京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風ふわふわ日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

我慢強さもほどほどに・・

2008-01-30 20:59:10 | てんてんお笑い伝説

今日は、朝から卒業生I子のスペシャルトリートメントに入らせていただいた。

スペシャルトリートメントとは「背中+足+腕+手+お腹+デコルテ+フェイシャル」という

超極楽コースなのだった。

今日の施術中、てんてんは感動して涙が出そうになった場面が2度あった。

1度目・・それは足裏の施術に入ろうとバスタオルをあげた時のことだった。

I子の足裏がぁぁぁ・・I子の足裏がぁぁぁ・・・大変身を遂げているではありませんか!

I子と出会ったのは今から3年前のことだった。

その頃まだI子はJHASの生徒ではなく、クライアントとして全身トリートメント

を受けにきてくれたことがあった。

一番最初に彼女の施術をさせてもらったとき、私は彼女の足裏を見て

思わず「うっっ」と涙がでてしまったのだった。

本当に・・本当に今まで辛いことがたくさんあったんだろうなぁ・・・。

彼女の年齢からは想像もできないくらい(Iちゃんごめんね・・・)

真っ白で、ところどころがいっぱいひび割れていて、皮はとても厚くて硬くて

ごつごつとしていたのだった。

そのI子の足が・・I子の足が・・

今日はなんとピンク色だったのだ。

3年前のあの足裏とは大違い!!

それも施術前に・・・。

今日の私の涙は3年前の涙とは違った。

「本当にIちゃん・・・がんばったんだなぁ・・。」

足裏というのはその人の生き方そのものがしっかりと現れてしまう場所なのだ。

今までたくさんの方のリフレクをさせていただいていたけれど、

どんなにお顔がべっぴんさんでも足裏は硬くてひび割れてごつごつとして

いらっしゃる方も何人も見させていただいてきた。

頑なに生きている人の足裏はやっぱり硬い。

魚の目やタコができる場所もすべて意味がある。

私自身の足裏もそうだった。

首の反射区にあたるところにずっと硬いタコがあったのだけど、

今ではほぼ癒され本当にその部位も随分と柔らかくなってきた。

柔軟な人はやっぱり足裏も柔らかい。まるで子供の足裏のように・・。

私は背中もそうなのだけど、足裏の施術をさせていただく時にも

時折涙が出てしまうことがある。

今まで辛いことがいっぱいあっただろうに、こうやってがんばって生きてこられて・・

その魂のがんばりに涙が頬を伝ってしまうのだった。

でも今日のI子の足裏を見て改めて思った。

「人は必ず癒されるんだ・・。」って・・・。

こんなにも変われるんだって・・・。

3年前のI子の足裏写真・・証拠写真として撮らせてもらっておけばよかったなぁ。

それから感動の涙、2度目・・・スペシャルトリートの「おおとり」は

JHAS必殺裏技フェイシャルの時だった。

今度は「ごめん・・」施術中に噴出しそうになった。

まずは片側のお顔のリフトアップをしていくのだが、片側の施術が終わった瞬間、

改めて真上からI子の顔を見て、、

(Iちゃん、本当にごめんよ~~)笑いをこらえるのに、必死だった。

だって~~だって~~右側と左側の顔が片方は上がっているのに

片方は下がっててエライことになっていたんですもの~。

「きゃぁ~すご~い!どうしよう~もう片方があがらなかったら・・。」

でもでも・・内心実はここで終わりたかったりして・・

この顔をI子に是非見てほしかった~。

そういうわけにもいかず、てんてん必死でもう片方の半顔もリフトアップさせていただいた。

よかった・・・ちゃんと両方あがりました。

多分今までさせていただいた中で最高に違いがわかったクライアントI子だった。

その変わりように、感動~。

そんなこんなで3時間15分の施術中、私もいっぱいいっぱい幸せに包まれた。

今日は本当に楽しい施術をさせていただいた。

施術中まさか私が必死で笑いをこらえていたとはI子は知る由もない。

そうそう、リフレクの施術中I子の身体が何度か「ピクっっ!ピクっっ!」と動いた

ことがあった。

「痛いのかなぁ?」とは思ったのだけど、I子は普段から強めの施術が好きだった、

ちょっとやそっとじゃ「痛い!!」なんて言わなかった。

普段、夫の足裏を押しているのでかなりてんてんの力は強い。

それでもいつものI子はビクともせず、気持ちよさげに眠っているので

「よ~し!もっとグイグイ押しちゃうぞう~」とはりきってグイグイと施術を続けた。

また時折I子の身体がびみょ~に「ピクっっ!ピクっっ!」と動いたが

「きっといいエネルギーが流れてるんやわぁ~」と思い、更にてんてんは

はりきってグイグイいった。

リフレクが終了し腕の施術に移る為、うつ伏せから仰向けに変わるとき、

I子は

「痛かったぁ~~腸のところめっちゃ痛かったです~~。」とかなり痛かったようで

泣きが入った。

てんてん:「そうやった~ん?Iちゃん、いっつも強いの好きやからエネルギーが流れて

ピクピクしてるんやと思ったらそんなに痛かったんやぁ~。」

でも、思った。

そんなに痛いのによく微妙な「ピクッ!ピクッ!」だけで済むなぁ~と・・。

私なんて、この間伊豆で広海先生のリフレクを受けていたとき、

真剣に広海先生の顔を蹴り飛ばしそうになった。

師匠にむかって咄嗟に「ちょっと~なにすんのよ~~!!」と言いそうになったけど、

それだけはやっぱりなんぼ私でも瞬時にその言葉を飲み込んだ。

師匠のリフレクはやっぱり最強、最高だ。

この間の月曜日も浜松本校で研修会に参加したのだけどその時

少しだけ広海先生が「グイ!」っと足裏を押してくださった瞬間、

「イターーーーーーーーーーーーー!!」と本校中響き渡るほどの声で

大絶叫してしまい、ベッドから落ちそうになった。

痛いのにガマンなんてできない。絶対できない。

なのにI子はなんであんなにガマン強いのだろう。

そうだ・・。I子がガマン強いのはなにもリフレクの痛みだけではない。

今はかなり本音が言えるようになってきたけれど、出逢った頃のI子は

苦しいときに「苦しい」といえないのだった。

ガマンして・・ガマンして・・ガマンして・・ガマンして・・ある時ドッカァ~~ン!!と

爆発してしまう・・。そしてその爆風を自分自身が全身に浴びて撃沈してしまう・・。

そんなことがたびたびあったのだった。

自分の力でがんばることはとっても大切なことだ。

けれど、I子のように一人で溜めて溜めて溜めてとことんがんばってしまう人は

大変になるまえにしんどい時は「しんどい」って降参する・・

誰かに「助けて・・」と言える素直さが必要だ。

人間時に一人でがんばるには限界があることだってある。

我慢という想いは風船のように膨らむところまで膨らんだらあとは

爆発するしかないのだった。

その爆風は他の存在にもそしてなによりも自分自身に大きな傷を負わせてしまう。

てんてんも昔、我慢は「美徳」だと思っていた時代もあった。(今や信じられない。)

でもある事件からてんてんは「我慢」ということを一切やめた。

大変なことになるまえに「ごめん。。助けて。。」と言えるようになった。

しんどい時はしんどいって言えるようになった。

今ではしんどい時、自分自身でそれを癒すことができる回数がどんどん増えてきた。

無理することもほんとうになくなってきた。

あれはかれこれ今から22年前。

てんてん18歳。初々しい新入社員として京都の呉服問屋に勤務し始めた頃のこと、

昔ながらの礼儀作法を重んじるその会社では新入社員研修から徹底的に

礼儀作法を叩き込まれた。

高校卒業したてで電話の応対の仕方、お茶の出し方、名刺の受け取り方、

お客様の見送り方、社員同士の挨拶等なにも知らなかった私には毎日毎日が

新鮮であり尚且つ、緊張の連続だった。

その会社は呉服業界の中でも女子社員の対応が一番いいと評判の会社

だったのだ。

その会社では月に1度、全社員が集まる合同朝礼というのが行われた。

社員数は当時120名ほどいたように思う。

バブルの時代で呉服業界も一番活気があった時代だ。

合同朝礼では新入社員は一番後部に座り、全社員が朝礼中は畳に腰をおろして

お話を聞くことになっていた。

男性はもちろん男座りでいいのだが行儀のよい女子社員は

みんな正座で聞いていたのだった。

もちろん新入社員の私達もみんな先輩にならってお行儀よく正座でお話を聞いていた。

そんなある日の合同朝礼のこと、いつになく社長の話が長びいた。

18歳のてんてんは高校生の時好き放題スナック菓子やラーメンを食べまくった為

「ぱっつん、ぱっつん」に膨らんでいた。

身長165cm、体重65㎏ かなり立派な体格をしていた。

太ももなんてへたすりゃ痩せている人のウエストぐらいあった。

そんなぱっつんぱっつんのてんてんはいつになく長い社長の話に次第に息苦しくなってきた。

足が・・足がぁぁぁ・・。

重たい体重を支えているふくらはぎと足首の感覚がどんどんなくなっていく・・。

「はぁ~いつ終わるんやろう~しんど~」

30分経っても社長の話は終わる気配もなかった。なぜかこの日、社長は絶好調だった。

次第に額から「脂汗」が滲んできた。

「もうあかん・・死にそう・・。」

目の前の景色まで黄色くなってきて意識が朦朧とし始めた。

それでも周りを見渡すと先輩や同僚誰一人足を崩している人はいない。

なのに新入社員の私がここで足を崩すなんて絶対にできない・・。

そう思い、必死でがまんした。

「ぐっ・・ぐるじいよ~」

「あああ・・・私の足、どうなってるんやろう・・・」

表現できない・・。しびれがきれているどころの話ではない・・。

もうほとんど意識がないくらい頭がぼーーーっとしはじめた。

真剣、過呼吸になりそうだった。

1時間と少しをすぎた頃、やーーーーっと長い長い社長の話が終わった。

社長に代わって部長が

「はい、それでは今日の合同朝礼を終了します。はい、全員起立!!」と

いう号令と同時に瞬間てんてんの緊張はぷっつ~んといっきにきれてしまった。

「ちゃんと立たなくっちゃ!」妙に生真面目なてんてんは何も考えずに

すくっ!と立ち上がってしまったのだった・・とその瞬間!!!

