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夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

八月の雲

2010年08月11日 | 日記・紀行


二〇一〇年八月十一日(水) 晴れ

二千十年夏の追憶のために、八月の雲の記録。


















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琵琶湖の花火

2010年08月06日 | 日記・紀行

二〇一〇年八月六日(金)  晴れ一時雨

琵琶湖の花火

結局、四時近くになってようやく山畑に向かう。家をでるときには、夏らしい青空に、太陽がまだ煌々と照りつけていた。暑い日には自転車でも決して急がない。息が切れないように、まだ青い稲穂を付け始めたばかりの稲田を遠くに眺めたり、その上を低く飛び交うツバメの跡を追ったり、遠くの野原と家々を見晴るかしたりしながら、ゆっくりとペダルを踏みこんで行く。

山畑に向かうときに、とくに坂を登り行くときに、その日の自分の体調がどんな具合かはっきりと感じる。やはり寝不足のときなどは、疲労度が確実に違う。この日は睡眠も足りていたのか、急な坂もそれほどに苦痛に感じない。

ほとんど畑の中に入りかけたのに、空模様が急変したかと思うと、霙のような雨が降り出した。二百メートルほども走ると小屋もありそこで雨宿りもできるのだが、急な雨の激しさと、その距離の間にずぶ濡れになるのを恐れて、先の雨宿りの経験からこんなときのために小さな青いビニールシートを用意していたのを、早速バックの中から取りだした。そして、立てかけた自転車にその片方を括りつけ、もう一方は傍らの一本の立木に括り付けて、ちょうど公園などで時折見かける路上生活者の生活空間のようなものをつくって入り、そこで雨を凌いだ。

子供の頃の冒険ごっこを思い出すような気持ちで、京都タワーなどを遠くに見下ろせる市街地を眺めていた。雨は三四十分も続いただろうか。山の天気は変わりやすいのだ。夏の日の夕立は昔なら当たり前だった。

空に再び青空が広がり、雨で濡れそぶる小笹の間を抜けて、イチジクと柿と桃の木を見に行く。柿はこの春から、折られた根幹の脇から天空に向けてまっすぐに一本の枝を伸ばしている。猿に再び折られることのないように、先日、支っかえ棒を三四本打ち込んだ。

イチジクはすでに小さいながらひとかどの大人のような樹形を見せている。そこそこに実もつけている。しかし、どれもまだ小粒で青い。

このブログではすっかり報告はしていないが、桃の木もかなりの大きさに成長している。枝も四方に伸び放題になっていたので、秋になって涼しくなれば剪定鋏を入れて、枝振りを整えるつもりでいた。それなのに、先日サルに先手(剪定)を撃たれて、大切な枝を折られてしまう。洒落にも面白くない。

それでも山をさらに上がると、飛び交うトンボの群の数とヒグラシの鳴き声の繁さが増してくる。東の青空を流れ行く雲の形に、すでに秋の片鱗を感じる。

鎌や噴霧器などの畑の道具を出し入れしているときに、バックのチャックが毀れてしまった。脇に抱えて修理に取りかかったが、適当なペンチなどの道具がなく、どうにも直らない。結局畑仕事もそっちのけで、時計を見ると夕刻七時にも近い。

真夏だから、まだ十分に明るいけれども、闇の帳は早いので、畑を降りることにした。その帰り道の畦道から、夕闇の中に輝き始めた市内を遠くに眺望することができる。視点の中心に写るのはいつもライトアップされた京都タワーだ。その見慣れた黄昏景色の中に、タワーの右手後方に、色鮮やかな小さなダリアの花のような花火の上がっているが見えた。どこかで花火大会が開かれているに違いない。

市内を眺望できる場所は、この山畑の畦道からのほかに、もう一カ所ある。それは高畠稜のある丘陵からである。この御陵には桓武天皇の皇后であられた藤原乙牟漏さまが葬られている。長岡京の造営に失敗して平安京に都を移したとき、この地に亡くなられた美しいお后が新しい平安京を一望できるようにと、桓武天皇はお后をこの高台に葬られたに違いない。この場所からも市内を眺望できる。もし花火大会がまだ終わっていなければ、帰路そこからも花火が見られるはずだ。

まだ畑仲間が一人残っていた。池に流れ落ちる水で、いつものように顔の汗と手の泥を洗って、畑を後にする。

帰り道に高畠御陵の傍らを通り過ぎるとき、その急坂の途中に自転車を止めて、まだ花火大会が終わっていないかどうか、京都タワーの右側後方のあたりをしばらく見つめていた。すると果たして遠くの山際のあたりがほのかに明るくなったかと思うと、さまざまな彩りの花火が、東山の稜線の上に輝いて見えた。いずれも山影に半円だけ切り取られた花火である。ときおり空高く打ち上げられる大型花火だけが、ボタンや菊のような小さな丸い花の全容を見せた。

しばらく自転車に腰掛けたまま、小さな花火を遠くに眺めていると、団扇を片手にした小柄な婦人が、坂の下から上がってきた。彼女はやがて立ち止まるとくるりと背を向けて、私のように同じ花火を眺め始めた。それから約二十分近くも、遙か遠くの東山の稜線に切られて頭の半円だけ顔を出す花火と、ときおり高く打ち上げられて、山影のうえ高く闇夜に浮かぶ小さな花々を眺める。打ち上げの音がここまで小さく響いてくる。

たたずまいを崩さずに、団扇をあおりながらいつまでも花火を見ている婦人の後ろ姿を見て、彼女ならこの花火がどこの花火か知っているかもしれないと思った。しかし、行き交う人に気軽に挨拶することさえ憚られる哀れな人間関係の日本では、見ず知らずの婦人に声を掛けるのも気後れし、尋ねても気まずい思いがするだけかもしれない。それでも、自転車を乗り直して再び坂を降りがけに、
「奥さん、どこの花火かご存じですか」と訊いて見た。
「ええ、琵琶湖の花火です。おおきに。」と言って応えてくれる。

