へ寄ってくれて、
たくさん買って持たせてくれた。
親が経済的にわりと余裕を持って暮らしているのをいいことに、
いつも甘えっぱなしである。
一体いくつまで娘気分でいるのだ、私は。
いいのいいの、これも親孝行、と自分勝手な理屈をつけて甘えている。

午後は姪、赤ちゃん、兄と散歩に出る。
実家界隈は観光地なので大勢の観光客に混じって歩く。
暑い日だったので、かなり汗をかいてしまった。
その後は赤ちゃんをあやしたり、両親や兄夫婦と放したり、と
特に目立った何かをするでもなく過ごす。
いいのだ、なにか特別なイベントをしようと思わなくても。

母は認知症の傾向が出ており、
私の近況、今日は泊まるのか、土産はどうするのか、
などを何十分か置きに何度も訊いてきた。
その度に、初めて質問されたように答えた。
それも5〜6回目には答える声に若干の怒気を孕ませてしまった気がする。
いけないいけない。分かってはいるのだけれど。

この、母の認知症のことについては、自分の腹に落ちるまでかなり葛藤があった。
正直言うと、今もまだ完全には落ちていない。
このことについてまた詳しく書く日が来るのかどうか、わからない。
それほど、自分の中でぐるぐると思いが巡り続けている。

夕食は兄が鰻重の出前をとって奢ってくれた。
みんなでいただき舌鼓を打つ。
やはりこちらで食べる鰻は格別に美味しい。
よそでは食べられない味だ。

実家はいい。本当にいい。
自分が愛されている存在であることをあらためて感謝できる。
そういうふうに育ててもらったこと、今もそういう存在でいさせてくれること、
私が自分を大切にしながら生きていけるのはこの環境があったからこそだと思う。

食後、少しゆっくりしてから、帰途へつく。
母が寂しそうにしている。
またいつでも来てや、今度は泊まりでおいでや、と言いながら何度も手を振っている。

明日起きたら、母は私がいないことを不思議がるのだろうか。
それとも私が来ていたこと自体を忘れているのだろうか。
最終の新幹線で揺られながらそんなことを考え、家路へと急いだ。

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