バランスを崩してしまい

「ぎょぇ~~~~~!!!」

てんてんの足は完全に感覚が麻痺してしまい、自分の足の裏がどこなのか

甲がどこなのかわからない。

どこで歩いたらいいのか・・また足があるかないかもわからない状態になってしまい

ボキボキボキ~~!バキュバキュ~バキュ~!!という

なんとも鈍い音を立てながら、一番後部にいた私はひどいかっこうで

ドドドド~~っと先輩社員達の中に頭から突っ込んでいったのだった。

もうどうにも止まらない。

みんなびっくりして「なんや!!なにが起こったんや~~!!」とざわめいた。

とうとう社長や幹部の人達が並ぶ最前列まで「ボキボキバキュ~」とすごい足音?を

立てながら、一番まえに並んでいる着物を着たマネキン人形に正面からぶつかって

やっとてんてんは止まったのだった。・・・というか倒れた。

「誰やこの子~」とある社員のおじさんが言った。

「新入社員の竹内やぁ~」(てんてんの旧姓)

その一瞬し~~んとなったかと思うと、どどどどーーーと笑いが起こった。

2人の男性社員の方が私の脇を抱えて必死に起こそうとしてくれているのだけど、

完全にいってしまっているてんてんの足はもうどうすることもできなかった。

しかも「巨体」

「お~い!あかんわぁ~誰か~台車持ってきてくれ~。この子の立てへんわぁ~」

と誰かが言った。

しばらくして、誰かが台車を持ってきてくれた。

てんてんはかろうじてさきほどの男性社員に支えられながら台車に乗せられた。

それからそのままエレベーターに乗せられ、なんと台車に乗せられたまま

近くの接骨医院へ運ばれたのだった。

骨折はしていなかったものの、両足すごい内出血を起こしていた。

両足、包帯でぐるぐる巻きにされたのだった。

そして次の合同朝礼のとき。

部長より「え~~朝礼を始める前に女子社員のみなさん、これからは足がしびれたら

我慢せずに早めにどうぞ足を崩してください。またこの前のたけうっつぁんみたいになったら

大変ですから。」と・・・。

そう・・「てんてん、朝礼で足がしびれ台車で運ばれる事件」から今まで会社が創業

して以来はじめて女子社員も足を崩してお話を聴いてもよいことになったのだ。

あの事件はしばらく伝説となっててんてんが会社を退職してからも語り継がれたらしい。

そう・・この事件以来、てんてんは辛いことがあったらはやめに「辛いです!」と

白旗を挙げることができるようになった。

我慢して我慢してほんとにエライ目にあったから、少々人から変なふうに見られようが

自分がラクな道を選ぶことにした。

例えば、寒い寒い日原付バイクに乗る時は(今はもうもちろん乗りません。)

「あなた誰ですか?」というくらいメットの上からぐるぐる巻きにマフラーを巻いて

目の部分だけが開いているという状態で乗っていた。

もちろん靴は長靴だ。おじいちゃんが履いていた真っ黒の長靴。

友達から言われたことがある。

「たけちゃん、あんたいい加減にしとかんと絶対誰かが探偵ナイトスクープに

「いつも怪しいかっこうで原付に乗っている人がいます。あの人が誰か招待をあばいて

ください」っていうハガキ出されるで~」って・・。

でもそんなの関係ねぇ~・・でした。

人に笑われようが、変だと思われようが寒い思いをするのは絶対イヤだったので

20歳すぎの乙女だとは到底思えないような格好で乗っていたのだ。

(もうこの頃からすでにオヤジ化がすすんでいたのかも)

Iちゃん、、私にもこんな体験があったのよ・・。

だから自分の力である程度がんばって、どうしようもなくなったら

素直に「助けてちょ」っていえるようになるといいですね・・。

でも最近のIちゃんは前よりずっと素直になってきたよね・・。

だから足裏もピンク色になってきたんだよね・・・。

お互い似た者同士・・・。

もうあえて苦しい道を選ぶ生き方はそろそろやめて、

らく~にらく~に生きていきましょうや。

幸せのあとには幸せしかきませんから・・。

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こんな私だけど・・

2008-01-29 15:26:01 | インポート

先日、ブログに私がいかに小心者かというお話を書かせていただきました。

本当に私は小心者で、怖がりなんです。

高いところも怖い。虫も怖い。コケも怖い。幽霊も怖い。

男女関係のいろいろも恥ずかしがり。

こんな私ですが、実はあることに関してだけは改めて思うと

「なんでかなぁ?」と思うほど小心者ではないことがあるのです。

それは年に数回アロマの自主講演会をさせていただくことがあるのですが、

そういった講演で人前で話すときはあまり「緊張」というものをしないのです。

多分、目の前に300人、500人いてくださろうが全く緊張しないと思います。

数年前は今のようにまだJHASの提携校の先生達の中でも自主講演会を開催

される先生はほとんどいらっしゃいませんでした。

私がまだ生徒だった頃、大阪で蓼科校の先生が講演をされたのを

見に行かせていただいたとき、私の胸の高まりは抑えることができませんでした。

「私もやりたい!早く資格をとって大勢の人達にホリスティックアロマの素晴らしさを

お伝えしたい!!」

講演されているその先生の姿を見ながらきっと私の目はキラキラ星が飛んでいた

ことでしょう。

そして資格を取らせていただき、認定校に登録させていただいてすぐに

自主講演会を企画させていただきました。

それから年に定期的に何度か講演会をさせていただいてきました。

中には全然人に集まっていただけなかったこともありました。

中には話の内容にちょっぴりマイナスビーム光線を飛ばしてくださる方も

いらっしゃいました。

けれど、どんなことがあっても「講演会はもうやめよう~」と思った事は一度も

ありませんでした。

マイナスビーム光線も怖いと思ったことはありませんでした。

物事に失敗も成功もないとは思いますが、たとえその講演会が「失敗」に思えたとしても

またそれを次の成長課題に・・とわくわくが止まらなくなりやっぱり企画してしまうのでした。

さすがに一番最初に開催させていただいた講演会はドキドキしましたが

けれど多分、それは講演が始まる前の何分かだったと思います。

いざ講演が始まってしまえば、緊張なんてどこかへ吹っ飛んでしまい

多分お話させていただいているこの私自身が一番楽しんでいるように

思います。

なぜ私はすっごい小心者なのに、アロマの講演ではこんなにも緊張しないのでしょう。

それはきっと聞きにきてくださる方に「理解してほしい!」という気持ちが

ないように思います。

「ただ伝えたい!!」本当にこの想いだけなんですね。

人が10人いれば10人感じ方が違って当然ですもんね。

人にどう思われるか? ではなく、

私のだ~い好きなホリスティックアロマセラピーの世界を・・

もしも私と同じよ~に必要な方がいらっしゃれば・・とただ

お伝えさせていただいているだけなんです。

私がずっとずっと探し続けていたように世の中にたった一人でも

「この道を探している人がいるかもしれない・・」と

思うとやっぱりまた講演会を企画している私がいるのでした。

「信念」という言葉・・とっても好きです。

「信念」という言葉を聴くだけでなんだかうわぁ~って鳥肌が立ってしまいます。

上手に言えないのですが、「信念」っていっけんすごく硬いイメージがあるのですが、

そうではなくて実は真の強さと真の優しさが融合されたもののように思います。

しがみつきでもない・・。

がむしゃらでもない・・。

融通がきかないのでもない・・。

とても柔軟なのだけど、

真ん中に揺るぎのない1本しっかりと筋の通った「凛」としたもの。

もしかしたらそれが「自信」ということなのかもしれません。

おしつけない・・。

強制しない・・。

ただ私はまっすぐに自分の信じた道を歩いていくだけ。

そして気が付いたら一緒に同じ道を楽しく歩んでいる仲間がいた・・。

そんな感じがとてもいい~。

また春になったら是非講演会をさせていただこうと思ってます。

どんなテーマでさせていただこうかなぁ?(って実はもう決まってたりして。)

