横浜市南区の吉野町市民プラザが発行してゐる九月号の情報紙に、去る七月二十八、九日に行はれた「真夏のダンスステージ」の記事が掲載され、その舞台写真の一枚に、嵐悳江(わたし)の「猩々」を見つける。
当日は舞台袖などからプロのカメラマンが記録用の撮影をしてゐたのは知ってゐたが、かうして自分の姿を見ると、ちゃんとそれらしく見へるやう撮れてゐて、やはり専門家だなぁ、と失礼ながら感心する。
あの日、七月二十八日はまさかの台風が日中に接近した影響で生憎の大雨、一時はイベントの中止も覚悟したなかでの参加となり、そのことも含めて、いろいろと学ぶことの多ひ舞台だった。
さりながら、今かうして記事と写真を見てゐると、
自らの作品をもって自ら応募し、
自ら舞台にあがって披露するといふ、
自分が理想とする“仕事”をひとつやり遂げたのだといふ手応へを、
今になってやうやく感じるのである。
当日は舞台袖などからプロのカメラマンが記録用の撮影をしてゐたのは知ってゐたが、かうして自分の姿を見ると、ちゃんとそれらしく見へるやう撮れてゐて、やはり専門家だなぁ、と失礼ながら感心する。
あの日、七月二十八日はまさかの台風が日中に接近した影響で生憎の大雨、一時はイベントの中止も覚悟したなかでの参加となり、そのことも含めて、いろいろと学ぶことの多ひ舞台だった。
さりながら、今かうして記事と写真を見てゐると、
自らの作品をもって自ら応募し、
自ら舞台にあがって披露するといふ、
自分が理想とする“仕事”をひとつやり遂げたのだといふ手応へを、
今になってやうやく感じるのである。