昨日、久しぶりにとってもショックな出来事がありました。
とってもとっても哀しくて子供のように声をだしてしばらく泣いてしまいました。
でもその起こった出来事は誰も責めることができなくて・・。
相手も全く悪気がなくて・・。
ある意味、私自身の不注意といえば不注意から起こってしまったことで・・。
だからこそ自分の感情をどこへ持っていけばいいのかわからなくて、
胸が張り裂けそうになったのです。
この感情・・そういえば遠い昔にも同じ想いを体験したことがあった。
あれは私が小学校3年生ぐらいだったかなぁ?
七条ニック(京都の大きなホビーショップです。)が開店した時、
母とおばあちゃんと妹と4人で出かけました。
当時ホビーショップはまだまだ珍しい存在で、私達4人はいろんなものが売っている
店の中をわくわくと周ったのを覚えています。
そこで妹と釘付けになったコーナーがありました。
それはいろんな種類の可愛い小鳥達が売られているペットコーナーでした。
父が大の動物嫌いなので私達家族はまったく動物とは縁遠い生活を送って
きたのですが、その小鳥達を見た瞬間妹と2人で母にどうしても飼いたい~
と懇願したのでした。
母はとても困っていました。
(ちなみに母は大の動物好きです。幼い頃は猫と2人で暮らしていたこともあったそう・・)
けれど私達があまりにもせがむので、母は母なりにいろいろな作戦を瞬時に考えて
くれたのか、つがいの十姉妹を買ってくれたのでした。
妹と私はとってもとってもうれしくて、毎日毎日一緒にいっぱいお世話をしました。
はこべを取りに行ったり、ごはんや水をかえてあげたり・・。糞の始末をしたり・・。
子供ながらに命を育てるという喜びのようなものを感じていたように思います。
父が会社に行っている間は少しの時間だけどカゴから出してあげて
お家の中を自由に飛ばしてあげていました。
本当に毎日が楽しくて、妹と私はそれはそれは無邪気に小鳥達と遊んでいました。
今考えるとよく長い間父にバレなかったなぁ・・と思うのですが、
私の実家は昔平屋の小さな小さなお家でした。
そこで動物嫌いの父にバレないように、父が会社から帰ってくる時刻には
出窓のカーテンを閉めて小鳥達がみえないように隠していたのでした。
たまに「チュンチュン」という声をたてることがあり、そんな時は妹と2人で
わざと大きな声でしゃべったりして必死で父にバレないようにしていたのです。
楽しい小鳥達との生活がしばらく続いた頃、小鳥がいくつかの卵を産みました。
妹と私はそれはそれは感激してしまい、ヒナがかえるのを今か今かと楽しみに
待っていました。
そして母鳥がずーーーっと卵を温めている姿を見て、私達も母親の愛というものを
小鳥を通じて感じていたのだと思います。
そんなある日のことでした。
「ガシャ~ン!!」と
土間で大きな音が聞こえました。
おばあちゃんの「どうしよう~!!しもたことしてしもたぁ~!!」という声が・・。
妹と私は何かを感じたのか小さな家だったけれど、走って土間までいきました。
目に入ってきた光景は鳥カゴが土間に落ちて、卵がぐしゃぐしゃに割れてしまい、
そのカゴの中を狂ったように飛び回る母鳥の姿でした。
妹と私は泣き叫びました。
哀しくて・・哀しくて・・哀しくて・・
私が一番哀しかったのは卵を探してカゴの中を狂ったように飛び回る母鳥の
気持ちだったように思います。
胸が張り裂けそうでした。
「どうして・・・??なんで・・・??」
でもおばあちゃんを責めることもできませんでした。
おばあちゃんは小鳥のお世話をしてくれていただけなのです。
ただ誤って手をすべらせてカゴを落としてしまったのでした。
誰も責めることができない・・・。
でも哀しいこの感情をどこにぶつけたらいいのかわからなくて・・・。
苦しくて苦しくて・・。
時はそれからたくさん流れました。
私がこのJHASのアロマに入学して一番最初にとても驚いたことがありました。
それはたくさんの先輩や仲間が犬や猫と生活を共にされ、またその動物達を
人間となんら変わりなくまるで自分達の子供のように可愛がり心から愛している姿でした。
その時の私にはその気持ちが理解できませんでした。
なぜなら私は気が付けば動物がすごくすごく苦手な人間になっていたからです。
そして怖かったのです。
犬は正直さわることができませんでした。
猫は嫌いでした。
JHASのたくさんの人達の動物を心から愛している姿が理解できないのと同時に
私にはそんな姿がとてもとても眩しかったのでした。
「私はあんなふうに動物を愛せない。」
自分がとても欠落しているように感じてなりませんでした。
『どうして私はみんなと同じように動物を愛せないんだろう・・。』
ずっとずっと生徒の頃私の心の片隅にその想いがありました。
