ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

ジャマイカ 3週間一人旅

2014-06-08 20:25:33 | たららん記 
ジャマイカまで行ってきます。

もともと旅が苦手です。
誰も知らない所に旅した事は
5年前に絵描きのチャック君と
6日間行ったきり。

去年の8月に仕事をやめて、
気仙沼→鳥取→瀬戸内(直島)→
気仙沼→小笠原→マレーシア→オーストラリア→
気仙沼→ブラジルと何かと気仙沼経由で旅をしてきましたが、
全て知り合いがいる旅行でした。

ブラジルに行って



この写真と出会って、
黒人音楽を聞きながらビールを飲んでいたら
これはジャマイカに行くしかないだろうと。

16歳で出会ったSKAミュージック、
4月にじょうさんに進められて読んだ
【砂糖の世界史】とそしてこの長い休みと。
ブラジルに行くのはジャマイカへの準備運動
とさえ思ってしまうくらい自然な流れで
気持ちが向いています。

ブラジルで飛行機のチケットを手配して、
デビッドカードでは決済ができないので、
お父さんに支払いを手伝ってもらいながら、
日本に帰って来て、準備をして、明日出発です。


年に2回はジャマイカに行っている友だちESCAPE
AYAに、色々情報を教えてもらいました。
ヘモムーさんが運営しているクラブカクタス
レッドストライプを飲み、
ジャマイカの携帯電話、
SIMカードも借りて、準備は万端です。

一週間はキングストンのラブリッシュという宿を
予約したら、友だちも何十回と泊まっているというので、
安心しました。お土産に生醤油を買っていきます。


キングストン、ネグリル、モベイと
ぐるっとまわってくる予定です。

ジャマイカでSKAを聞く。
目的はそれだけです。
マルーンのお墓(あるのかな?)
ラスタコミューンにも行きたいなー。


1500年代から砂糖キビプランターの奴隷として
西アフリカから連れて来られた黒人。
反乱や闘争を繰り返す中1800年代に誕生したエチオピアニズム
(エチオピアを黒人誕生の聖地としたアフリカ回帰思想)。

1900初頭、ニューヨーク万国黒人向上協会でも
スピーチをしたエピオチアニズムの
カリスマ的宣教師、予言者マーカスガーヴェイ。

「黒人の王が誕生するときのアフリカを見よ。彼こそ救世主となろう」


ガーヴェイの予言通り1930年にエチオピアに黒人の皇帝が誕生する。
皇帝ハイレ・セラシエ(三位一体の力という意味)である。
元の名をラス・タファライと言う。

ガーヴェイの予言を待っていた信者は
狂喜乱舞し、ジャマイカ独自のラスタファリ運動と
変化を遂げていく。

(皇帝は1966年にジャマイカに初めて訪れたんだけど、
映像をDVDで見たけど、その熱狂ぶりはすごいです。)



エチオピアニズムから派生した
ラスタファリ運動は政府、植民地支配との
自由の闘争を繰り返し、1962年ジャマイカ独立国家の
建設に大きな役割を果たし、1970~80年代、
ボブマーレーの音楽とともに彼らのメッセージは
全世界に届くことになる。


ブラジルの田舎の牡蠣漁師小屋にもボブがいました。


(日本のルードボーイ、鹿児島にて)

現在のラスタマン(ラスタ信者)は
ジャマイカでも少数で、独自のコミューンで
暮らしているみたい。

ブルーマウンテンにラスコミューンがあって、
自給自足の農業、箒を作って売ったりしながら
暮らしていて、滞在や体験できるって聞いていたのけど、
現在は土地の権利問題とかで
山を追い出されそうになっているみたい。

昔riddimのフリーペーパーでも
エッセイを連載していた
(ricoさんのイラストと、
determinations高津直由さんの版画が
毎月楽しみだったんだよねー。)
ricoさんのブログに記事が載っていました。



ずっと闘争の歴史の末、こんなに世界をハッピーにした
音楽を生み出したラスタファリアンが、
未だに穏やかに過ごす土地がないなんて
悲しくなる。そして、それでも希望を捨てない
ラスタマンたちのgood viberationを感じてきたいと思います。

なんか東北と似ているんだよなー。
「はたらけど はたらけど猶 わがくらし 楽にならざり ぢつと手を見る~」石川啄木
「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ~」宮沢賢治


(気仙沼大島、小田の浜、2013年)

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