王子神社に初詣に行った時に目に入った看板。デジカメの設定がうっかりイラスト調モードになっていて字が読めなくなっていますが。東京十社めぐりをお勧めする看板でした。
東京十社とは何か。
そもそも千年以上から祭礼に際して天皇が勅使を使わす神社がありました。これを勅祭社といって京都に近い場所にある二十二社が「畿内二十二社」として長年制度化されていました。
明治維新で天皇が東京奠都した後に東京近郊の十二社を「准」勅祭社として近畿の二十二社に準ずる格の神社と定めます。が、この制度はは僅か2年で廃止されます。
第二次大戦後には国が定める社格そのものがなくなってしまいました。
時は流れて1975年。昭和天皇即位50年に際して関係神社が協議して准勅祭社を復活させます。といっても制度としてではなく神社の宣伝というか観光用の企画として。
かつての准勅祭社十二社の中に府中と埼玉県久喜市にある二社が含まれていましたがこの二社は遠いという理由でハブいて、残りの十の神社を「東京十社」としました。
ちうことで、今は実質的に意味がないと言ってしまえばそれまでですが、でも明治の初頭には東京を代表する格式を皇室に認められていた神社だったことに間違いはありません。
その十社。東京十社会というサイトのトップページでご紹介します。
・王子神社
・根津神社
・白山神社
・神田明神
・日枝神社
・赤坂氷川神社
・亀戸天神社
・富岡八幡宮
・芝大神宮
・品川神社
今の感覚からするとちょっと意外な感じもします。
神田明神、日枝神社、富岡八幡宮あたりは今でも全国区で有名ですが、王子神社とか白山神社、品川神社あたりはけっこう地元ローカルなイメージ。でも明治初頭は違ったんでしょうね。
今、東京で神社といえば明治神宮でしょうが、当たり前ですが明治時代には存在してません。
私個人の親密度でいうと
・王子神社★★★
・根津神社★★
・白山神社★★
・神田明神★★
・日枝神社★★
・亀戸天神社★
・富岡八幡宮★
・品川神社★
・赤坂氷川神社
・芝大神宮
って感じ。
(★★★しばしば行く。★★数度行った。★行ったことがある。・★なし・行ったことがない)
富岡八幡と品川神社は昨年の夏以降、都内を徒歩でうろうろし始めてから行きましたが、その時も東京十社ってくくりは意識していませんでした。
赤坂氷川神社と芝大神宮はどちらもすごく近くまでは何度も行っていたのに。こういうのがご縁がなかったって言うんですかね。
東京十社の中で行ったことのない神社に行こうと考えて行ったのは亀戸天神です。スカイツリーに登る前に行きました。
鳥居をくぐってすぐに太鼓橋を渡るというのは、亀戸天神の本社である福岡・太宰府天満宮をモデルにしているからのようです。
春の梅、夏の藤、秋の菊が有名ですが1月にはなんも見られません。
拝殿のある島に渡って行くような錯覚があって面白いです。
無事に参拝。ここでスカイツリーを見て、餃子をあきらめてあっちへ向かったのでした。
さて、残りの二つ、赤坂氷川神社と芝大神宮。
その気になればうちから1時間で二社回れそうです。三田線で新板橋から御成門→芝大明神→徒歩30分(2.7km)で赤坂氷川神社。ちょろいですね。
近いうちに片付けておきましょう。
ちなみに下のようなルートで回ると十社巡って40km少々だそうです。健脚な人なら一日で回れてしまいますね。
それにしても、東京十社会のサイトにあるこの図はいつごろのものなんだろう。
最初に書いたように東京十社というくくりが1975年にできたものだとするなら、この図は古臭すぎません? 概念としてはそれ以前からあったのかな。
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