そしてディプロマも取得し、もうすでに講師という立場でレッスンをはじめて
いたある日のことでした。
なにげに自分で胸のチャクラ(第4チャクラ)をセルフヒーリングしていた時のことでした。
先程書いたあの小学校3年生の十姉妹との体験が蘇ってきたのでした。
もう私の中ではほぼ忘れてかけていた遠い遠い記憶だったのに、
あの時の胸が張り裂けそうな哀しみが鮮明に蘇ってきたのでした。
しばらく哀しくて泣き続けました。
けれどその後、温かな気持ちが私の中で蘇ってきたのです。
「私は最初から動物が嫌いだったわけじゃない。」「ちゃんと愛していた。」
「そうだ・・あの時だ・・。私が動物を愛することを止めたのは・・。」
愛するものを失うということは本当に本当に辛いことだった。
辛いという言葉さえもあてはまらないくらいに・・・。
幼い私は本当に哀しかったのだろう・・。そしてとても深く深く傷ついたのだろう。
だからもう2度と傷つきたくなくて、、、もう2度とあんな想いをしたくなくて、、、
「動物を愛すること」に封印をしたのだ。
「私にもちゃんと動物を愛する心があったんだ・・。」
それを思い出したとき、また深いところから温かな涙が溢れて止まりませんでした。
それから少し経って私は犬を触ることができるようになっったのでした。
またしばらく経った頃、今度は私もいつかわんことの生活を・・と夢見るようになりました。
当時はアパートに住んでいたので、わんこは猫は飼うことができなかったのでうさぎの
「らび」との生活が始まりました。
しばらく経って一軒屋に引っ越すことになり、「いつか縁があったら・・」と
わんことの縁を待っていました。
そしてまりんと出逢いました。
少し前の自分が信じられないほどに・・。
可愛い・・まりんが無償の思いで可愛い・・。
チューもなんなくできる。 (これは昔の私を知っている人にとってはびっくりだと思います。)
まさしく「こんな日がくるなんて・・」だった。
「起こることすべてには意味があり、それは大いなる愛の中での出来事・・。」
きっと私もあの幼い日の体験・・傷つくことが必要だったのかもしれないと思う。
今ならそれが理解できる。
傷つくことは辛いし痛い・・。
でも傷ついたからこそ同じ痛みを持つ人たちの痛みが真に理解できる。
傷ついていない人なんて誰一人いない。
人間としてこの世で生きている以上、みんなみんな傷を持って生きている。
最初は誰もが「愛する心」を持っていたのだ。
けれど純粋な心は本当にとてもささいな出来事でも簡単に傷ついてしまうのだ。
世の中にはまだまだたくさん傷ついている人達がいる。
愛する心を忘れ、簡単に他人を傷つけたり、動物を傷つけたりする人達が・・。
他を傷つけることはもちろん決してしてはいけないことだ。
けれど一概に私はその人達を責めることはできない。
なぜなら私もかつて同じだったからだ。
私はどうして動物の愛を思い出したのだろう?
それはやはりこのアロマに入学して、動物を真に愛する人達の姿をみて
「私もいつか必ずそんな愛を思い出したい・・」と強く願ったからだと思う。
そしてそれを一番手助けしてくれたのがホーリースターの精油の存在だった。
ホーリースターの精油には愛のエネルギーがぎっしりと詰まっている。
(↑ここのところはアロマのレッスンでじくり学ぶのでここでは省かせていただきます。)
無償の愛のエネルギーが注がれた精油に触れることによって・・
その精油を毎日の生活に取り入れることによって・・
心も身体も魂も「本来の自分自身にもどる」お手伝いをしてくれるのだ。
それを私は自らが体験した。
自然界の大いなる植物や鉱物はこうやっていつの時も人間達に無償の愛を
送り続けてくれるのだった。
愛でいっぱいだった頃の自分を思い出させてくれる流れを作ってくれる。
傷はとても痛くて辛いけれど、この傷がいつの日か癒されたとき
今度は自分以外の人達や動物の痛みにそっと寄り添うことのできる優しさに
変わるのだということもまたアロマセラピーが・・そして私と同じような体験をし
乗り越え優しさを思い出された先生や先輩や仲間が教えてくれた。
今の私は自分の痛みを決して封印したりはしない。
それは傷は愛と表裏一体だと知ったから・・。
感じることは確かに辛い・・。
けれど感じる心、感じる魂を決して忘れてしまわないように・・。
昨日の出来事もまたとても哀しかったけれど、いっぱい泣いて
精油を使って自分をいっぱいヒーリングして・・・。
そして辛い目に遭うということは必ず自分に原因があるので、
今はなぜ昨日の出来事が起こったかという真意にはまだ気づいて
いないけれど、送ったものしか返ってこないこのまるい地球です・・。
いっぱいいっぱい「ごめんなさい」を心の中で言っています。
今回の出来事も今回負った傷も又必ず愛と背中合わせなのだから・・。