家に帰り着きテレビを見ると、ちょうど菅直人首相が広島原爆の第65回記念式典で挨拶する姿が映っていた。

 

 

 

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風のそよぎ

2010年07月18日 | 日記・紀行

 

風のそよぎ

風の戦ぎ、
山から落ちる、水のせせらぎ、
カラスやウグイスたちの鳥の鳴き声、
芝刈り機のエンジンの音、遠くから聞こえてくる。
私の全身を撫でながら過ぎてゆく、
山頂から吹き下ろしてくる風。
眼を瞑ると、
梅雨明けの青空から日差しは消え、
私の瞼の血の色である深紅の世界に、
鎖される。

私のこの全身の感覚が、
今自分の生きていることを実感させる。
死とはこの五感のすべてを喪失した、
無の世界に他ならない。
しかし、たとい
私の生がなくとも、世界はある。
私は私の前世を忘れてしまっているが

いつか、
無限の時間と空間を旅した後に、
いつかどこかで再び私自身に出逢うことがあるに違いない。
だが、そのとき新しい私は今の私を思い出すこともない。
それが反復であることすら気づかない。―――――

道路の側壁に腰を下ろし、
そこから市内を眺望していても、
誰一人行き過ぎる人もいない。

空を見上げると、
先ほどまであった小さな入道雲の子供は、
姿を消し、
真っ白なかき氷の山に姿を変えている。

うとうと寝そべっている私に、
「おい、A」と、
少年時代の友人が呼びかけたような錯覚にとらわれる。

キュウリも茄子もまるまると太って、
その重みに茎も傾いでいた。
収穫して行って、彼らの身を軽くしてやろう。                                              

                                       

 

 

 

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夏が来る

2010年06月24日 | 日記・紀行

 

夏が来る

昨年は少し忙しくて、作ることに手が回らなかった夏野菜も、今年は何とか実り始めた。茄子が紫の美しい花をつけ始め、キュウリも小さな黄色の花の下に実を付け始めた。

いつ見ても、自然の造形と色彩の美には眼を見張る。あえてそこに創造の主体としての「神」のことを言うなら、神の創造の御業は私たちの理解を超えている。私が自然を見ると言うことは、神が私を見ることである。その「存在」を「認識」するのは、また、その由来を問うのも言語を持つ人間のみの特権である。単なる動物にその能力はない。

自然は回帰する。むろん、それは太陽系という宇宙の構造に由来する。しかし、この回帰も、太陽に寿命の存在することを知っている以上、未来永劫の回帰ではあり得ない。

とはいえ、太陽系の存在自体とその再生の必然性のことを考えれば、私たちの生命体を含む存在の「永劫回帰」は、その意味では復活としても認めることはできるのかもしれない。こうした問題の論証は、いずれにしても、もっと厳密に行われるべきだろうけれども。小さな自然の中に宇宙を見る。

                                        

 

 

 

 

 

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新春のお慶びを申し上げます。

2010年01月05日 | 日記・紀行

 

上の写真は2010年1月2日午前8時の、忍野富士

富士山ライブカメラ
http://www.fujigoko.tv/live/index.html
 

新春のお慶びを申し上げます。

昨年はアメリカ発の疑似世界恐慌で、全世界が揺れた一年でした。しかし、金融不安からもっとも遠く安全地帯にいたはずの日本が、低温火傷の被害のように、もっとも深刻に、長く経済不況を蒙っているように見えます。鳩山民主党の掲げた、子ども手当や高校授業料無償化、農業の戸別補償などの雇用・環境、景気対策における「バラマキ」は、この緊急非常時に、国民に対して財政再建のための耐乏と貢献、犠牲の覚悟を促すのではなく、むしろ甘やかし政策になっている。これで財政破綻を招くことになれば(その可能性は高い)、国民経済を本当に救うことにはならないのです。一時しのぎのモルヒネ注射にしかなりません。

本当に必要なのは、「バラマキ政策」ではなく、新産業、新事業の開発、新しく若い企業家の育成であり、そのための財政金融支援、教育支援です。経済の再活性化のために重点的、集中的に財政投融資して、とくに人口少子化対策にはあらゆる手を打たなければなりません。今の鳩山政権の経済政策は、後ろ向きの「バラマキ、甘やかし」の弥縫策に終始してます。そんな時期に福島瑞穂少子化担当相など、とうていその任に堪えないブラックユーモアでしかありません。

昨年の一年は、戦後になってようやく曲がりなりにも政権交代らしい政権交代を果たしました(小沢一郎氏などについても悪口を言うばかりではなく、その功罪をきっちりと評価すべきでしょう)。しかし、だからといって日本の政治がまともなものになったとはとうてい言えません。さらに自民党を消滅させ、また、現在の「旧社会党」系民主党をも分解させて、政界の再編成を図ることが当面に残された次の課題になっています。

長く続いた55年政治体制の旧政界の廃墟の上に、新自由党と新民主党による真の二大政党によって、さらに日本国の自由と民主主義を充実させながら、立憲君主国家体制をさらに発展させて行く必要があります。そうして、本当に健全な国家社会を建設して行くことによって、バブル経済の崩壊以来、毎年三万人を越える自殺者が出ているような悲惨な社会状況を改革して行く必要があります。

こうした課題は、新憲法の制定と並行して実現して行く必要のあるものが多い。衆議院、参議院の定数削減、道州制国家体制、公務員制度の全面的な行政改革、全寮制の中高一貫教育(現在の民主党政権で高校教育の実質的な無料化は進んでいますが)や、保育所・幼稚園の統合、国民皆兵制度の制定など、教育制度の全面的な改革などとも並行してゆく必要があります。明治維新を越える平成維新として根本的な国家体制の変革をさらに準備して行かなければならないと思います。