しかし別説ではてんてんはただの目立ちたがりという説も・・。

昔、お友達や会社の後輩の結婚式に招待されたとき

「私に挨拶か1曲歌わせてくれへんかったら出席せえへんで~」と

言ってたくらいなものですから・・。

こういう人前で話したり、歌ったり、というのはそういえば昔から

あまり緊張しませんでしたね。

残念ながら保育園の演劇発表会では「3匹の子ブタ」にでてくる「鳥役」

小学生の学芸会では「かっぱ役」・「審査員A役」

ことごとく脇役の中の脇役ばかりでした。

なのでここぞ!というばかりに自分の結婚式ははじけました~。(うふ。)

どんだけ~~!!というくらい長いトレーンのドレス着ました~。

(ダイアナ妃には負けるけど)(おいおい誰と比べてんの。)

ほんまに気持ちよかったです~。

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気ぃちっちゃいのん、バレてもうた~~

2008-01-26 21:03:28 | インポート

今日は月1回ホワイトウィング卒セラピスト達の研修会の日だった。

今日娘は私の実家にお泊まりで、夫はお昼から会社の同僚達とマージャン大会に

出かけていったので、久しぶりに卒業生のみなさんとランチをご一緒させていただいた。

日頃日中は一人お家でお仕事しているということもあり、こうやって女同士でワイワイと

ランチに行く機会も少なく、久しぶりのランチタイムはすっごく楽しかった。

実は今日行った「主婦にとってありがたい助っ人Sゼリア」というファミレスに

てんてんが半年ほど前から目をつけている男性がいた。

それは今日一緒にランチに行った卒業生N子の伴侶候補にどうだろう~とず~~っと

密かに思っている人がいたのだ。

そのSゼリアの彼はこんなこと言ったらとっても失礼かもしれないけれど、俗にいう

「イケメン」ではない。

けれど、物越しの柔らかさ、話し方の優しさ、穏やかな雰囲気、礼儀正しさはとても

好感を持てる方だった。

ホワイトウィングにも伴侶さんとの出逢いを今か今かと待ちわびているうら若き乙女?達

が数人いる。

世の中の男性達は「どこに目をつけてるのだ?」というくらいてんてんからみたら

みんな素敵な女性達ばっかりだ。

中でも今年は伴侶さんとの出逢いに気合の入れ方が半端じゃない乙女がいる。

それがN子だった。

N子はとっても小柄で可愛らしくとても○○才にはみえないくらい年齢不詳の乙女だ。

みんな最初年齢を聞いたときには必ず「うっそ~!!」と声をあげてしまうのだった。

今日の会話の中でそれぞれ「よくどんな芸能人に似てるって言われる?」という話になり

N子はこう言った。

「私あんまり人間に似てるって言われたことないんですよね~」

「そうですね~。ムーミンに出てくる「にょろにょろ」とか・・」

「てんてん先生にも前「プラナリア」に似てるって言われたし・・」Pla1

(←プラナリア)

「早く人間になりた~い!!って感じですよ~」

とおどけて言った。

冗談はさておき、彼女は自分のことをそんなふうに言ってるが実は繊細で

とっても優しくて笑うと目がへにゃぁ~っとなくなって可愛い。

又人間的にも可愛らしい部分をたくさん持っている彼女だ。

半年前にSゼリヤでたまたま見つけた彼をみて、「N子にお似合いかも~」と

勝手に目をつけていたのだった。

見た感じ、学生にも見えればけっこう年齢が行っているようにも見えるけど

真相はわからない。

密かに私の中だけで「いつかN子と接点が持てたらいいのに・・」と想いを温めて

いたのだった。

そして今日、とうとうその日が来たのだった。

私が「どう?あの人なんやけど・・・」というとN子は

「ああ・・全然大丈夫ですよ~」とちょっぴりまんざらでもなさそうだった。

けれどまずは相手に彼女がいるかどうか?またもしかしたら結婚されているかも

しれないのでそれを聞き出さなくてはならない。

私はいろいろとこうやって企画はするものの実はすっっっっっっっごい小心者で

「よっしゃ!!私が聞いてきてあげるわぁ~」なんて口が裂けても言えない

気のちっちゃい人間だった。

けれどその中に

「ああ・・もしN子さんの気持ちがよかったら私が聞いてきてあげますよ~」と

さら~~っと言うSがいた。

「す・すごい!!」

Sは私と違って小柄だけどダイナマイトボディでしかも性格もとってもキューティーな女性だ。

私は彼女を師匠だとおもっているところがある。

彼女はほんと~~に「素直」なのだった。

彼女曰く今のご主人と結婚してから変わったのだという。

(Sは京都校卒業のセラピストではなく、本校卒のセラピストなのだけどご主人が

京都の方なのでこちらに引っ越してこられ毎月京都校で研修会を受けてくれている

のだった。)

Sがご主人の話をするとき、女性の私から見てもとってもかわいらしかった。

本当にピンクの幸せオーラがでまくるだのだった。

又まったくいやみがなくて、心から旦那さんのことを尊敬し愛している姿がSの

全身からにじみでていた。旦那さん、らぶらぶらぶぅ~~~なのだった。

きっと私が彼女の旦那さんだったらかわいくてたまらないだろうなぁ~と思う。

でも先程も書いたように昔のSはそうではなかったらしい。

そういえば彼女がまだ浜松に住んでいた頃、浜松の定例会で何度か挨拶を

させてもらったことがあるけれど、「へ?!本当に同一人物?」というくらい

京都で初めて再会したときにはびっくりしたのを覚えている。

そんな彼女は今日も断言していた。

「旦那さんと出逢って私・・変わったんです~」って・・。

ああ・・見習いたい見習いたい・・・。本当に可愛い。

実は・・なにを隠そうこのわたくち・・・。

小心者のうえに超~恥ずかしがりやでちて・・・。

夫の前で・・可愛い妻になれないのでした。

ずーーーーっと長年このキャラで生きてきたので、(おやじキャラ)今更夫の前で

可愛い妻になるのはお尻から火がでるくらい恥ずかしい気持ちになるのでした。

「可愛い」とはなにも特別なことでなく、例えば旦那さんが会社に行くとき

「いってらっしゃい!」ではなく

「いってらっしゃ~い、気をつけてね~~」の一言プラスαや・・

「おかえり!」ではなく

「おかえり~~おつかれさまでした~~」の思いやりの一言プラスαがあれば

きっとうちの旦那さんも会社での疲れがいっきに吹き飛ぶであろうに・・・

このわたちときたら・・・困った頑なでなかなかSらのように素直に可愛く

なれなかったのである。いつもおやじなのだった。

一家におやじは2人もいらない・・・。

けれど私は紛れもなく「福庄のりお」だった。

SやJHASのたくさんの可愛らしい妻達を傍で見ていて

つい最近「私もあんなふうにできたらきっとなにより私自身がすっごく

ラクになるとおもうのに・・

どうしてたった一言の思いやりの可愛いプラスαが言えないんだろう~

(もう私のバカバカバカ~ぼこぼこぼこ!!)」と真剣に自分の頭をぼこぼこ

してしまうのだった。

そう答えは簡単・・・自分でいうのものなんだけど私はまだまだ「変なプライド高き人間」

なのだった。

ある時、そんな私を見て私の先生がこういってくださった。

「たった1度の人生ですよ~。たった一言のごめんね・・が言えなくて・・

たった一言の思いやりの言葉がいえなくて・・苦しい人生で一生を終えていく

人達もたくさんいるのですよ~。」と・・・。

本当にそうだなぁ・・と思った。

ああ・・私の今までの生き方はなんてつまらないんだろう・・。

変なプライドを捨てて一番身近で一番大切な伴侶さんに特別ではない、

たった一言の思いやりの言葉を添えるだけできっとこれからの人生

いろんな意味で豊かに・・幸せになっていくことは間違いないのに・・。

世の中にはきっと私のような人が大勢いると思う。

家族以外の人にはすんなりと感謝の言葉や思いやりの言葉がかけられても

いつもあたりまえのように傍にいてくれる一番大切な存在の家族になかなか一番の

感謝の言葉と思いやりの言葉がかけられない人達が・・・。

これから自分が本当に幸せになっていく過程の中で「ここが一番大切」なところ

なのだった。

「誰にでも・・どんな人にでも・・同じように接する」ということ。

中でも特に家族にこそ一番優しい言葉をかけられるかどうかが

本物と偽物の分かれ目だとも・・。

私はアロマのレッスンでも何度も何度も上記のようなことを生徒さんに

お伝えしてきた。

でも伝えている自分が実践できていなければ、それは決して生徒さんに伝わる

ことはない。

先程も書いたようにホワイトウィングには伴侶さんとの出逢いを切に願っている

乙女がたくさんいらっしゃる。彼女達には心から幸せになってほしいと思う。

でも私には彼女達を幸せにしてあげることはできない。

私はただ自分こそが旦那さんと幸せになっていくプロセスを

見てもらうしかないのだった。

その幸せオーラがまるで「幸せ菌」となって次々に伝染していくのだった。

だからもう変なプライドなんて捨てたい!!もちろん生徒さんのため!!

