迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

むかしこいしきときのわか。

2014-02-13 23:25:08 | 浮世見聞記
庶民は能舞台に立つことが許されなかった江戸時代、京の町衆は座敷で謡曲を嗜むことで、その欲求を満たしていた。

今宵の国立能楽堂で催された“謡講(うたいこう)”は、その一形式。

日が落ちた頃、謡い手は障子や屏風の向こうに座って聴衆から姿を隠し、謡う“声”だけを聴かせる。

聴衆はおのれの耳だけを頼りに、謡の世界で遊ぶ。

そして素晴らしい出来栄えならば、謡が済むと、

「よっ」

と、小さく声をかける。

夜更けの催しのため、隣近所に迷惑をかけないための配慮だった、という。

また、もともと我が国には“拍手”という文化はなかったため、それに相当する称賛の手立てだった、という。


おのれが発する雑音に、勝手にストレスを抱えている現代人が忘れ果てた静謐な世界が、そこではたしかに、生きていた。




すべての照明を消して、蝋燭のあかりだけで舞われる観世流の「二人静」に、わたしは何年も前、この曲をモチーフにした二人立ちの舞踊を創作したことを、思い出した。

女優志望というその女性に、舞踊の素質が備わっているのを見たわたしは、その彼女のために、創ったのだった。

女の背後に寄り添う“影”は、女と同じ身振りで踊り続けるが、曲が終わる寸前、“影”は突如として殺気を放ち女の首へ両手を伸ばすが、そこでスッと照明を消す-そんな構成だった。

舞踊そのものより、女の“影”が、突如として殺意を持った生き物と化す、その結末部分に重点をおいて、創った記憶がある。





ちなみに、彼女とはその後会う機会もなく、現在どこでどうしているのか、全く知らない。

少なくとも、芸能の世界で活動しているという話しは、聞かない。


やはり、おのれの“影”に、のみ込まれてしまったのだろうか?-


揺らめく炎の向こうで舞う白拍子に、わたしは女性を見るときの永遠の基準となった彼女を寄り添わせ、

そして、

首をしめる。
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