鳩山民主党は、危ういながらも、アメリカ依存からの相対的な独立を実現し始めているのはよい。ですが国家に真の独立を求めることが、国民にどれほどの負担と覚悟を求められるものであるかを、国民に十分に周知、教育、納得させるという前提抜きで、早急にことを運ぼうとしています。こうした歴史的な課題の実現には、十分な歳月と準備が必要です。向後百年を要する政治的な課題でもあるのですから、工程表を明らかにして、着実に腰を据えて実行してゆくべきでしょう。

今年も世間に対する愚痴から、新年のご挨拶を始めてしまいましたが、何はともあれ、どうか本年が多くの人々にとって、平安と歓びに満ちたさらに豊かな一年になりますよう、ささやかな祈りを込めて、新年のご挨拶をお送りします。

相変わらず和歌の修行も余裕のない私には、自分の言葉で春の心を詠むことができません。せめて西行法師の心を懐かしむばかりです。

        世にあらじと思ひける頃、東山にて、人々、寄レ霞述懐といふことを       詠める 

722  そらになる 心は春の かすみにて 世にあらじとも 思い立つかな

    おなじ心を

724  世をいとふ 名をだにもさは  留め置きて  
       数ならぬ身の  思い出にせむ
       
        世を遁れける折り、ゆかりありける人の許へ 言ひ送りける

726 世の中を   背きはてぬと 言ひ置かん 思ひしるべき 人はなくとも

 

 

 

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プロバイダの変更

2009年06月04日 | 日記・紀行
プロバイダの変更
 
 
先月の五月一日からプロバイダーを変更した。そのためにホームページに記録していた以前の文書が読めなくなっている。一九九八年頃に開設したホームページに記事や論考を記録しはじめていたが、消えてしまった。そのなかには欧米の学者の論文の翻訳の一部や聖書の詩篇などの翻訳などもある。いずれ上梓しようと思い、また途中でほとんど中断してしまっていたとは言え、ヘーゲル哲学大系を抄訳録したノート風の「ヘーゲル哲学事典」などもホームページに載せ始めていた。それも消えてしまった。
 
ホームページの標題を「哲学の小窓」として(http://www8.plala.or.jp/ws/)、それまでの論考や記事をそこに記録しはじめていた。しかし、記事を書くごとにいちいちアップロードしなければならず、HTMLタグやスタイルシートの活用にも手間もかかった。そこにやがてブログが登場してきた。そして、ブログの簡便さに馴れると、記事や論考のほとんどをブログの方に記録して、ホームページ上での論考の整理もおろそかになりがちだった。
 
科学としての思想、科学としての哲学を志すとなると、どうしても世界についての私たちの認識を、一つの体系として構築して行かざるをえない。真実に科学の名に値する哲学は体系的であるからだ。この認識の体系の基本的な骨格については歴史的にはすでにヘーゲルがやり遂げている。だからヘーゲル以降に生きる我々は、この哲学体系に対してどういう立場を取るかによって、我々の哲学的な立場が決まる。
 
私自身の最終的な立場は、まだ構想半ばではあるが、私自身の「哲学百科辞事典」(http://aowls.exblog.jp/)において明らかにしようとしている。しかし、この辞事典についても、私の「時間と能力」の問題もあって遅々として進んでいない。
 
しかし、いずれにせよ、どこまでやりきれるかはとにかく、新しいプロバイダーと契約し、ホームページも新しく開くことにした。内容については基本的には以前と変わり様がない。パソコンに保存されているデータをそのままアップロードして行くことになる。
 
当面は「全集アーカイブ」として、表紙だけをとりあえず再録した。(http://www.eonet.ne.jp/~anowl/index.html)
 
全集と体系の形態にいたるまで少しずつでも構築してゆきたいと思っている。さし当たっての記事や論考はブログにまず投稿して記録して行くつもりでいるけれども、それをこのホームページで、一つの必然的な認識の体系として、再構成して行かなければならない。
 
それにしてもこの非哲学的な国民性のなかにあって、それがたとえ世の覚えのめでたくもない仕事であるにせよ、他人は他人で我が道を行けばいいと思っているが、いったいそれが「何の役に立つのか」というモンゴル人種に特有の実利的な問いではなく、「真理」そのものを問うてきたつもりである。言い訳をするなら、真理こそがもっとも有益なものであるはずだから。
 
それにしても、こうした論考に意義はあるか。あるとすればそれはどのようなものか。一つはヘーゲル哲学の研究を中心的なテーマにしていることである。とくにヘーゲルの「概念論」の分析と研究とその意義を明らかにすることを中心的な課題としている。その成果も乏しく、内容もいまだきわめて不十分で未熟であるとは言え、ヘーゲルの「概念論」については、これまで誰も明らかにしていない独自の解釈の方向を示していると思う。この方面の研究は引き続き根本的な研究テーマである。このブログの目的でもある。
 
ヘーゲルの概念論は真理認識において不可欠の要素であり、また、従来の唯物論者マルクスなどの理解の及ばなかった概念観について考察し、イデア論の復活と再認識を目的としている。また、とくにヘーゲルがキリスト教の「聖霊」を、必然的な「絶対的な精神」として捉えなおしたところに、ヘーゲル哲学の意義を見出している。「ヘーゲル哲学」を「最深の神学」としてこの哲学にかかわり始めた私にとっては、この哲学とキリスト教との関連をさらに解明してゆく仕事も残っている。ヘーゲルにあっては「哲学」することは至高の宗教的行為だったのだ。
 
さらに、マルクス流の共産主義国家論の、歴史的な哲学的な破綻を受けて、ふたたびヘーゲルの『法の哲学』の現代国家論にもつ意義とその弁証法の再評価を主張している。つまり立憲君主国家の形成は、現代においてもなお課題として残されているということである。マルクスは市民社会の否定的な側面のみを見て、その肯定的な面を正当に評価することが出来なかった。
 
先般に行われた自民党と民主党の党首討論おいて、鳩山由紀夫氏などは「友愛社会の建設」をアピールされていた。なるほどたしかに、抽象的な「友愛」の精神に誰も反対する者はいないだろう。しかし本当の課題は具体的な各論で論争することである。
 