ではない、、自分のために・・・。

そして・・・実はがんばった。

約2週間ほど前のことだけど、伊豆の講師特別研修会から帰ってきた当日

勇気を振り絞って「留守の間本当にありがとう~~おつかれさまでした~」

そして1度言ってしまえば・・あとはなんなく続いた。

「行ってらっしゃ~い、気をつけてね~」(密かにガッツポーズ!)

(皆さん、笑わないでね~~だって・・・私にとっては本当にすっごい勇気だったんだもん)

(今までの頑な生き方を180度変えていく1歩だったのだよん・・・)

こんな私なんですけど、生徒さん達はいつも優しく温かく見守ってくださっています。

どっちが先生だか・・・。

話はかなり脱線してしまったのですが、素直さ満点のSが

「私、彼に彼女がいるか?結婚されているか聞いてきてあげますよ~」と

さら~~っと言ってのけたのだった。

そして食事を済ませ、レジで会計を終えたSはトトトトと彼のほうに駆け寄っていった。

その瞬間、また小心者てんてんが顔を出した。

てんてんは逃げた。

恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくて、自分のことでもないのにドキドキして

やっぱりお尻から火が噴出しそうになって一目散に店から飛び出し

自分の車の中に身を隠してしまった。

なかなかみんな店から出てこない。(てんてん・・ドキドキが最高潮に達する)

しばらくしてみんなが店から出てきた。

Mえが「Sちゃん、すご~い、本当ににさら~~っと上手に聞き出すんやもん。」

と言いながら車に近寄ってきた。

結果は残念ながら彼はもう既婚者であるらしい。

(まだてんてん、心臓バクバク状態)

Mえ「もう~先生~~もうどこ行ったんかと思いましたよ~

ぴゅ~って逃げていくんやからぁ~」

と横目でチロリ。

てんてん「あはは(汗)・・小心者ばれてもうたぁ~」(前からバレてるっちゅうの)

まだまだ小心者から卒業でききれないてんてんだった。

N子よ・・

今回は残念だったね。(へ?もしかしててんてん一人で盛り上がってた?)

でも強い願いは必ず叶うから・・

N子は昨年最後の研修会で実は「2008年に絶対達成する!」

という明確な目標を3つほど持っていることを伝えてくれた。

そしてその中のひとつが早くも叶ってしまったのだった。

この調子でいけば、伴侶さんと絶対出会う!という目標も

早い時期に叶うかも・・とてんてんは思っている。

N子~またいい人みつけとくしね~(いらんて?)

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なんかおいしいもん

2008-01-24 14:55:14 | インポート

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ふ~~ぶるぶる。

ここ桂坂は今朝からず~~~っと雪が降り続いています。

大きなぼたん雪なので久しぶりに今夜は積もるかもなぁ。

この時期、レッスンやトリートメントの合間をぬってせっせと確定申告にむけて

の事務処理をこなしている。

昔OL時代は事務のお仕事や税理士事務所で税理事務もこなし、きれいに伝票整理

したりものごとを段取りを組んでデキパキとこなしていくことが好きだったはずなのに

どうしたことか?今期はまったく頭がまわらない。

私もようやく左脳型から右脳型に移行しつつあるんだ~っと自分勝手にいいように

解釈をしている。

事務処理をしながら小さなボリュームでFMラジオを聴くあの感じがとても好き。

お気に入りはαステーションのサニサイドバルコニーという番組。

パーソナリティのお姉さまの声がとても心地いい・・・。

自分のお家でアロマの香りに包まれながら、ハーブティーや大好きな珈琲に

舌鼓を打ちFMを聞きながらお仕事できる・・。

おおお~~贅沢な時間だぁ~。

でもうこうやって雰囲気を盛り上げないとなかなか事務処理がはかどらないん

ですよね。

昨日のサニーサイドバルコニーで

「なんかおいしもん食べた~い!って時ありますよね~。

でもその「おいしいもん」がいったいなんなのかわからないってことないですかぁ?」

という問いかけに

「ふむふむ、みんなやっぱり同じなんだなぁ~」と思った。

そう・・・私の口ぐせ。

「なんかおいっしぃ~もん食べたいな~」・・です。

良く母親から「おいしいもんてなんやさ?」と聞かれるけど

やっぱり答えることができない。

なんかおいしいもん・・・。

でも考えてみると私にとって「おいしもん」はあまり凝った料理ではなく

かなりシンプルなもんばっかりのような気がします。

例えば、最近はまっているのが

まずパンケーキ焼き用のフライパンで卵を焼き、その上にチーズをのせます。

チーズがいい感じでとろけてきたらそれを白ご飯にのっけて、その上に

納豆をかけてその上に梅干をのっけて、マヨネーズを少しかけて食べる。

これにすごくはまってます。

これを食べると幸せ~な気持ちになるんですよね。

生徒さんからは

「なんでそこで梅干なん?」って突っ込まれましたけど、

この梅干がないと意味がないんです。(どんな意味や!)

是非みなさんも試してみてください。絶品ですから・・。

そして最近もうひとつ凝ってるのが野菜の網焼き。

油も使わないので自然なおいしさだし、こんがり香ばしいお野菜を

大根おろしとポン酢で食べるのは私の中では最高ですね。

昨日のサニサイドバルコニーの森夏子さんも森さんの「おいしいもん」を紹介して

くださってたんですが、さつまいもをこんがり焼いて、小岩井のマーガリンを

塗って食べるのが最高に好きなんです!!と仰っていましたが、

「小岩井のマーガリン」と聞いて「仲間や~」と思いました。

私もマーガリンは絶対小岩井なんです。

早速今日のお昼やってみました。

おいちぃぃぃぃぃ。

私はなんかこんなシンプルだけどほっとするような料理(とはいわへんか・・)が好きです。

ああ・・でも晩ご飯はそれなりにちゃんと作ってますよ~(自己弁護)

上に紹介したのは一人自宅ランチタイムのお話です。

私にとってもうひとつ「おいしいもん」とはアロマの研修旅行のホテルで

いただくベジタリアン料理です。

これは本当に最高ですね~。

アロマの研修ももちろん楽しみですが、このおいしいべジ料理をいただけるのが

楽しみで参加している人も多いような・・。

ホテルさん側も最初っからベジコースや精進コースがあったわけではなく、

私達のために一生懸命ベジ料理を研究してくださって、本当に毎回

温かくて優しいベジ食を心を込めて作ってくださいます。

作ってくださる料理は私達が研修を受ける日にちよりも前に

代表の今井先生が必ずご夫婦で試食をしてくださって、

私達生徒に「本当の意味での優しいベジ料理」を・・・という気持ちを

こめて一緒に作り上げ提供してくださっています。

なので、本当に身も心もぽっかぽか・・・研修中も元気もりもりなのです!

また、お味はもちろんのこと見た目もとっ~ても美しくて

「こんなベジ料理もできるのかぁ~」と技を盗ませていただいています。

最近巷ではベジタリアンのお店がどんどん増えてきているようですが

私はどちらかというとベジタリアンのお店よりも普通のレストランや

お食事処でベジタリアンでもいただけるお料理を食べるのが好きです。

私の家族や友達のなかにはベジタリアンでない人もたくさんいます。

なのでベジタリアンの人もベジタリアンでない人もそれぞれ一緒に自分の好きな

ものが食べられるところが私にとってはなんかすごく心地いいです~。

イギリスのマクドナルドに行ったとき、普通にメニューに「ベジバーガー」が

あったのには感激しました。

日本もそうなればいいのになぁ~。

あ~こんなん書いてたらまたおいしもん食べたくなってきたわん。

おいしもん食べてるとき、幸せ度がいっきに増しますもんね。

あは・・でもしつこいようですが私がいっちばん幸せ度がアップするのは

全国どこのスーパーどこのコンビニでも売っている食パン「超熟」に

小岩井のマーガリンを塗って食べているときです。

あの1口1口を味わっている瞬間。

私はかなり幸せオーラを発していると思います。

でも最近、「超熟」に並ぶ私にとっておいしいパンがもうひとつできてしまいました。

生協さんの中に入っている「みもすパン」というパン屋さんの

「元気食パン」です。

食は心を豊かに元気にしてくれるものであり逆にほんとは食べたいのにがまんしたり

規制したりすると知らず知らずのうちに心を狭くしてしまいがちです。

自分の心が喜ぶものを・・食べるとなんだか元気がもりもりと湧いてくるものを

楽しんで感謝していただく・・これが一番大事ですね~。

なのでしばらくは私は卵チーズ納豆梅干マヨネーズかけごはんはやめられませ~ん。

またみなさんの「おいしいもん」も是非教えてくださいね~。

よろしく。

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優しいみなさんへ・・・

2008-01-23 19:51:09 | インポート

今朝の私のブログを読んで心配してメールをくださった

優しい~みなさま・・。

ご心配おかけして本当にごめんなさいね。そしてありがとう~~。

命に関わることやケガ、事故等ではありません。

ひょっとしたら人によっては「そんなことで?」と思われるかもしれませんが、

昨日の私は本当にまるで子供に戻ったかのように

悲しく落ち込んでしまいました。

でももう大丈夫です!!

