アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

赤穂事件 御犬遊び説

2023-03-04 09:02:39 | 漫画

      赤穂事件 御犬遊び説



柳沢 吉保
「赤穂事件が尾を引いておる」
「上様は、御隠れのまま」
「老中の突き上げは厳しい」

松平 頼常
「ご安心下さいませ」
「吉良殿は隠居なされ、赤穂城は開城」
「全て、無事に相務まりまして御座る」

柳沢 吉保
「あのな」
「其方は、光圀殿から遺産を引き継いでおらんのか?」

松平 頼常
「はい」
「母親を某のもとに」

柳沢 吉保
「いやいや、そうではない」
「あのな、光圀殿から書状を貰ってはおらぬか?」

松平 頼常
「如何なる書状に御座るか?」

柳沢 吉保
「あのな、遺言じゃ」

松平 頼常
「お恥ずかしながら、
某は、父君より、疎まれておりました故」
「左様な、書状は御座いませんでした」

柳沢 吉保
「おーおぉ」
「済まぬ事を申した」
「其方の、忠義は心得ておる」
「母を大切に致せよ」

松平 頼常
「有難きお言葉」
「感謝申し上げます」

柳沢 吉保
「それから、承知しておると思うが
御犬遊びの件は、極秘事項となった」
「上様の命令じゃ」

松平 頼常
「承知しております」
「ご安心下さいませ」
「御犬遊びの事が、外部に漏れる心配は御座いません」

幕府は刃傷直後に浅野、吉良双方に聴取を行ったが、いずれも、遺恨について具体的に口にしなかった。刃傷事件という重大事を起こしたにも関わらず、具体的な遺恨の内容及び吉良側の落ち度を浅野が主張しなかったのは明らかに不自然であるが、何故動機を具体的に主張しなかったのかもまた不明である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浅野内匠頭任官のときからの遺恨という説
『赤城盟伝』には「上野介に宿意があるのは一朝一夕の事ではない。ずっと前からの事である」と書いてあり、この「ずっと前の宿意」が寛文11年浅野内匠頭が将軍家綱にはじめてお目通りした際、その場にいた上野介が内匠頭を侮辱したものだとするもの『赤穂記』にこの説が書いてあるが、寛文11年の段階では内匠頭は5歳であり、この説には信憑性がない[。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木杜太郎、赤穂義士顕彰会 『赤穂義士事典―大石神社蔵』新人物往来社、1983年(昭和58年)。

御犬遊び説
幕府は事件後に聞き取り調査をしているが、双方は具体的な遺恨を示していない。単純に、遺恨や吉良の意地悪が原因であれば、弁明する筈であり、双方が黙るのには、それなりの理由があると考えるべきだ。また、『赤穂記』の説は否定されているが、御犬遊び説では、逆に信憑性が増してくる。将軍綱吉の御犬遊びが事実でり、新しい子犬を飼育していたと考えれば、五歳は早すぎる訳では無い。内匠頭は幼いころから、犬として辱めを受けていたと考えれば、その遺恨の大きさは容易に推察できる。