私の論考では、現在の自由民主党と民主党による利益談合型の政界を解体し、自由主義と民主主義をそれぞれ自由党と民主党によって充実発展させてゆく理念追求型の政党政治への変革を主張している。その上で、国家の行政形態として道州制国家を展望している。
 
元大蔵官僚の榊原英資氏や民主党などは、わが国ではいまだ歴史的な体験がないことを理由に、国と人口40万人程度の自治体(基礎的自治体)の二重構造国家を主張しているようだが、国家概念としては道州制国家の方が優れている。新しい歴史を創造してゆくことだ。
 
わが国ではヘーゲルの『法の哲学』の研究や「弁証法」の能力の修行もせずに、一国の指導者の地位にさえ就くことができるのである。以前に「国家指導者論」という小論(http://anowl.exblog.jp/7671044)でも論及したが、ヘーゲルの『法の哲学』や「弁証法」について何らの素養もなくして首相の職さえ勤まることのできるこの国では、その「党首討論」といっても、その実、自らの政治のレベルと学問科学の哀れな水準を、世界に告知するだけの恥さらしでみじめなものになり終わらざるをえない。それもやむをえないと言える。何度も繰り返して言っているけれども、西洋のことわざにあるように「自分たちにふさわしい水準以上の政治を国民はもつことは出来ない」のである。
 
フランス革命や文化大革命など過去の歴史的な事件などにおいても見られたように、また、現在も世界各地でなお続いている民族や宗教間の紛争、とくに中東やインドなどに起きている各宗教、宗派間の紛争などの不幸の根源が、理性的な思考の能力に欠けた指導者、大衆のその悟性的な意識と思考にあることも明らかにした。
 
狂信や個人崇拝の認識論上の根源がその「悟性的思考」にあることを明らかにして、悟性的思考と理性的思考(弁証法思考)の違いを明確にし、後者の能力なくしては罰と不幸は避けられないこと、理性的思考(弁証法思考)の決定的な重要性について論及していることなど、これらもこの全集の意義であるといえるかもしれない。
 
 
 
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山野辺の宝石

2009年05月10日 | 日記・紀行

                                             




次第に山野辺の面影も夏の彩を帯びてくる。春の花はすでに散り、新芽のすがすがしい新緑も強い日の光を浴びて日々さらに葉の色の濃さを増してゆく。街中の暮らしに、季節の変化をさほど実感することはないけれど、山辺を歩くと自然の循環と回帰を痛感する。秋冬春夏それぞれに山野辺は相貌を変える。

昨年の今頃は夏野菜の種を蒔いていた。 夏の盛りの暑い日ざしの下で、トマトをもいで食べた時に舌と肌に感じた自然は、今も身体の感覚に深くきざまれている。幼い頃に田舎で味わったトマトの香りの記憶を蘇らせたいという長年のささやかな夢はかなった。

夏野菜を植える
http://anowl.exblog.jp/7945077/

昨年と同じように、今年も生命感にもっともあふれる夏を深く味わいたいと思うけれど、この夏は忙しくなりそうで、余裕を見て見送ることにする。

生涯に残された夏もさほど数が多いわけではないが、一回や二回見送ったとしても、後悔することはないと思う。また再び豊かな夏の日々を迎え味わう日の来ることを期待している。楽しみが先に延びただけだ。

この夏はそれなりに手間のかかる夏野菜に代えて、果樹としてビワを新たに植えることにした。もともと野菜よりもむしろ果樹に惹かれて農作業を始めた経緯がある。

できるだけ荒れた山地に近いところを切り開いてそこに植えることにする。もともと昔は農地であったところだけれど、トラクターなどの農機具が入りにくい土地なので、耕作が放棄されて長年の間に荒れ果ててしまったのである。

このあたりは茶畑に利用されていたらしく、すでに野生化した茶の木がところどころに残されている。むかし静岡で新茶摘を経験したのを思い出しながら、
笹や雑木にまぎれている茶の木の新芽を摘んで持ち帰った。家で玉露の茶にして飲む。

山辺の道を辿って入ると、野いちごが至るところに目に付く。ほとんど人が入らないところで、赤い小さな宝石をちりばめたように映る。赤く熟した小さな実は、それなりに甘い。

昼を過ぎたころ、畑の仲間がマムシを見つけたというので見に行く。すでに頭をつぶされ踏みつけられたマムシが尻尾を捩じらせていた。マムシを見るのも久しぶりである。というよりも子供のころはまだ近所に青大将なども見かけたし、郊外に行くとカラスヘビやシマヘビなどのヘビも見かけた。しかし、畑が住宅地になり、都市化も進むとそうした自然の面影もすっかり失われてしまった。

Mさんは、足でマムシの頭を踏みつけながら、誰かに鋏を借りると尻尾の皮を切り、それを切り口にヘビの皮を剥いでいった。するとタイの刺身のような白身が現れ、ヘビの内臓が透けて見える。 そして首を落とすと池のほとりの水流に持って行った。ヘビの白身を裂いて内臓を取り出し、近くの茂みにそれを投げ捨てた。そしてマムシの白身を篩の網に張りつけて、またたくまにマムシを天日干しにする。


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復活祭(パスハ)

2009年04月16日 | 日記・紀行

 

復活祭(パスハ)

正教会の今年のパスハ(復活祭)は4月19日の日曜日に祝われます。これはギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来しており、さらには、ユダヤ教の過越祭( Passover, ヘブライ語で Pesach )と深い関わりを持っています。

イエスは過越しの祭の前の日に十字架の上で亡くなられて後、墓にいったん納められました。それで週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアがイエスの葬られた墓を見に行きました。しかし、墓にはイエスの亡きがらはなかった。その後になって、墓の外に立って泣いていたマリアに、イエスが姿を現された(ヨハネ書第20章)。これが主イエスの死から復活されたはじめだとされています。パスハ(復活祭)は、死からのこの主イエスの復活を記念して行われます。

この日には、

「キリスト死より復活し、死を以って死を滅ぼし、
墓にある者に生命をたまえり。」

Χριστός ανέστη εκ νεκρών, θανάτω θάνατον πατήσας, καί τοίς εν τοίς μνήμασι, ζωήν χαρισάμενος.