今日もいっぱいお仕事しました~。

おいしい夕食ももりもりたっくさん食べました~。

金ちゃんの写真を見てたくさん笑わせてもらいました~。(身内話)

本当にありがとう~。

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傷は愛・・

2008-01-23 10:27:30 | インポート

Aween 昨日、久しぶりにとってもショックな出来事がありました。

とってもとっても哀しくて子供のように声をだしてしばらく泣いてしまいました。

でもその起こった出来事は誰も責めることができなくて・・。

相手も全く悪気がなくて・・。

ある意味、私自身の不注意といえば不注意から起こってしまったことで・・。

だからこそ自分の感情をどこへ持っていけばいいのかわからなくて、

胸が張り裂けそうになったのです。

この感情・・そういえば遠い昔にも同じ想いを体験したことがあった。

あれは私が小学校3年生ぐらいだったかなぁ?

七条ニック(京都の大きなホビーショップです。)が開店した時、

母とおばあちゃんと妹と4人で出かけました。

当時ホビーショップはまだまだ珍しい存在で、私達4人はいろんなものが売っている

店の中をわくわくと周ったのを覚えています。

そこで妹と釘付けになったコーナーがありました。

それはいろんな種類の可愛い小鳥達が売られているペットコーナーでした。

父が大の動物嫌いなので私達家族はまったく動物とは縁遠い生活を送って

きたのですが、その小鳥達を見た瞬間妹と2人で母にどうしても飼いたい~

と懇願したのでした。

母はとても困っていました。

(ちなみに母は大の動物好きです。幼い頃は猫と2人で暮らしていたこともあったそう・・)

けれど私達があまりにもせがむので、母は母なりにいろいろな作戦を瞬時に考えて

くれたのか、つがいの十姉妹を買ってくれたのでした。

妹と私はとってもとってもうれしくて、毎日毎日一緒にいっぱいお世話をしました。

はこべを取りに行ったり、ごはんや水をかえてあげたり・・。糞の始末をしたり・・。

子供ながらに命を育てるという喜びのようなものを感じていたように思います。

父が会社に行っている間は少しの時間だけどカゴから出してあげて

お家の中を自由に飛ばしてあげていました。

本当に毎日が楽しくて、妹と私はそれはそれは無邪気に小鳥達と遊んでいました。

今考えるとよく長い間父にバレなかったなぁ・・と思うのですが、

私の実家は昔平屋の小さな小さなお家でした。

そこで動物嫌いの父にバレないように、父が会社から帰ってくる時刻には

出窓のカーテンを閉めて小鳥達がみえないように隠していたのでした。

たまに「チュンチュン」という声をたてることがあり、そんな時は妹と2人で

わざと大きな声でしゃべったりして必死で父にバレないようにしていたのです。

楽しい小鳥達との生活がしばらく続いた頃、小鳥がいくつかの卵を産みました。

妹と私はそれはそれは感激してしまい、ヒナがかえるのを今か今かと楽しみに

待っていました。

そして母鳥がずーーーっと卵を温めている姿を見て、私達も母親の愛というものを

小鳥を通じて感じていたのだと思います。

そんなある日のことでした。

「ガシャ~ン!!」と

土間で大きな音が聞こえました。

おばあちゃんの「どうしよう~!!しもたことしてしもたぁ~!!」という声が・・。

妹と私は何かを感じたのか小さな家だったけれど、走って土間までいきました。

目に入ってきた光景は鳥カゴが土間に落ちて、卵がぐしゃぐしゃに割れてしまい、

そのカゴの中を狂ったように飛び回る母鳥の姿でした。

妹と私は泣き叫びました。

哀しくて・・哀しくて・・哀しくて・・

私が一番哀しかったのは卵を探してカゴの中を狂ったように飛び回る母鳥の

気持ちだったように思います。

胸が張り裂けそうでした。

「どうして・・・??なんで・・・??」

でもおばあちゃんを責めることもできませんでした。

おばあちゃんは小鳥のお世話をしてくれていただけなのです。

ただ誤って手をすべらせてカゴを落としてしまったのでした。

誰も責めることができない・・・。

でも哀しいこの感情をどこにぶつけたらいいのかわからなくて・・・。

苦しくて苦しくて・・。

時はそれからたくさん流れました。

私がこのJHASのアロマに入学して一番最初にとても驚いたことがありました。

それはたくさんの先輩や仲間が犬や猫と生活を共にされ、またその動物達を

人間となんら変わりなくまるで自分達の子供のように可愛がり心から愛している姿でした。

その時の私にはその気持ちが理解できませんでした。

なぜなら私は気が付けば動物がすごくすごく苦手な人間になっていたからです。

そして怖かったのです。

犬は正直さわることができませんでした。

猫は嫌いでした。

JHASのたくさんの人達の動物を心から愛している姿が理解できないのと同時に

私にはそんな姿がとてもとても眩しかったのでした。

「私はあんなふうに動物を愛せない。」

自分がとても欠落しているように感じてなりませんでした。

『どうして私はみんなと同じように動物を愛せないんだろう・・。』

ずっとずっと生徒の頃私の心の片隅にその想いがありました。

そしてディプロマも取得し、もうすでに講師という立場でレッスンをはじめて

いたある日のことでした。

なにげに自分で胸のチャクラ(第4チャクラ)をセルフヒーリングしていた時のことでした。

先程書いたあの小学校3年生の十姉妹との体験が蘇ってきたのでした。

もう私の中ではほぼ忘れてかけていた遠い遠い記憶だったのに、

あの時の胸が張り裂けそうな哀しみが鮮明に蘇ってきたのでした。

しばらく哀しくて泣き続けました。

けれどその後、温かな気持ちが私の中で蘇ってきたのです。

「私は最初から動物が嫌いだったわけじゃない。」「ちゃんと愛していた。」

「そうだ・・あの時だ・・。私が動物を愛することを止めたのは・・。」

愛するものを失うということは本当に本当に辛いことだった。

辛いという言葉さえもあてはまらないくらいに・・・。

幼い私は本当に哀しかったのだろう・・。そしてとても深く深く傷ついたのだろう。

だからもう2度と傷つきたくなくて、、、もう2度とあんな想いをしたくなくて、、、

「動物を愛すること」に封印をしたのだ。

「私にもちゃんと動物を愛する心があったんだ・・。」

それを思い出したとき、また深いところから温かな涙が溢れて止まりませんでした。

それから少し経って私は犬を触ることができるようになっったのでした。

またしばらく経った頃、今度は私もいつかわんことの生活を・・と夢見るようになりました。

当時はアパートに住んでいたので、わんこは猫は飼うことができなかったのでうさぎの

「らび」との生活が始まりました。

しばらく経って一軒屋に引っ越すことになり、「いつか縁があったら・・」と

わんことの縁を待っていました。

そしてまりんと出逢いました。

少し前の自分が信じられないほどに・・。

可愛い・・まりんが無償の思いで可愛い・・。

チューもなんなくできる。 (これは昔の私を知っている人にとってはびっくりだと思います。)

まさしく「こんな日がくるなんて・・」だった。

「起こることすべてには意味があり、それは大いなる愛の中での出来事・・。」

きっと私もあの幼い日の体験・・傷つくことが必要だったのかもしれないと思う。

今ならそれが理解できる。

傷つくことは辛いし痛い・・。

でも傷ついたからこそ同じ痛みを持つ人たちの痛みが真に理解できる。

傷ついていない人なんて誰一人いない。

人間としてこの世で生きている以上、みんなみんな傷を持って生きている。

最初は誰もが「愛する心」を持っていたのだ。

けれど純粋な心は本当にとてもささいな出来事でも簡単に傷ついてしまうのだ。

世の中にはまだまだたくさん傷ついている人達がいる。

愛する心を忘れ、簡単に他人を傷つけたり、動物を傷つけたりする人達が・・。

他を傷つけることはもちろん決してしてはいけないことだ。

けれど一概に私はその人達を責めることはできない。

なぜなら私もかつて同じだったからだ。

私はどうして動物の愛を思い出したのだろう?

