気仙沼から帰る前の日。
やっさんと、たくとにも、お世話になりました。と言ってきた。
たばこさえ置いておけば、帰ってくる気がして。海辺の祠に置いて来た。
なんだろうか。
意味というか、効果というか、化学的な根拠もなにも、そこにあったもんじゃない。
「そんなことしたって、見つからないよ。」といえば、それまでだけれども。
それでも、「自分にできることをしている感。」を感じていたいのか。
東京にいる、やっさんたちのことを知っている人の中にも、やっさんたちは生きていて。
それぞれに、「自分のこと」として関わっていけることがあるのかどうか。を探している。
「実際、そばにいないから、関係ないと思って、自分の仕事に専念している」気持ちとか。
「どう、とらえていいのか、自分なりに答えを探している」時間とか。
きっと来年の今頃には、こんな気持ちも忘れて、日常を過ごしているんだろうな。とか。
いろいろなことを思いながら、引っ越しの荷物が届くのを待っている。
つなかんは、色々な人の気持ちや、物語が、交差する場所だった。