迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん13

2017-03-31 04:58:33 | 戯作
僕がおや、と思っているうちに、熊橋老人が盆に湯呑みを載せて戻って来た。

僕は「ありがとうございます……」とお茶をいただきながら、

「熊橋さんは、この奉納歌舞伎に出られたことは?」

と訊ねてみた。

「ワシは、出ていないんですわ」

思いがけない答えが返ってきた。「ワシが子どもの頃言うたら、ちょうど太平洋戦争中やさかい、戦争中は、祭りはずっと中止やったんですわ……」

「それは……、失礼しました」

「いいんですわ。そういう時代やったさかい……。仕方のないこってす。せやけど戦後になって、奉納歌舞伎を復活させようと奔走していた父親の姿は、はっきりと憶えています」

「そうですか……」

僕はお茶を一口啜った。

そして、もういちど鴨居の写真を見上げた。

「八幡宮の社殿は、こういうつくりだったんですね。それにしても、全焼は惜しかったですね……」

それを前置きに、全焼の事情について、それとなく探るつもりだった。

しかし熊橋老人は、

「まあ、失ったものはしょうがないですわ……。ところで下書きは、鉛筆でも大丈夫ですか?」

と、あきらかに話を逸らせたい様子を見せた。

今はよそ者があまり立ち入らないほうがよさそうだ、と僕は思い直した。

「そうですね、なるべく色の薄い鉛筆で…」

僕は湯呑みを盆に戻すと、熊橋老人が奥から持って来た鉛筆を借りて、さっそく下絵に取りかかることにした。

能舞台背面の鏡板に描かれている松は、「久」の字を裏返しにした形を基本とする、と云う。

が、僕は知識としてそれが頭にあるだけで、実際に描いたことはない。

僕は布地を凝視して、どういうバランスでいくかを考えた。

そのあいだ熊橋老人は部屋の隅に座り、様子を見ていたが、僕がなかなか描き出さないことで退屈になったらしい。

「ちょっと、用事を済ませてきます……」

すぐに戻りますので、と言い置いて、外へと出て行った。

熊橋老人がいなくなり、部屋に一人になったことで、僕は急に気が楽になって、大きく息をついた。

僕はつねに、作品に取り掛かるときは一人で部屋に籠りきりになる。

正直なところ、部屋の片隅に人がいて、こちらを見ていられたのでは、失敗のないよう監視されているようで、やりづらくて仕方ないのだ。

「さて……」

僕は改めて布地を見つめた。

やはり、一人のほうがパッとイメージが湧く。

僕はまず、スケッチブックにイメージをしたためて、それから一気呵成に、布地に鉛筆を走らせた。

松ならば、これまでに幾度も、作品のなかに描いている。

それを、何倍にも大きく、大胆に……。

基本線のまわりに、幹、根っこ、枝、針葉と肉付けし、老松の姿に整えていく。

それらしい姿が見えてきたところで、僕は一度鉛筆をおいて、ウンと伸びをした。

仰向くと、目線の先には鴨居に飾られた、例の記念写真。

そのなかの嵐昇菊が、ちょうど視界に入った。

歌舞伎の没落した名門に生まれたがため、劇界で不遇な扱いを受けた果ての、廃業。

その後は、この片田舎の農村歌舞伎の師匠に活路を見出だし、そして娘を一人授かり……。

「ん?」

僕は、あの日の金澤あかりの話しを思い返した。

嵐昇菊が死亡したのは、自分が中一の時だと言っていた。

つまり、八年前。

それは、彼女が“女人禁制”の奉納歌舞伎に、一度だけ参加した年でもある。

そして、朝妻八幡宮が全焼した年でも……。

僕は立ち上がると、もう一度記念写真を見上げた。

これらの出来事は、すべて、なんらかの関係があるのではないだろうか?―

そして嵐昇菊の死後、奉納歌舞伎の師匠は、誰が代わったのだろう―?


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