それはやはりこのアロマに入学して、動物を真に愛する人達の姿をみて

「私もいつか必ずそんな愛を思い出したい・・」と強く願ったからだと思う。

そしてそれを一番手助けしてくれたのがホーリースターの精油の存在だった。

ホーリースターの精油には愛のエネルギーがぎっしりと詰まっている。

(↑ここのところはアロマのレッスンでじくり学ぶのでここでは省かせていただきます。)

無償の愛のエネルギーが注がれた精油に触れることによって・・

その精油を毎日の生活に取り入れることによって・・

心も身体も魂も「本来の自分自身にもどる」お手伝いをしてくれるのだ。

それを私は自らが体験した。

自然界の大いなる植物や鉱物はこうやっていつの時も人間達に無償の愛を

送り続けてくれるのだった。

愛でいっぱいだった頃の自分を思い出させてくれる流れを作ってくれる。

傷はとても痛くて辛いけれど、この傷がいつの日か癒されたとき

今度は自分以外の人達や動物の痛みにそっと寄り添うことのできる優しさに

変わるのだということもまたアロマセラピーが・・そして私と同じような体験をし

乗り越え優しさを思い出された先生や先輩や仲間が教えてくれた。

今の私は自分の痛みを決して封印したりはしない。

それは傷は愛と表裏一体だと知ったから・・。

感じることは確かに辛い・・。

けれど感じる心、感じる魂を決して忘れてしまわないように・・。

昨日の出来事もまたとても哀しかったけれど、いっぱい泣いて

精油を使って自分をいっぱいヒーリングして・・・。

そして辛い目に遭うということは必ず自分に原因があるので、

今はなぜ昨日の出来事が起こったかという真意にはまだ気づいて

いないけれど、送ったものしか返ってこないこのまるい地球です・・。

いっぱいいっぱい「ごめんなさい」を心の中で言っています。

今回の出来事も今回負った傷も又必ず愛と背中合わせなのだから・・。

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思わぬ贈り物

2008-01-21 21:43:00 | インポート

先日、とってもうれしい思わぬ贈り物を思わぬ方からいただいた。

それは昨年末のこと・・。

どういう話からそういう話が出たのか全く覚えていないのだけど、

12月に入学されたばかりの一番新しい生徒さんFちゃんの会社の同僚の方が

なにかの福引でオイルヒーターが当たったという話を聴かせていただいた。

私はちょうどその頃すごくオイルヒーターが欲しくて「いいなぁ~うらまし~」と

目がハートマーク状態でその話を聴かせてもらっていたのだった。

ここ桂坂の冬はほんと~~に寒い!

寒い上にお家も築20年というだけあって、いたるところから隙間風がひゅるりら~と

入ってくる。

冬生まれのてんてんだけど、年を重ねるごとに「冬なんてなくなればいいのに!!」

と何度もシーズン中に絶叫してしまう。

あれだけ若かりし頃寒い冬山でスキーを堪能していた自分が信じられない。

とにかくここ最近は冬になるとめっぽうテンションが下がってしまうてんてんだった。

最近の新しい住宅は床暖房完備のお家が多くて、家中どこにいても同じ温度・・という

本当にうらやましい限りのお宅が増えているみたいだけど、我が家は家の中にいても

吐く息が白い。

いつか・・本当にそんな家中どこに移動しても快適温度というお家で暮らしてみたいものだ。

ところでなぜオイルヒーターが欲しかったというと昨年3月わんこのまりんを家族に迎え、

まりんは1階のリビングのハウスで眠っている。

寒さ対策としてハウスの下にダンボールをひき、またハウスの回りもダンボールで

囲っているのだけど犬は寒さに強いとは聞くけど、うちのまりんはいつもストーブを

たくとその前でしょちゅうゴロンと寝そべっている。

(証拠写真↓)

0151 なので、やはりダンボール対策だけでは家の中といえどもかわいそ

うかなぁと思い、オイルヒーターの購入を考えていたのだった。

又もちろんまりんの為だけではなく、オイルヒーターの自然なぬくもり

は心地良く、朝起きてリビングに下りてきたときのあの超~激冷えの

瞬間から抜け出すために

オイルヒーターがあったらなぁ~と思っていたのだった。

そしてオイルヒーターならやっぱり「デロンギ」が欲しかった。

けれど今年の夫のボーナスで、もうすでに新しい「掃除機」「石油ファンヒーター」

「お鍋」「フライパン」等購入してもらったので、ある意味オイルヒーターは・・しかも

デロンギ製のものは私達には高嶺の花だった。

なので、「まりんよ・・ごめんね。今年はダンボールでがんばっておくれ。来年は

きっと買ってあげるからね・・。」と言い聞かせていたのだった。

そんな時、あれはちょうど昨年の大晦日。家族で紅白を見ている最中に

生徒Fちゃんから一通のメールが届いた。

「先生~オイルヒーターが福引であたった同僚が自分ちでは使わないので

良かったら貰ってくれませんか?と言ってますがどうされますかぁ?」という内容だった。

「へ!?本当に~!!そりゃうれしいけど・・。でもFちゃんは使わないの?」と

返信を送ったけれど、なぜか私の返信メールは彼女に届いていなかったようで、

そのまま年を越したのだった。

Fちゃんの今年最初のレッスンの時、

「先生、本当に彼女もしよかったら宅配料着払いで送りますよ・・と言ってますよ。」

と言ってくださったので、ありがたく譲っていただくことになった。

そして1週間後の木曜日、、、、それはちょうどFちゃんのレッスン真っ只中のことだった。

その日のレッスンでもてんてんは最高潮に熱くなっていた。

(私はほんとうにアロマが大好きで、この日のレッスンも最高にいい感じで熱弁をふるって

いたのだった。)

そんな最高潮に盛り上がっているレッスン中にピンポ~ンとチャイムが鳴ったのだ。

「あ~ん、せっかくいいところだったのに・・。ごめんね~。」

とFちゃんに伝えながら降りていくとオイルヒーターが届いたのだった。

そしてクロネコさんから受け取ったオイルヒーターを見てびっくり!!!

それは・・それは・・まさか・・まさかの憧れのデロンギのオイルヒーターだったのだ~~!!。

ひぇ~~!!!すご~~い!!デロンギのやぁ~!!うっそ~~??!!

玄関先で絶叫してしまった。

熱弁をふるっていたアロマの内容もそっちのけで、私がどれだけデロンギのオイルヒーター

が欲しかったか・・その内容で今度はFちゃんに熱弁してしまった。

こんなことがあるもんなんだぁぁ・・。

としばし感動に打ち震えてしまった。

多分普通に購入したら数万円はするお品だと思う。

また一度もお会いしたことのない方が私の為に発送手続き等も無償でしてくださった

ことを思うとありがたさがじわじわと湧いてきた。

その後、やはりどうしてもお礼をお伝えしたくてお礼状を書かせていただいのだけれど、

またそのお手紙にもどれだけ私がうれしかったということをつらつらと綴ったのだった。

書いている途中これ又すごく不思議な感覚に包まれた。

まったくお会いしたこともない方のに、なんだか前から知っているような・・・

勝手な親近感が妙に湧いてきてしまった。

それは多分・・なんとなくだけれどその方のお名前から感じるものだったような気もする。

実はオイルヒーターは月曜日には我が家に届いていたようだった。

けれど、月曜日~水曜日まで私が出張中でお家を留守にしていたので、

受け取れなかったのだった。

それでも再配達の電話をクロネコさんにしていなかったにも関わらず

ちょうど木曜日のしかも夜にFちゃんのレッスン時に届いたこともなぜか偶然ではない、

ロマンを感じてしまったのであった。

早速先週から使い始めたオイルヒーター・・・。

うん!!やっぱりいい~~。自然な温もり。

そして朝、朝食を作るために降りてきた憧れのほんのりあったかリビング。

あの日から冬場は下がり気味の私のテンションはかなり上昇した。

見ず知らずの○○さん、、貴方様のおかげで私の苦手の冬にほのかな灯りが

点りました。本当に本当にありがとうございます。

まさかこんなにステキなお品をそれも「無料」で譲っていただけるとは

思ってもみませんでした。

そして○○さんとはこれからもお会いすることもないかもしれないけれど、

素敵な偶然のようで偶然ではない、なんといったらいいのか・・・

「えにし」を感じてしまいました。もう一度・・本当にありがとうございました。

「えにし」といえば、人との出会いも不思議なことが多くあるものです。

当スクールではなぜか「沖縄」に関わりのある人達が多い。

少し前まで沖縄に住んでいた生徒さん。

家族が今現在沖縄に住んでいるという生徒さん。

一番の親友が沖縄に住んでいるという生徒さん。

沖縄が大好きでしょっちゅう旅行にいっているという生徒さん。

こんなに小さなスクールにこんなにも沖縄となんらかの関係がある人達が

集まってくるなんて・・。

これもまたすごくすごく深いえにしを感じてならない。

私もたまたま夫の転職で札幌から沖縄に移住したのですが、

最初は意味もなく「沖縄」で住むということが乗り気ではありませんでした。

沖縄に行ったこともないけれど、なんとなく「いやだな・・」という気持ちでした。

けれど、そんな気持ちは沖縄に住んですぐに吹っ飛んでしまった。

青い空。青い海。明るい人達。そしてそしてなにより・・冬でもあったかい!!

冬でも暖房をつける日がほとんどない!!

いや・・冬でも時にはクーラーをつけるほど暑いときもある。

クリスマスでも暑い!!

