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中東に平和を! 35: 報復の連鎖 5 : イスラエルとパレスチナ 2

2016年09月21日 | 連載完 中東に平和を


< 1. インティファーダ(蜂起)の風刺画 >


今回は、イスラエルとパレスチナの現状を確認します。





< 2. 引用した本 >


引用した本
「現地ルポ パレスチナの声、イスラエルの声」
土井敏郎著、岩波書店刊。
中東専門のジャーナリストが1993年から2003年にかけて、両地域のあらゆる階層の人々にインタビューを行った。

私は、ガザ地区の家族の発言を取り上げ、抜粋要約しました。


ガザ地区
インタビュ-当時、イスラエルはガザへの入植を推進していたが、2005年、ガザから撤退した。
ガザはパレスチナ過激派の拠点になっていて、当時はイスラエル軍がガザに駐屯していた。

現在、イスラエルはガザを分離壁で囲み、テロの報復として空爆を行い、2か所の検問所で徹底した封鎖を行っている。
ガザは二つあるパレスチナ自治区の一つで、面積は全体の6%と小さいが人口の38%を占めている。





< 3. 2003年のガザ地区 >
青色が当時のイスラエル入植地。
ラファはガザ内の左下エジプトとの国境にある。


イスラエル入植者
2002年のインタビュー、数年前に政府援助で入植したイスラエル家族の夫。

「インティファーダが始まった2000年秋からまったく状況が変わってしまいました。
ロケット弾や爆弾がほとんど毎晩飛んできます。
それでも私達がここに留まるのは、ここは私達の土地だという信念のためです。」

「イスラエルが誕生した1948年、アラブ人が私達に戦争を仕掛けてきました。
イスラエルは戦う以外に選択肢がなかったのです。
私達はその戦争に勝ちました。
・・・・
イスラエルの土地は聖書に書かれている通り、ユダヤ人が神から約束された土地です。
聖書を信じる全世界が知っています。
国連はここの土地が我々の土地だと認めました。」

「いつの日か、共存出来ればと願っています。
しかしパレスチナ人に独立国家や土地、軍隊を与えることが出来るとは思いません。
彼らは信用できませんから。」

説明
この家族はテロによる被害を直接受けいないが、イスラエル側の立場をよく代弁している。
彼が指摘するポイント。
A: アラブ人が戦争を始め、イスラエルは勝った。
B: イスラエルの定住は、聖書が定めており、国連が認めている。
C: パレスチナ人が始めたインティファーダが状況を悪くした。

彼らの多くは、パレスチナ人がこの地から去るのを望んでいる。




< 4. ガザ >


パレスチナ人
2003年のインタビュー、出稼ぎの金で国境の街ラファに7年かけて家を建てた家族の夫。

「2001年9月、私達は家で寝ていました。
突然、爆発音がして目が覚めました。
まもなくイスラエル軍がやって来て、近所の家々を爆破し始めた。

私達は急いで近所に避難しました。
朝、自分の家を見に行くと、ほぼ完全に破壊されていた。」

「インティファーダ以前は、イスラエルで働いていました。
以前の生活レベルは平均的な生活の70%ぐらいでしたが、今の状況はゼロです。
ここでの生活はブルトーザーや戦車、銃撃、殺戮の恐怖の下にあります。」

「我々がいつも聞くのは『会談、会談』。もううんざりです。

インティファーダが始まってこの二年半、・・・日々悪くなる一方です。
以前はパレスチナ人が2,3人殺されたニュースを聞くと、世界中にその話題が広がりました。
しかし今では毎日15人、20人が殺されている。

また毎日、全体で60軒、100軒の家が破壊されている。」

説明
この家族から死者は出ていないが、ガザの状況をよく説明している。
死の恐怖、絶望的な生活、無気力が支配している。

イスラエルがラファ一帯の住居を破壊し更地にするのは、エジプト国境からのテロ支援を断ち切る為です。


一つの現実



< 5. 両地域の戦闘による死者数、by visualizingpalestine >

圧倒的にパレスチナ側の死者が多く、2005年(ガザ撤退)以降も殺戮は続いている。


次回に続きます。










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