数十年前の学生時代、日本の傳統藝能に興味を抱き始めた頃に録り溜めてゐた猿楽のVHSテープを、久しぶりに引っ張り出す。
幸い、画質も音質もほとんど劣化していない。
そこに映ってゐるのは、シテ方、ワキ方、囃子方、地謡方、その総てが最高の布陣で演じられゐる舞台。
いまは亡き演者も、そこでは健在だ。
近日、能楽堂へ出かけるつもりだったが、その懐かしい映像を見ているうちにすっかり満腹になり、その予定をやめる。
さういふことではいけないのかもしれないが、せっかく時間とカネをかけて出かけても、この頃は見所(けんしょ)の環境もよろしくなかったりするので、つひ「やめよう」に気持ちが傾くのである。
開演時間を過ぎてからノコノコと入って来るヒト──アンタ時間わかってたよね?
演能中でもお口を閉じられないお友達連れのヒト──ここは茶の間ぢゃないんだよ。
派手に袋を鳴らして飴を舐めるヒト──見所では飲食禁止だよ。
まずは“静寂さ”を旨とする能楽堂には絶対に要らなこれらは、だうも出演猿楽師の誰かから謡やら仕舞を習ってゐる、いはゆる“素人弟子”であったりする。
稽古を通してナニを学んでゐるのやら──作品世界に嵌まり込んで観る性質(たち)の私などは、さういふアタマを使へない人種が現れると、大ひに嫌悪を覺へる。
「その猿楽師と、その流派や会派の程度を知りたくば、まずはお客を見よ」
は、当たってゐる。
結局、さうした俗塵が耳目に入るのを厭ふて、それに充てるはずだった時間と労力を、もっともっと他の予定に割り振るのである。