洋服もTシャツとビーサンでぼぼ過ごせる。

冬がなくなってしまえばいいのに!!と真剣に思っている私には最高に住みやすく

また心も体も元気になってしまう場所だった。

(たったひとつ温泉がないのがちょっぴり辛かったけど・・)

今も尚、目を閉じて沖縄の海を思うと・・沖縄の夕日を思うと・・

どこからともなく私の中で「さんしん」の音が聴こえてきて深いところから

なんともいえない郷愁の思いが込み上げてくる。

札幌にもう一度住みたいか?と聞かれると即答でNO!だ。(寒いから)

けれど沖縄だったらもう一度住んでみたい。

あの言葉では説明できないなんともいえない懐かしさ・・。愁い。

沖縄にはたった2年しか住んでいなかったけれど、

私にとって・・・いえ・・私の人生にとって沖縄で住んだことは大いなる意味のある

出来事だった。かけがえのない時間だった。

あれだけ夫が転職で沖縄行きを決めたとき、かなりマイナスになっていた私も

今は夫に感謝しかない。

沖縄に行かなければ決して出逢わなかった人達・・。

そしてその人達との深い絆・・。

またJHASのアロマとも沖縄に行っていなければ出逢っていなかったもしれない。

出逢っていたとしてももっともっと先のことだったと思う。

沖縄に住まなければ出逢わなかった人達や場所・・

それは「宝物」と一口でいってしまうことができないほど、私にとって大きなものとなった。

又「えにし」といえば少し話は変わるけれど、本当に偶然というのも程があるほどに

ある人に「なんでこんなところで?」と思うほど何度も何度も遭遇してしまうのだった。

それは以前住んでいたアパートの住人さんの一人なのだ。

当時その方とは挨拶程度でほとんど交流はなかった。

私の記憶が確かであればたった1回か2回ほどちょっとした立ち話をした程度で

実は苗字すらどうしても思い出せない。

けれどさっきも書いたようにその人とは本当に何度も何度も・・それもいろいろな場所で

偶然に会ってしまうのだった。

例えば一番びっくりしたのが丹後にある「あしぎぬ温泉」の駐車場だった。

それから「ホームセンタームサシ」(これは八幡市にあるので、近場のニックやコーナンで

会うのとはわけが違う。)

またある時は回転寿司の「蔵」で・・。しかも超満員なのに偶然座った案内された席が

隣同士だった。

またある時は回転寿司の「あきんど」で・・。

ある時は「ジャスコ」で・・。

思い出せないけれど、本当にこの方とはこうやって他にも何度もばったり会うことがあった。

お互い「不思議やね~わたしら行動パターンが似てるのかなぁ?」なんて

笑いあっているのだけど・・・申し訳ないけれど、今もなおその方の苗字も思い出せない。

ついでについでに・・昨日の日曜日、夫がスポーツジムに行っている間、

ちょっくら四条河原町にあるお気に入りの雑貨や「INOBUN」に行こうと思い、

阪急桂駅まで夫に車で送ってもらった。

最近てんてんは決してお洒落とはいえないぬくぬく裏地がフリースになった

ズボンが手放せない。

昨日もと~~っても寒かったので、四条河原町という繁華街に出かけるには

ふさわしくないかっこうだとはわかってはいても、やっぱり普段車で移動することが

多い私は昨日はどうしてもこの裏地ぬくぬくフリースズボンを脱ぐことができなかった。

「誰にも知り合いに会いませんよう~に~」と願いながら

ぐうたらてんてんはお化粧も眉毛を書いてすっと口紅をひいてファンデーションも

つけず、出かけたのだった。

てんてんの願いは虚しくもすぐさま崩れ去ってしまった。

桂駅のホームでひっそりと特急を待っていると、見慣れた顔の・・また私と同じよ~うに

「あなたも今、起きたまま来ました?」といようなかっこうをした人がこちらに歩いてきた。

それは卒業生の私と一文字違いの生徒さんだった。

類は類を呼ぶということを改めて実感した一瞬だった。

「あはははは・・・。(やっぱりこういう時に会うのよね)」

2人して美しきアロマセラピストとは程遠いぬぼ~~とした格好で

特急に乗り込み、河原町につくまで話に花が咲いた。

「偶然」

でも「偶然」ほどロマンを感じるものはない。

そこでばったりと会う確率・・・。これはかなりの確率のように思う。

てんてんとその卒業生N子がほぼ同じ時刻に桂駅にたどり着き、同じ発車時刻の電車を

選び、あれだけ長い車体の阪急電車の同じ車両に乗り込む確率・・。

これはやっぱりすごい「縁」としかいいようがないように思う。

なにかやっぱり見えない糸でつなっがっているように思えてならない。

人との出会いの不思議に・・人との不思議なえにしに

「デロンギのオイルーヒーター見知らぬ人に貰った事件」で又しみじみと

した気持ちに浸り、勝手にこんなに盛り上がってしまったてんてんでした。

長々と失礼・・。

コメント

素晴らしき私の身体ナビ

2008-01-12 12:16:01 | インポート

私の身体は本当にステキ!

自分でもいうのものなんだけど、本当に素晴らしい。

それは自分自身が本当に望んでいる生き方から知らず知らず反れてしまうと

ちゃ~んと身体の痛みを通して

「おいおい、てんてんちゃん、また反れてまんで~」

と教えてくれるのだ。

今年の仕事初め、また私の素晴らしき身体ナビが容赦なく作動した。

1/8(火)の昼から生徒さんがいらっしゃる予定になっていたのだが、

それまで少し時間があったので数年前に行われた本校主宰の定例会の

内容等をもう一度復習していた時のことだった。

その内容に改めて感動していた私は涙がまた止まらなくなってしまったのだった・・。

「なんて素晴らしいの~。やっぱりホリスティックアロマセラピーは最高だわ~。」

「私はこのアロマと出会えて本当によかったぁ。先生(私の)ありがとう~~」

と感動の嵐にひたすら吹かれていたのだった。

そして生徒さんが「ピンポ~ン」といらっしゃり、

真っ赤に泣き腫らした目のまま

「あはは・・・昔の定例会の内容を復習していたら感動しちゃって・・」

なんて言いながら生徒さんの前に登場したのだった。

それからその生徒さんがお帰りになり、しばらく経った頃自分の異変に気づいた。

感動の嵐で止まらなかった涙と鼻水がそういえばあれから何分も経っているのに

止まっていないのだった。

あれれ???

それからすさまじかった。

左の鼻から鼻水が出てとまらない。

ちょっと油断するだけで汚い話で申し訳ないけれど、「垂れ流し状態」になってしまう。

涙もなぜだか左目だけから流れてしょうがない。

鼻の奥がむずむずする。

まるで花粉症のような症状だった。

私は多分・・花粉症は大丈夫なのだが昨年黄砂にやられてしまった。

あの感覚とすごく似ていたので、すぐにインターネットのお天気情報で

花粉情報と黄砂情報を調べてみたけれど特に黄砂においては観測情報は

全くなかった。

実家の母がひどい花粉症なのですぐに電話をして、

「なぁ・・おかあちゃん、花粉症状もうきてない?」と尋ねてると

「全然大丈夫やで~花粉は2月頃からやで・・」と言われた。

ここで観念した。 これは花粉でも黄砂でもないなぁ・・。

けれど確かに自分の中の免疫が下がっていると感じる。なんだろう??

そこでピン!!ときてしまった。

鼻水が止まらない。これはまさしく滞った自分のエネルギーが貫通した証拠だ。

思い返せばお正月休み・・。

とってものんびりととっても幸せに過ごさせてもらった。

もちろん夫とはつまらないことでケンカもしたけれど、それでもやっぱりすごく

いい感じで日常を過ごしていたのだけれど・・・

のんびりしすぎてちょっと食生活がだらだらしすぎてしまった。

だらだら食べてしまっていた・・。そして外食が多かったかな・・。

人間私だけではなく、みんな同じだと思うのだけど

自分が心で欲するものと、本当の自分(私達はそれを魂と呼んでいる。)が

本当に欲しているものとが違うことがある。

アロマセラピストにとって食生活は本当にとってもとっても大切なのだった。

身体に入れるもののエネルギーによって、手からでるエネルギーや感じる感覚が

鋭くなったり鈍ったりすることはきっとたくさんの人達が感じていることだろう。

もちろん外食をして楽しむこと、外食をして日頃の骨休みをさせてもらうことは

とってもステキな時間でとっても大切なことだけど、それが必要以上に続くと

やっぱり私の身体は反応してしまうのだった。

私の魂ちゃんはそれを望んでいないのだった。

そして「さぁ!今日から仕事はじめ!」という時になって、まるで

「はい!ちゃんとリセットしてよ~」「そのエネルギーではお仕事できないわよ~」

と私の魂ナビゲーターから指示が下されたのだった。

私は自分の魂ナビにお礼をいい、、知らず知らず不摂生してしまった

休み中の食生活を反省し、「ジュニパー、フラゴニア、レモン」をスィートアーモンドオイルで

希釈し身体に丁寧に塗り込み、自分でチャクラと弱った臓器を約1時間ほどヒーリングした。

すると、、、あれだけ垂れてしかたなかった鼻水も涙もぴたり・・。

と止まったのだった。

ちゃんと自分の魂ナビに従うと辛い症状もこんなに簡単に治ってしまうのだった。

そして翌1/9朝から朝だけプチ断食を始めた。

4日間だけリセット期間に続けてみようと思っている。

内臓をしっかり休めて、徐々に本来の動きに戻してあげようと思っている。

最近はブログなんかで本当においしそうなお料理を紹介してくださっている

サイトがたくさんあるので、ありがたくそれを参考にさせていただきながら

凝ったものではなくても優しいお食事を作って食べよう~と思っています。

食生活の大切さを改めて感じた出来事でした。

コメント

買っちゃった~(第2弾!!)