と賛詞が唱えられます。

 

この日曜日に時間に余裕のある人やもし子供さんがいれば、ケーキなど作って楽しまれればどうでしょうか。私も時間に余裕があれば(たぶん忙しいか)、一度挑戦して見たいと思っています。

ケーキピアレシピ   (   http://www.cakepia.info/  )

 

 

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オバマ新大統領就任式

2009年01月21日 | 日記・紀行



久しぶりに朝から大阪に出る。秀吉太閤の残した遺産である大阪城を眺める。出勤途上の勤労者、サラリーマン、通学の学生たちなど、いつもながらの駅構内の出勤風景である。行き交うおびただしい群衆、高架橋から見るビル群も少しずつ変貌している様子がわかる。「百年に一度の未曾有」の不況下でも、人間の営みは片時も休むことはない。

若い頃と異なり、最近は生活圏も狭まってきたか、神戸などに出ることも少なく、また東京へもゆく機会がない。今頃は新宿も丸の内も池袋も、地下鉄や山手線も、今も昔のように相変わらず雑踏は流れ続けているだろう。群衆の中のひとりになって歩く。

アメリカ発の金融危機に国家的な苦難の状況に陥っているアメリカで、今日オバマ新大統領の就任式があった。「被抑圧人種」であった黒人から初めてえらばれた大統領である。困難な時期に若い大統領を選んだ。良くも悪くも若い国家アメリカの選択だった。

オバマ米大統領、就任演説全文
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081107-5171446/fe_090121_01_01.htm

私の記事に菱海孫さんから久しぶりにコメントをいただいた。その中に「女優の高峰三枝子さんが、園遊会の御前で「陛下?」と言ったきり言葉を詰らせた」と書いておられた。私はこの話は初めて聞いたけれども、あの高峰秀子(三枝子さん?でも)さんなら想像できると思う。

櫻井よしこさんもブログ記事で書いておられたけれども、私も日本の女性はすっかり変わったと思う。高峰さんや新珠三千代さんや鶴岡淑子さんなど、どちらかというと戦前世代からの昔の女優さんたちを思い出してそう思う。今日も電車のなかで出会う女子大生などを見てもそれを感じる。

とくに国家の命運を掛けた敗戦の後遺症としてある程度はやむをえないかもしれないけれど、伝統の型、文化の型がすっかり崩れ去っているのだ。それが皇室の中枢にまで及んでいる。それをよりよく再生することができるのか、もはやそれは不可能なのか、あるいはその必要も無いのか、本当のところはもちろん私には良くわからない。国家や民族の自立と同じく、すべては民族としての器量、資質次第なのだと思う。

 

 

 

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明けましておめでとうございます(3)

2009年01月05日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(3)

日本の根本的な課題は、「道州国家」の実現を追求してゆくことです。それによって現在の国のかたちを変え、中央集権的官僚政治を壊してゆくことです。その上で、教育を変革して「地方主権」の行政を実行できるようにすることです。全国民がこのことを理念として深くよく自覚して行動すべきです。

政治家などに働きかけてゆくことも必要でしょう。そして、東京への一局集中による経済行動の不効率な弊害の多い現状を変えて行くことです。もし私たちが「道州国家」「地方主権」を実現することができれば、現在の官僚の天下りの問題も、妊産婦のたらい回しによる死亡事故のような医療行政の破綻、また哀れな教育の現状――それは東京大学を頂点とする大学入試制度によって起こされる愚かしい受験戦争に現れていますが、これらの問題はよほど改善されてゆくのではないでしょうか。

多くの面で起きている日本の閉塞の状況は、徳川幕府から明治期へ、さらに戦前戦後を通じて今に至るまで続いている現在の中央集権的な行政機構と、その上にたつ官僚制度(公務員制度)に根元的な原因があることは明らかです。この現状を打開するためには、まず「道州国家」を実現して「地方主権」を確立することです。それによって現在の硬直した中央集権的官僚制度を破壊することなくして、日本の抱える多くの問題の解決はできないと思います。

日本の発展を阻害している「中央集権的官僚制度」を破壊するキィワードは「道州国家」と「地方主権」です。このブログでも引き続き、「道州国家」と「地方主権」の実現に向けてさらに論考を深めてゆくつもりです。今年も志を同じくする皆さんとの議論も活発に交換できることを期待しています。

正月早々、長々と政治や経済のことを論じてしまいましたが、せめて正月くらい、芸術の香気もほしいものです。

折に触れて開く西行の和歌、山家集などはいつ詠んでも味わい深いです。そのいくつかを詠んでみます。せめて西行の足の踏む砂粒ぐらいの歌でも自前で詠じることができればよいのですが。

716     わがやどは    山のあなたに    あるものを
            なにに憂き世を    知らぬ心ぞ

719     思ひ出づる  過ぎにし方を  はづかしみ   
            あるにもの憂き    この世なりけり

1227    かかる世に    かげも変わらず    すむ月を
            見るわが身さえ    うらめしきかな

1261    折る人の    手には留まらで    梅のはな
            誰がうつり香に  ならんとすらむ

1514    ささがにの    糸に貫ぬく    露の玉を
            かけて飾れる    世にこそありけれ

1544    友になりて    おなじ湊を    出舟の
            ゆくへも知らず    漕ぎ別れぬる

今年もみなさんまた良いお年でありますよう。

 

 

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明けましておめでとうございます(2)

2009年01月04日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(2)

