横浜美術館にて、「生誕140年記念 下村観山展」を見る。
明治6年、能楽の小鼓方の家に生まれ、幼少ながらにして絵画に才能を示した下村観山。
やまと絵を踏まえた日本画のみならず、イギリス留学によって習得した西洋画にも、その技量を遺憾無く発揮できたのは、本人の資質に加えて、周りの環境に恵まれたからに、ほかならない。
神童が長じて凡俗に終わることなく、日本画壇の大家として昭和5年に生涯を閉じた観山の、今回の展覧会で目を惹いたのは、明治42年発表の「美人と舎利」。
二軸一対となっているこの作品、右の軸には美人画、左の軸には骸骨の立ち上がった姿が、互いに向き合うように描かれている。
観山がいかなる意図をもって描いたのはわからないが、どんなに若くて美しい生き物も、しょせんは骸骨に肉と皮を被せたものにすぎず、我々はそれを眺めて徒らに喜んでいる―
転じて。
どんな美しいものも、最後は骨になるのだ―
異性(ひと)を愛することの虚無を、わたしはそこに見る。
そうだな。
結局は化けの皮を被った“されこうべ”が、本人もそうとも気がつかず、踊り、踊らされているだけなのかもしれない。
明治6年、能楽の小鼓方の家に生まれ、幼少ながらにして絵画に才能を示した下村観山。
やまと絵を踏まえた日本画のみならず、イギリス留学によって習得した西洋画にも、その技量を遺憾無く発揮できたのは、本人の資質に加えて、周りの環境に恵まれたからに、ほかならない。
神童が長じて凡俗に終わることなく、日本画壇の大家として昭和5年に生涯を閉じた観山の、今回の展覧会で目を惹いたのは、明治42年発表の「美人と舎利」。
二軸一対となっているこの作品、右の軸には美人画、左の軸には骸骨の立ち上がった姿が、互いに向き合うように描かれている。
観山がいかなる意図をもって描いたのはわからないが、どんなに若くて美しい生き物も、しょせんは骸骨に肉と皮を被せたものにすぎず、我々はそれを眺めて徒らに喜んでいる―
転じて。
どんな美しいものも、最後は骨になるのだ―
異性(ひと)を愛することの虚無を、わたしはそこに見る。
そうだな。
結局は化けの皮を被った“されこうべ”が、本人もそうとも気がつかず、踊り、踊らされているだけなのかもしれない。