2008-01-07 00:39:01 | インポート

いやぁ~。長い長いお正月休みも今日で終わりです。

ほんまにほんま~~にゆっっっっくりとさせてもらいました。

幸せなことですね。

1/2、娘を連れて、京都駅へみぃてぇるぅだぁけ~バーゲンに繰り出したのですが

バスを降りるなり娘が

「なぁ、お母ちゃん、まゆか京都タワーのぼってみたい。」

と言い出した。

娘は映画「ALWAYS3丁目の夕日」にすっかりはまってしまい、

(DVDを穴があくほど繰り返し見てました。)

その影響で多分突然そんなことを言い出したのだと思います。

そういえば、この私は京都に生まれ育ったにも関わらずこの年になるまで

一度も京都タワーにのぼったことがありませんでした。

又、のぼってみたい!と思ったこともありませんでした。

なぜなら私は高い所が苦手だからです。

遊園地の中でも一番怖い乗り物は?と聞かれると「観覧車!」と即答です。

それでも遊園地に行けば必ず娘が「観覧車に乗りたい!」というので

しかたなく付き合っているのです。

続ALWAYS3丁目の夕日で堤真一さんが東京タワーの最上階に上がったとき、

人が歩くだけで、「揺らすな!落ちたらどうする!!」と叫ぶ場面があるのですが

私も全く同じで、観覧車で娘がはしゃぐと真剣に怒ってしまいます。

話はもどりますが、先日の1/2に娘が京都タワーにのぼってみたい!!と

言い出したとき、私も断ればいいものをなんだかんだ言っても

娘の要求にはほぼ応じてしまう甘い甘い母親でして、

ついつい「わかった。上がってみよか!」と言ってしまったのです。

ズンズン上昇するエレベーター・・・。

その日はすっごい快晴で果てしなく京都市内が見渡せました。

また人の多いこと、多いこと、、、

お約束どおり、予定どおり、私は堤真一さん状態になりました。

「落ちる~!!誰も歩くな~!!動くな~~!!」

娘は大はしゃぎ。

そして真下が見えてしまうゾーンがあって、下を見てしまった。

一気に私は「フ~~~~~~@@@」

行ってしまった・・・。

「あかん・・お母ちゃん、もうあかん降りよ・・。(ゲロゲロ)」

3分も立たないうちにノックアウト。

バーゲンどころか、ポルタの一角に座り込んで

小2の娘に背中をさすってもらいしばらく歩けない状態に陥ってしまいました。

そんなこんなで始まった2008年。

さてさて、やっと本題で・・・。

これ買いました~。実際は買ってもらいました~。

Dscn0019 あまり本を読むのが好きではない私なので、

めったに本を買うことはないのですが、この「ホームレス中学生」

はヤフーのトピックス等で話題になっていることだけは知っおり

又たまたま年末にテレビを見ていたところ著者がお笑い芸人の方だという

ことを知り、本人が出てらしたのでこの田村さんのほんわかぼ~っとしたキャラに

妙に親近感が沸き「読んでみたいなぁ~」と思ったのでした。

今、読書にはまりまくっている夫はしょっちゅう本屋さんに行くので

私もよく付いていくのですが、年末に私が「ホームレス中学生読んでみたいなぁ~」

「なぁ~買って~」とねだってみたのですが、

即、「自分で買い!」と言われてしまいました。

私はちょっとケチなところがあるので本来好きではない単行本を・・

最後まで読みきれるかどうかわからない本を・・・

何千円も出して買うのはちょっとなぁ・・と思ったので、

この時はいったんあきらめました。

そして年が明けて家族でツタヤに行ったとき、

夫は「これほんまに読むか?」と「ホームレス中学生」を手にとりました。

私は「読むぅ~~」とニヤニヤしなが言うと、

あっさりと買ってくれました。(ありがとう・・。)

パラパラ~と見ると字も大きいし読みやすそうです。

(私はどうも小さい字で書いてあるのは苦手です。)

早速、寝る前寝床で読み始めました。

本を読んで涙を流したのは何年ぶりのことでしょう。

ぽろぽろ・・ぽろぽろ・・と涙がこぼれてしかたない部分がありました。

田村さんのお母さんへの想いを読んだときです。

自分の想いと重なってひたすらに涙が零れ落ちました。

田村さんのお母さんは彼が小学校5年生の時病気で亡くなったのですが、

彼がいろんなことがあったけどここまでがんばって生きてこれたのは

お母さんへの想いがあったからでした。

田村さんは本当に本当にお母さんのことが大好きなのです。

そしてなにを隠そうこの私も・・・実はすっごいお母ちゃん子です。

本当につい最近まで・・・

私はいつか来るであろうお母ちゃんとの別れを本当に恐怖に感じていました。

それはきっと妹も同じです。妹も私と同じくらいお母ちゃん子です。

けれどいつしか「死は終わりではない」ということを知り、

その恐怖は私の中から溶けていったけれど、

幼い頃からのお母ちゃんとの想い出を思い返すとやっぱり今でも

胸がきゅんとなります。

田村さんと同様、うちもお父さんがすっごい怖い人だったので、

その分何倍、何十倍もお母さんが優しくしてくれました。

お母ちゃんがいてなかったら今頃私はどうなってたやろう?って思います。

私のお母ちゃんは今あちこち「あそこ痛い!ここ痛い!」といいながらも

相変わらずひょうきんで元気で生きてくれています。

でも田村さんのお母さんは彼が小5の時に亡くなりました。

私がもし田村さんの立場やったらどうなってたやろ・・。

そして当時の彼の気持ちを思うとやっぱり泣けてしかたありませんでした。

今では、時々えらそうにお母ちゃんに意見したり、

時々天然な母を妹と2人でおちょくったりすることもあるけれど、

この本を読んで改めて

「やっぱりお母ちゃんにはかなわへんなぁ・・」って思いました。

私が結婚する時、母に手紙を書きました。

すっごく照れ屋な私はとうてい口では伝えられなかったけど、

たった一言伝えたくて手紙を書きました。

「お母ちゃんの子でよかった。」と・・・。

そして独身の頃いつまでも心配ば~~っかりかけていたお母ちゃんに

「お母ちゃん、心配せんでもいいしな。私はお母ちゃんの子やから

これからちゃんとやっていくし大丈夫や!!」と大見栄をきったけれど、

40歳になった今でも相変わらず世話のやけるお子でして

時々お母ちゃんに心配をかけお世話になっていることもいっぱいあります。

未だにお母ちゃんは私の誕生日になると必ずプレゼントをくれます。

いつかラジオで聞いたことがあるけど、本来ならこの年になると

自分の誕生日に「生んでくれてありがとう~」の意味をこめて逆にプレゼントを

贈る人も多いみたいだけど・・・私はまだまだです。

私は親になったらお母ちゃんのような母親になろ~

と思っていたのに、なぜだかお父さんのような母親になっていました。(笑)

だからある意味うちのまゆっちはたくましく育っています。

例えば・・・

私は辛いものが好きです。

小さな子は辛いカレーが苦手です。

優しい~お母さんなら子供の為に別にあま~いカレーを作って

あげはるのでしょうね・・。

でもうちは

「この家の子に生まれたんやからこの味に慣れなあかん!」と

言って甘いカレーは作ってあげませんでした。

おかげでまゆっちは私達大人と同じカレーが普通に食べられます。

そして、私は熱いお風呂が好きです。

「この家の子に生まれたんやからお母ちゃんと入りたかったら

この温度で入れるようになり!!」と言っていたら

今では45℃のお風呂でも「あつぅ~」と言いながらも一緒に入ってくれています。

なんだかどんどん話がそれていってしまいましたが、

「ホームレス中学生」・・・本を読むのが苦手な私が2日で読んでしまいました。

なんだかとっても勝手に「たむちん」(田村さんのニックネームです。)に

親近感が湧いてしまいました。

「北の国から」の純くん以来です。

いつもあたりまえのようにそこにいてくれるとほんとついつい感謝を

忘れてしまいがちです。

母への感謝の気持ちをまたふかく思い出させてもらった作品でした。

ありがとう。

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あけましておめでとうございます!!

2008-01-01 21:51:10 | インポート

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(2008.1.1 お家の近くの公園から見た初日の出)

さむ~い、さむ~い氷点下からの幕開けとなっ

た2008年。

けれど、空気はすっきりと澄み渡り、空を見上

げるとまた今日からという1日の始まりに

心躍る私です。

どんな日々が待っているんだろう・・。

楽しみで・・楽しみで・・たまらない。

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