正月の記事がとんでもない方向にそれてしまいましたが、もう少し続けます。

昨年の秋に、アメリカの証券会社リーマンブラザースの倒産に端を発して金融危機が全世界に波及しました。あれほど大きな収益を上げていたトヨタ自動車も一転して赤字予想を発表するなど、それ以降に世界の経済状況が一変しているようです。アメリカのそうした金融資本主義の動揺にも左右されることのない経済構造を、本当はわが日本国において造り上げてゆくべきなのでしょうが、対米従属国家の日本には、それは困難な課題であるようです。国民にその自覚はありませんし、指導者にもほとんど問題意識もなく、あっても、その努力すら怠っています。その付けが回ってきているというべきでしょう。国家も政府も多くの国民もそれぞれきびしい局面に立ち至っているようです。その打開は困難ですが、一人一人が何とか立ち向かって行くしかないようです。

年末年始の報道によると、東京の日比谷公園では、民間のボランティアが「派遣社員村」を開き、また、そのテントが足りないとかの理由で、桝添要一厚生労働大臣や大村副大臣などに、食料や住居など追加の要請をしていました。しかし、本当に必要なことは彼らが働いて暮らすことのできる「仕事」でしょう。もし、日本が本当のキリスト教国家、キリスト教の政府であるならば、民間のボランティアの要請を待つまでもなく、住む場所も食べるものもなく年を越さざるをえない人々のために、すでに中央政府も地方政府も十分な対策を講じていたはずです。またその事実は日本の現在の地方政府や中央政府の民主化がどれほど進んでいるかの尺度でもあります。

日本の国においても遅かれ早かれ、中央政府、地方政府ともに民主化されてゆくはずです。そのことによって2008年末の日本のように、住居や食料もなく年を越さざるを得ない人々もいなくなる時がくるでしょう。ただ、そうした時代の早く訪れることを期待したいものです。

今後の20年、50年の日本のさしあたっての課題として、具体的にはどのようなことが考えられるでしょうか。次のような目的を追求してゆくべきだと思います。

まず、日本において「道州制国家」の実現を全国民的な自覚的な運動としてゆくことです。そして現在のような東京の一極集中を分解して、それぞれの地方が政治と行政の権限を確かなものにして「地方主権」を確立することです。現在のように、中央官僚たちが全国の行政を一律に規制することによって生まれる役人利権という弊害が国家の癌になっている現状を改革してゆくことです。これを目的意識として国家の指導的位置にある人たちがもっと強烈にリーダーシップを取ることです。

現在の日本では、大企業の本社のほとんどが東京に一局集中しています。そのために、地震や戦争などの災害に脆弱な国家になり、また、交通渋滞などによるエネルギー消費や経済活動における無駄、不効率、環境破壊などの多くの問題が生じています。日本国におけるこの中央集権的な東京一局集中を破壊してゆくことが解決の根本的な方向になることは明らかです。またそれによって、新宿歌舞伎町に見られるような、退廃的な都市構造も解消してゆくでしょう。

中央集権的な上意下達式の、儒教的な官尊民卑の不効率な行政が、封建政治の遙か昔からの名残として現在も日本に残存しています。日本国民の意識と国家の制度もまだ事実として半封建社会にあると思います。地方の行政に自立性や主体性は育っていません。これを「道州国家」を実現してゆくことで解決してゆくことが鍵になります。歓楽街なども完全には無くならないかもしれませんが、「道州国家」によって「地方主権」を確立することで、少なくとも東京の歌舞伎町に代表されるような巨大な現代のソドムとゴモラのようなその醜い容貌はその様相を変えてゆくことでしょう。

しかし、たとえ「地方主権」が日本に実現したとしても、現在のような江戸時代のちょんまげの跡を残したままの日本人の意識では、衆愚民主主義になるだけかもしれません。今も「裏金問題」や労働組合の「闇専従」、地方行政の「情報公開」の不徹底、地方議会と議員などによるお手盛り行政、知事や市長、自治体議員などを選ぶ地方選挙の投票率のあまりの低さなど、地方行政の現状は、中央政府以上にひどく、とても「民主主義」の体をなしているとは言えないと思います。

 

 

 

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明けましておめでとうございます(1)

2009年01月03日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(1)

今年は当地では元旦は少し天気がぐずったりしたようですが、全体として晴れやかで美しい天気が続きました。富士山も三ヶ日、きれいに見えたようです。

静岡から京都に戻って来て残念に思うことの一つは、お富士さんのきれいな容姿を容易に眺めることができないことでしょうか。しかし通信技術の発達した今は、実物でないけれどライブでその姿は眺めることができるようになっています。

富士山ライブカメラ
http://www.fujigoko.tv/live/index.html

歌人の西行も生涯を旅に生きました。晩年になって東大寺料勧進のために東北地方に旅したときに、富士の山を見て次のような歌を詠んでいます。

                   あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て

aa                 風になびく     富士の煙の     空にきえて
                           行方も知らぬ     我が思ひかな

この歌は、新潮社版の山家集にはありませんが、岩波文庫版には「覊旅歌」の中の和歌として載っています。藤原定家の編纂になる新古今集の中にもおさめられているらしいですが、手元にこの本がないのでわかりません。この歌からもわかるように西行にあっては旅そのものが仏道修行でした。この歌も「我が思ひ」をどのように解釈するかで、さまざまに詠みとることができるようです。たんに旅の叙情を歌ったものではなく、無常の歌とも恋の歌とも言われています。

昨年の秋に待賢門院璋子のゆかりのお寺の法金剛院を訪ねたり、また、桑子敏雄氏の著書『西行の風景』を読んだりして、西行についてもかなり理解も深まったと思います。この本は、まだ書評も書き上げていないのに、すでに図書館に返却してしまいました。

とにかく西行が日本の歴史のなかでも文化史的に大きな位置を占めている歌人だということはあらためてよくわかります。これまで山家集の西行しか知らなかったのですが、西行がとくに晩年にみずからの芸術の価値をよく自覚して残した「御裳濯河歌合」や「宮河歌合」などは、伊勢神宮に奉納もされたそうです。また、西行が和歌のなかで、月に仏教を、櫻に神道を象徴させているらしいことも、今になってはじめて知ったことです。

