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クロアチア・スロベニアを巡って 20: コトル2

2015年12月25日 | 連載完 クロアチア・スロベニアを巡って


< 1. 「海の門」を入った所の広場にある時計塔、1602年建築 >

今日は、城壁内のコトルを紹介します。
小さな町ですが、古代から中世に生きた港湾都市の面影がそこにはありました。




< 2. 紋章 >
上の写真: 「海の門」の右にある要塞のコトル紋章。
下の写真: 元貴族の宮殿の入口上にある紋章、1776年建築。



< 3. 時計塔と広場 >
上の写真: 「海の門」を入ったところ。
中央の写真: 山の城壁部分を拡大。
この城壁は総延長4.5kmで、標高は最大260mまで達し、壁の最大高さは20m、厚みは2~16mある。

下の写真: 「武器の広場」。



< 4. 教会 >
このコトルには14の教会があります。

上の写真: 聖トリファン大聖堂、1166年建築。
中央の写真: 聖ニコラス教会、1909年建築。
中に入りましたが、神聖さに打たれ写真撮影を控えました。
ここはセルビア正教会で、イコンが飾ってありました。

下の写真: 古代キリスト教バシリカの鐘楼、6世紀建築。




< 5.聖ルーカ教会、1195年  >
ここも正教会です。

下の写真: 教会の後ろ側で、正面より古い時代の建築です。
教会の多くは古い教会に改造や増築がなされ、その痕跡が残っています。





< 6. 聖ルーカ教会の内部 >
非常に小さい教会ですが、多くのイコンと十字架を見ることが出来ました。
かなり痛んでいたが宗教画のモザイク壁画もありました。
今回の旅行で楽しみにしていた正教会を見て、ビザンチンの香りを嗅いだように思います。




< 7. 町中の光景 >
一番上の写真: 海洋博物館、元宮殿、1732年建築。



コトルについて
ここは歴史遺産で世界遺産に指定され、また風光明媚なのでクルーズ船の寄港地になっています。
この港湾都市は、紀元前のローマ時代から始まり、ビザンチン、続いて北方民族の支配を受け、またラグーサ共和国(ドゥブロブニク)と同盟したり対抗したりもした。
15から18世紀のベネチア支配で今の町並みや城壁が形作られ、その間に2回のオスマン支配と地震を経験した。
第一次世界大戦時、この港はオーストリア・ハンガリー帝国の軍艦で一杯になった。
このモンテネグロの地も2千年の間、南北の大国の狭間で悪戦苦闘した。


次回に続きます。



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