作家の内田康夫さんが、今月十三日に敗血症で亡くなってゐたことを、ニュースで知る。
享年八十三。
ご長命だったと思ふ。
私が日本の伝統芸能に興味を持ったきっかけは、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」を読んだことにある。
直接には、それを原作に市川崑監督が映画化した同名作品によって知ったのだが、どちらも若手能楽師が舞台で「道成寺」を舞ってゐる最中に急死する場面が、作中のひとつの山場になってゐる。
原作と映画ではその場面の扱ひに違ひがあり、映画版ではかなり無理な改変がされてゐるのに対し、原作は実際の「道成寺」の舞台が、ほぼ忠実に描かれてゐる。
ところが内田康夫さんは、「天河伝説殺人事件」の執筆を出版社から提案されるまで、能楽を観たこともなければ知識もなかったため、急遽資料を集めると観世流宗家の「葵上」を観世能楽堂で一度だけ観て、それで執筆に取りかかったと云ふ。
つまり、作中で殺人事件が発生する能「道成寺」を内田康夫さんは実際には観たことがなく、集めた資料とあとは作家の感性だけで、書き上げたわけである。
それであれだけ完成度の高ゐものを書ひてしまふのだから、プロ作家の力量といふものにつくづく感心したものだった。
当時学生だった私は、この「天河伝説殺人事件」で能「道成寺」の場面に出逢ったことがきっかけとなり、伝統芸能に興味を抱くやうになった。
そしてその道を志し、現在の手猿楽師へとつながるわけである。
その後、学生時代を通じて内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”を貪るやうに読み、やがて環境の変化などに伴ひ次第に遠ざかったが、その最後に読んだ作品が、皇女和宮の霊柩を巡って浅見光彦が木曽路を舞台に活躍する、「皇女の霊柩」だった。
作中では有吉佐和子の名作「和宮様御留」のことにたびたび触れており、興味を抱ひた私が実際にその名作を読んでみるきっかけにもなった。
内田康夫さんは、小説につひて、また社会につひて、作品のなかでかなりはっきりとご自分の考へを述べておられたといふ印象が強い。
とくにミステリー小説につひては、
「安っぽい推理小説などと違って、私の作品はあくまでも本格である」
と、プロのミステリー作家としてのプライドを示しておられた。
政治が絡んだ内容のミステリーは、私には重すぎて好きではなかったが──ただし、“大手ゼネコン”といふ言葉を知ったのは内田康夫さんの作品によってである──、内田康夫さん本人が浅見光彦の友人“軽井沢のセンセ”と呼ばれて実名のまま登場するタイプの作品は、二人のやりとりが軽妙なこともあり、けっこう好きだった。
その後は、浅見光彦シリーズを数多く発表する一方で時代小説も手がけるなど、旺盛な活動ぶりは電車の中吊り広告を通してのみでしか知らず、まさか三年前に脳梗塞を発症されてからは執筆を控へておられたとは、存じ上げなかった。
そのため、最後の作品は未完となったさうだが、それはこれからも作品を書き続ける永遠の現役作家となられたことを意味すると、私は考へる。
そんな内田康夫さんは、まちがいなく私の人生の恩人である。
合掌。
享年八十三。
ご長命だったと思ふ。
私が日本の伝統芸能に興味を持ったきっかけは、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」を読んだことにある。
直接には、それを原作に市川崑監督が映画化した同名作品によって知ったのだが、どちらも若手能楽師が舞台で「道成寺」を舞ってゐる最中に急死する場面が、作中のひとつの山場になってゐる。
原作と映画ではその場面の扱ひに違ひがあり、映画版ではかなり無理な改変がされてゐるのに対し、原作は実際の「道成寺」の舞台が、ほぼ忠実に描かれてゐる。
ところが内田康夫さんは、「天河伝説殺人事件」の執筆を出版社から提案されるまで、能楽を観たこともなければ知識もなかったため、急遽資料を集めると観世流宗家の「葵上」を観世能楽堂で一度だけ観て、それで執筆に取りかかったと云ふ。
つまり、作中で殺人事件が発生する能「道成寺」を内田康夫さんは実際には観たことがなく、集めた資料とあとは作家の感性だけで、書き上げたわけである。
それであれだけ完成度の高ゐものを書ひてしまふのだから、プロ作家の力量といふものにつくづく感心したものだった。
当時学生だった私は、この「天河伝説殺人事件」で能「道成寺」の場面に出逢ったことがきっかけとなり、伝統芸能に興味を抱くやうになった。
そしてその道を志し、現在の手猿楽師へとつながるわけである。
その後、学生時代を通じて内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”を貪るやうに読み、やがて環境の変化などに伴ひ次第に遠ざかったが、その最後に読んだ作品が、皇女和宮の霊柩を巡って浅見光彦が木曽路を舞台に活躍する、「皇女の霊柩」だった。
作中では有吉佐和子の名作「和宮様御留」のことにたびたび触れており、興味を抱ひた私が実際にその名作を読んでみるきっかけにもなった。
内田康夫さんは、小説につひて、また社会につひて、作品のなかでかなりはっきりとご自分の考へを述べておられたといふ印象が強い。
とくにミステリー小説につひては、
「安っぽい推理小説などと違って、私の作品はあくまでも本格である」
と、プロのミステリー作家としてのプライドを示しておられた。
政治が絡んだ内容のミステリーは、私には重すぎて好きではなかったが──ただし、“大手ゼネコン”といふ言葉を知ったのは内田康夫さんの作品によってである──、内田康夫さん本人が浅見光彦の友人“軽井沢のセンセ”と呼ばれて実名のまま登場するタイプの作品は、二人のやりとりが軽妙なこともあり、けっこう好きだった。
その後は、浅見光彦シリーズを数多く発表する一方で時代小説も手がけるなど、旺盛な活動ぶりは電車の中吊り広告を通してのみでしか知らず、まさか三年前に脳梗塞を発症されてからは執筆を控へておられたとは、存じ上げなかった。
そのため、最後の作品は未完となったさうだが、それはこれからも作品を書き続ける永遠の現役作家となられたことを意味すると、私は考へる。
そんな内田康夫さんは、まちがいなく私の人生の恩人である。
合掌。