当時にあっても仏教は外来の思想、宗教であり、それが古来の神社信仰とは異質の、時には忌み嫌われる関係にあったこともあらためてわかりました。西行はこの矛盾する神社信仰と仏教の二者を、神仏冥合の思想によって、しかも和歌の世界でその統一を実現しようとしたようです。西行をはじめとするそうした試みは日本の先人たちの優れた思想的な営みだったと思います。

ところが、せっかくのこの優れた西行の頃からの伝統的な遺産も、明治期になると狂信的な「廃仏毀釈」運動によって破壊され、その生命を絶たれてしまったようです。明治維新や明治政府の指導者たちが、せめて西行などの神仏冥合の思想を正しく理解することができていれば、その後に昭和の時代の狂信的な国家神道もなく、太平洋戦争も避けることができたかもしれません。狂信的で破壊的で生ける命を殺してしまう悟性的思考の害悪を思うばかりです。たんに真言僧の歌人と思っていた西行が、神仏冥合の考え方のうえで文化史的にも大きな位置を占めていることを知りえたこともうれしい新しい発見でした。

さまざまな宗教の和解という問題は、たんにその昔に西行が仏教と日本の民族宗教である神社神道との関係で思想的に苦闘したばかりではなく、今もなおイスラム教とユダヤ教のあいだをめぐってイスラエルとパレスチナで殺戮の応酬が続いています。また、アフガニスタンやイラクでのアルカイダのテロ行為にもイスラム教とキリスト教との関係が背後にあります。

ヒンズー教と仏教の軋轢をめぐって、正月早々にセイロンでも戦闘が行われています。昨年の晩秋にインドのムンバイで起きた同時多発テロの背景にも、イスラム教とヒンズー教の軋轢があります。諸宗教の調和の問題は今世紀においても、引き続き人類の大きな問題であることに変わりはありません。このブログでもテーマにしてゆくつもりです。

 

 

 

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この一年を振り返る

2008年12月31日 | 日記・紀行

 

今年も今日で終わりです。この一年を振り返ってみても、残念ながら決して大きな進歩があったとも言えません。それは個人的にも社会的にもそうでした。

それでも小さな成果があったと言えば、今年になってニンジン、ダイコン、生姜、タマネギなどの野菜を、はじめて自家製で食卓に上らせることができたことでしょうか。農作業にかかわり始めてまだわずか一年の初心者ですが、果樹も本当に最初の一歩で、イチジク、モモ、柿などを植えました。もちろん果実を収穫できるようになるのは、もっと先のことで、それも柿の根づけすら第一年目のハナから失敗しました。

本当はもっと若い時から、自分のめざすべき道を進みたかったのですが、しかし、後悔先に立たずですから愚痴を言っても仕方がありません。生活のスタイルを新しく作って行くしかないようです。

この秋に始まった金融恐慌の嵐は、今も吹き荒れています。トヨタやホンダなどの自動車会社は、好況時には兆単位の収益を上げておきながら、いったん不況になると、真っ先に人員解雇を行っています。

こんなことでは、どんなに魅力的な自動車をこれらの会社が生産していようが、社会的にはまったく「つまらない会社」と言うしかないでしょう。人々の労働力を活用し利用して儲けていながら、不況時には冷たく従業員の生活手段を奪うことに何らのためらいもないようですから。現在の株式会社が雇用よりも利益を優先する社会的組織であることがこうしたことからも明らかです。これらの会社の株主たちも、また、いわゆる「正社員」たちも、配当や利ざやや自分たちの給料が肝心で、臨時社員の生活などどうでも良いのでしょうか。

これもやはり日本にはまだ本当の宗教が支配的な社会にはなっていないからです。政府は言うまでもなく、国家にも国民の間にもまだその精神が十分に浸透していません。それを実現するのもまだはるか遠い先のことかも知れません。しかし、いずれにせよ、願うことはこの日本国が世界に先駆けて、失業や貧困の不自由から解放された国家になることです。

来年は個人的にはさらに農的生活の方面をさらに充実させていきたいと思っています。できれば、生活の場もさらに農村地域に移せれば良いのですが。昨今の中国製の食品の安全性や畜産飼料の価格の高騰などによって、私たちの生活の根本である食料に問題のあることもわかっています。日本の食糧自給率なども話題になりました。それらは国民のすべてが食料生産に携わるようにすれば解決することだと思いますが、それにしても現在のあまりにもずさんで有害無益の農業政策を転換してゆくことでしょう。もはや現在のように、無能な政治家や官僚たちに任せていればいいという段階ではないようにも思います。自分たちでみずから行動してゆくことでしょう。

この国を少しでも良い国にして行くために、農業の現状など、さらに理論研究を深めてゆく必要もあります。また、たんに理論のみならずNPOなどで志を同じくする人々といっしょにその可能性を追求してゆくべきかもしれません。来年は少しでも夢が深められ、一歩でも前に進むことができますように。

袖触れ合うも他生の縁とも言います。この一年、つたなき当ブログを訪れてくださったみなさん、来年も良いお年でありますよう。

 

 

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柿の木

2008年12月28日 | 日記・紀行

 

いよいよ年の瀬も迫り来る。せっかく柿の苗木を用意してもらっていたのに、なかなか植えきれないでいたのを、今日になってようやく植え終えた。昨年に柿と桃とイチジクの木を山の畑に植えたが、イチジクと柿をそれぞれ途中で植え代えたのが良くなかったのか、それも、ちょうど霜柱の立つような時期も悪かったのか、とうとう柿の木だけが根付くことがなかった。

それで、今年ももう一度植え直した。何とか根付いてくれるように。必要以上に大きな穴を掘ったりしたので少し時間がかかる。今度は萱を刈って風よけをしてやる。今年もさまざまな出来事のあったことを思い出しながら、スコップを振るう。

