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仏像を巡って 25: 中国の神像の始まり 3

2015年07月10日 | 連載中 仏像を巡って


< 1. 兵馬俑、秦の始皇帝陵墓、前3世紀   >

今回は、先史時代から漢の時代(紀元前後)までの人物表現の変遷を追います。
これら人物表現には様々な想いが込められていました。

秦の兵馬俑について

図1のA像は中国史上、人物像の画期となった兵馬俑8000体(武士像)の一つです。
この塑像群は、一体一体が風貌を異にし、身長は1.8~2mもあり、非常に写実的です。
これに続く漢王朝の陵墓の副葬品(図6のM像)は、数こそ多いが小型で見劣りするものでした。
しかし、後に表情豊かな人物像が作られるようになった。

これ以前も人物像が主君の墳墓に埋葬されたことがあったが、稀であり、簡素なものでした。
さらに古くは人間や家畜が殺されて殉葬されていました。


人物表現の変遷をたどります


< 2.図像の出土位置を示す地図  >




< 3. 最初期の人物表現 >
図B:人面魚文彩陶盆、仰韶文化半坡遺跡、紀元前4500年頃。
人面魚文は魚がたくさん卵を生むことにあやかって子孫繁栄を願って描かれた。

図C:玉人、玉製、高さ8.6cm、安徽省含山県凌家灘遺跡、紀元前3500年頃。
これは副葬品で、シャーマンを想わせる服装と姿勢をしており、宗教指導者の衣類に縫い付けられていたらしい。

図D:裸婦像、紅山文化、紀元前4000~3000年頃。
これは氷河期のビーナス像を連想させる妊婦の土偶です。
この地域で、紀元前6000年頃から石製の裸婦像が出土しており、中国では最初期のものです。




< 4. 玉と青銅器の図像 >
図E:玉、玉製、良渚文化、紀元前3100年頃。
玉は初め司祭の腕輪だったが、祭祀の置物として中心的役割を果たすようになった。
その表面に神人獣面文が施されている。
下段の獣面は目と口が明瞭です。

図F:劉鼎、青銅器。殷後期(紀元前1300~1050年頃)。
この器は煮炊き用だが、これら青銅器は祭祀用であり上層階級の副葬品でした。
この手の器には獣面文がよく描かれている。
それは真ん中に鼻、左右対象に大きな眼、外側に広がり爪状になった耳、頭上に大きく曲がった角、下には大きく開いた口からなる。
これは魔除けの意味があったと考えられる。

図G:食人虎卣、青銅器。殷後期。
これは祭器用の酒器で、虎の表面には龍や獣面文が描かれ、人間を抱えている。
当時、人々は天と地、神霊や死霊との交流には動物の力が必要だと考えたようだ。


< 5. 三星堆遺跡の青銅器像、四川省、紀元前2000~1000年 >

この遺跡の人頭像や仮面、立人像は、同時期の夏と殷の文化には無いものです。
その人面は目や耳、口などが非常にデフォルメされており、仮面では目が棒状で飛び出したものもある。
人々は祖先神を祀る為にこのような像や仮面を造り地中に埋めた。

図H: シャーマン像、人像高1.8m、祭祀と関係した特徴的な手をしている。



< 6. 羽人と俑  >
図K: 羽人、木製漆仕上げ、湖北省荊州市、戦国時代の楚の墓、紀元前4世紀。
羽人は獣形の台座の鳥の上に立っている。
上半身は裸の人間だが、口は嘴で、下半身は鳥の姿をしている。
羽人は戦国時代の神話と地誌の書「山海経」に書かれており、仙人を示した。

図L: 羽人、青銅製、陕西省西安出土、前漢時代(前202~後8年)。

図M: 彩色女俑、高さ63cm、漢陽陵考古陳列館蔵、前漢時代(前2世紀)。
これは漢の皇帝の陵墓に大量に陪葬されていたものの一つ。


人物像の発展
古くは、動物の優れた特徴や畏敬の対象を強調して像を作った。
人間らしい像の多くは埋葬されていたもので、主君の死後に役立つ為か、祖先の霊を敬う為に造ったようです。

重要なことは、当時、人々はおそらく写実的な表現力を持ちながら、信仰の対象を写実的な人間として表現していないことです。

次回は、神像の前触れについて見ます。






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