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穿つ者 2: マンデラとアパルトヘイト

2015年02月10日 | 連載中 穿つ者

< 1. 1993年、演説するマンデラ >

これから、数回にわたり南アフリカで起きた奇跡を紹介します。
これは圧倒的な差別支配の中で、非暴力を貫き、平和的に民主制を勝ち取った一人の指導者の話です。
今回は、アパルトヘイトを説明し、次回からマンデラ氏について語ります。



< 2. 1960年、シャープビル虐殺事件 >

アパルトヘイト
これは南アフリカ共和国の極端な人種隔離・人種差別の政策と制度全体をさす。
1割に満たない白人が残りの黒人、カラード(混血)、アジア人(移民)の人権を奪い、経済的収奪と隔離を行った。
多くの部族からなる先住民の黒人は、数百年前から入植して来た白人に土地を追われ、人頭税などあらゆる税をかけられ、家内や農場の奴隷として使役された。
結婚や居住、移動などの自由が制限された彼らに見返りはなかった。
彼らは、形式的には旧来の村落の自治権や、選挙権を一部与えられこともあったが、結局はその権利が使えないようになっていた。
彼らが白人に不平や訴えの行動を起こせば、白人政府の法に従って暴力的に鎮圧され収監された。
これはここ半世紀間のことで、それ以前は、白人の武装集団や軍隊によって住居は焼かれ、殺された。



< 3. 1959年、弁護士、人権活動家のマンデラ >



< 4. 1976年、民主化を訴える学生デモ >

アパルトヘイトの起源
古くは、この地は先住民が狩猟採集、牧畜を営む土地だった。
17世紀半ば、オランダ人が入植を初め、徐々に収奪が始まった。
この白人をアフリカーナーと呼ぶ。
18世紀末、今度は英国が弱体したオランダに替わって統治を始めた。
英国は、初めこそ奴隷制度の廃止を行ったが、やがて豹変していく。
19世紀半ば、この地でダイヤモンドと金の発掘が始まり、英国が牛耳った。
アフリカーナーは経済特権の奪還と、さらなる植民地獲得に乗り出し、遂に英国と戦争を始め、敗北を喫した。
少数の英国人は本国の力を背景に政治と経済・産業を握り、多数のアフリカーナーは農場経営や工場労働を担った。
やがて両者は黒人達を収奪することで折り合うことになる。
1910年、現在の南アが誕生し、英国連邦からも離脱し、1948年、差別制度はアパルトヘイトとして確立した。



< 5. 収監中のマンデラ >

アパルトヘイト終焉の始まり
黒人が民主化を求めて立ち上がり、1962年、その指導者マンデラは収監された。
この頃から世界と国連がアパルトヘイトとマンデラ収監を批難し、あらゆる封鎖(経済、外交、武器禁輸)を行い始めた。
黒人達はデモを繰り返すようになった。
また南アは近隣諸国とも戦争をしており、内外で苦境に陥り、遂に1990年、マンデラ釈放、アパルトヘイト関連法案の廃止に踏み切った。


次回から、マンデラ氏の事績を追います。


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