この秋に、アメリカの証券会社リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに、かねてから懸念されていたアメリカの住宅バブル経済があっけなくはじけることになった。バブル経済の高騰期に、投機家筋が原油の値上がりに便乗して利益の拡大をはかった。おそらくその金あまりには、日銀の超低金利政策も絡んでいるだろう。それが穀物の価格にも波及し、とくにトウモロコシやダイズなどの家畜の飼料が高騰して、畜産農家も大きな打撃を受けることになる。そして、それまでも何ら危機意識もなくのんきに構えていた日本の食糧自給率の低さも大きな話題になった。

そうしたなかで、もともと自民党で選挙対策の顔として選出された麻生太郎氏が、選挙対策のために行った世論調査で出た自民党の支持率の低落に、これでは選挙に勝てないと恐れをなして、金融危機を口実に総選挙を先延ばしにする。自分のご都合で選挙を延期するなど、政治を私物化しているのだ。

雇用の危機は待ったなしなのに、麻生太郎無能力内閣は言うまでもないが、政治が政局がらみになって、与党も野党も官僚も何ら効果的な対策を打てないでいる。この危機的な状況で、救済の手をさしのべるべき肝心の政治が、無能な政治家たちのために麻痺状態に陥っている。

これでは、昭和初期の恐慌の再現になる。ドイツでは失業した労働者たちの支持を集めてナチス・ドイツがあっという間に政治の中枢に進出して、アウトバーンの建設や自動車、軍需産業で雇用を確保したのである。歴史は繰り返すと言うけれども、昭和の2・16事件や5・15事件は、こうした背景に起きたのだろうな、と歴史の中に生きていることをあらためて感じる。いずれ、アメリカも中国といっしょになって日本をもっと冷たく突き放すだろう。太平洋戦争前の国際関係に近くなってくる。

わが国でも、現在の無能な政治家たちが、このまま手をこまねいて労働者の失業による飢餓と貧困を本当に救うことができないのなら、自衛隊によるクーデタも場合によればやむをえないだろうなと思う。その際にいっそ憲法を強権的に改正して、国防軍に作りかえて、この日本国の背骨をただすのも悪くはないのではないかと思ったりする。

しかし、最近の自衛隊は防衛学校でも、東郷平八郎元帥などの偉大な軍人の肖像画さえ掲げさせないらしい。そんなアメリカナイズされた自衛隊では、かっての大日本帝国軍人たちのように、国民のためにクーデタすら起こせないだろうなとも思う。

そんなことを妄想したりしながら、よく晴れた空の下で柿の木の苗床を揃えていた。
昨年の今頃は私が作業をしていると、小鳥が好奇心をもって近くを飛び回ったりしていた。今年は遠くに鳴き声が聞こえるばかり。そのきれいな姿を近くに見せてもくれない。

 

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クリスマスおめでとう

2008年12月24日 | 日記・紀行

 

Bach - BWV 147 - 1 - Herz und Mund und Tat und Leben

クリスマスおめでとう。


今年もさまざまな出来事があった。このブログでもさまざまに記録したけれども、今宵のひとときはすべて忘れて。
さて、今年もまたクリスマスがめぐり来る。2008年ももう終わり。
食卓のケーキとローソクだけではなく、パンとぶどう酒と祈りで、人それぞれのささやかなクリスマスを祝うことにしよう。十年ほど前の美しかったクリスマスの宵を今年は思い出しながら。
みなさん、さまざまな境遇におられるすべての方それぞれに慰めのありますように。どうか今年も良いクリスマスを!

詩篇第百二十一篇

1   都もうでの歌
    私は山々にむかって目をあげる。私の助けは、どこから来る。
2   私の助けは、天と地を造られた主から来る。
3   主よ、どうか私の足をよろめかせることなく、
    私を見守る者がまどろむことのないように。
4   見よ、イスラエルを守る者は、まどろむこともなく、眠ることもない。
5   主はあなたを守る者、主はあなたを庇う蔭、あなたの右にあって支える手。
6   昼は太陽があなたを撃つことなく、夜も月があなたを撃つことはない。
7   主はすべての災からあなたを守り、あなたの命を守られる。
8   いずこに行くも帰るも、主はあなたを守られんことを。
    今もとこしえに至るまで。

主の祈り

天におられる私たちの父よ、
御名の聖められますように。御国の来ますように。
御心の天におけるように地にも行われますように。
私たちに必要な糧を今日もお与えください。
私たちに咎ある人を私たちが赦すように、
私たちの罪を赦してください。
私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。

まことに、御国と力強い御業と輝かしい栄光は、
永遠にあなたのものです。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


心とことばと行いと生活によって
Herz und Mund und Tat und Leben


Wohl mir, dass ich Jesum habe,
O wie feste halt ich ihn,
Dass er mir mein Herze labe,
Wenn ich krank und traurig bin.
Jesum hab ich, der mich liebet
Und sich mir zu eigen gibet;
Ach drum lass ich Jesum nicht,
Wenn mir gleich mein Herze bricht.

私にとって幸せなことは、私にはイエス様があること。
おお、どんなに堅く私は彼を抱きしめていることか。
主は私の心を慰め勇気づける。
私が病み、悲しんでいる時も。
私はイエス様のもの。彼は私を愛され、
そして、御身を私のために捧げられた。
ああ、だから私はイエス様を離さない。
どんなに私の心が張り裂けようと。


Jesus bleibet meine Freude,
Meines Herzens Trost und Saft,
Jesus wehret allem Leide,
Er ist meines Lebens Kraft,
Meiner Augen Lust und Sonne,
Meiner Seele Schatz und Wonne;
Darum lass ich Jesum nicht
Aus dem Herzen und Gesicht.

イエス様はいつまでも私の歓び、
私の心の慰めであり命の水、
イエス様はすべての災いを防がれる。
主は私の生きる力、
私の眼には快い日の光、
私の心には幸せな宝もの、
だから、私はイエス様を離さない、
私の心と眼から。

Dinu Lipatti plays J.S. Bach - Cantata BWV 147

テキスト

 


 

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