迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊─東海道19 吉田宿(豊橋)→二川宿

2017-11-27 06:12:57 | 旧東海道
吉田本陣跡を過ぎ、曲尺手町など、いかにも昔を窺わせる町名を行く枡形を何カ所か過ぎ、やがて歩道に復元模型が置かれている東惣門跡に出ます。

ここが東八町信号の五叉路で、東南に分かれていく国道1号線(↑写真の右方向)が、かつての東海道。


そのまま国道の歩道を四十分ほど行き、殿田橋手前で旧道は左に分かれます。



ようやく国道の騒音から解放され、ホッとしながら飯村(いむれ)南地区の道をまっすぐ十五分ほど行った先の豊橋岩屋郵便局の前で、



道は再び二手に分かれます。

左が東海道の本道、拡幅されている右方向は、かつての裏道。

もちろん本道に進路を取って大岩町に入ると、往年の松並木が若木のクロマツをもって復元されています。



岩屋緑地を右に見ながら通って突き当たりを右折し、すぐに左にへ分かれる道に入って火打坂を下り、



火打坂信号で裏道と合流して緩いS字カーブを経て東海道本線「二川駅」の前に至ると、そこが二川宿の入口。

格子造りの古い家が僅かにのこる道を1㎞ほど行くと、左手には明治42年に「東駒屋」から暖簾分けして醤油と味噌の醸造を始めた旧「西駒屋」、右手には旧本陣が、



草津宿と同じように資料館として、往年の姿を留めています。

さらに進んで枡形と思しき跡の先の左手には、



前述「西駒屋」の主家「東駒屋」の建物、さらにその筋向かいには大元の「駒屋」がありましたが、現在は駐車場になっています。

本陣から約十分、枡形跡にかかっていると思われる東海道本線「第2東海道踏切」を鈎の手に通って梅田川に架かる筋違橋を渡り、



東海道新幹線のガードを潜ってすぐ左折して国道1号線に合流、一里十七町(約6.1㎞)先の白須賀宿をめざします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 質で全てを魅せる。 | トップ | 本分と本領。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。