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正史三國志 群雄銘銘傳

2005-10-06 20:53:48 | 三国志/関連本
正史 三國志 群雄銘銘傳(ぐんゆうめいめいでん)/坂口 和澄(さかぐち わずみ)著/光人社/刊行中/3800円(本体価格)
内容とコメント「正史」(魏書・蜀書・呉書に分かれた歴史書)に登場する「三国志」の登場人物に裴松之の注釈や「後漢書」、「晋書」、「世説新語」「華陽國史」などからエピソードの補足、子孫の略述を加えた人物事典。本は分厚くて重く、ページ数が726Pと、とにかく多いので、著者が薦めるように好きな人物の項から読むのが効率がいいかもしれません。
人物伝は魏・蜀・呉・後漢に分けられ「演義」に登場しない人やあまり目立たなかった人、また、当時の異民族についてもきちんと紹介しています。
年代は読者が混乱しないように元号ではなく西暦が使われ、巻末には人物の生・没年も加えた年表もあります。
人名や一部の漢字には原典どおりの表記(旧字体)が使われています。例:欠く→缺く
「まえがき」を読んで覚えておかないと、漢字が出たときに焦ります。
人物のエピソードに矛盾した記述がある場合などには著者独自の考えも記されています。
無名の(失礼ですが)人物の清廉さや忠臣ぶり、とばっちりで命を奪われる運命の皮肉さ、あるいは保身に走る見苦しさといった数々の記述、占いで孫権などの有力者に頼られていた人々の存在、正しい音楽の復興に尽くした人、各分野で才能を発揮した発明家たち、「演義」には登場しないものの、馬超をあわや刺し殺す寸前まで追い詰めた武将(閻行‐えんこう‐)、黄忠をしのぐ活躍ぶりの老将(呂岱‐りょたい‐)、諸葛亮が崔州平(さいしゅうへい)や徐庶と親しかった背景、陳寿は人物の不名誉なエピソードにはその人物伝での記述は避け、関連する人物伝の中で記述している、など、色々と新発見をする事が出来ました。
有名な武将の新たな一面にも触れる事が出来、より好感度が増しました(笑)。
老将も沢山出て来て、本当に「三国志お達者くらぶ」が作れそうです。

この武将がキラキラ♪
主君を陰で支える人たち。間引きを行っていた人民に農地を開墾させて生活を安定させた鄭渾(ていこん)、屯田制を進言した任峻(じんしゅん)、棗祗(そうし)と韓浩(かんこう)や異民族の侵攻を武力で防いだ牽昭(けんしょう)、誠実な人柄で防いだ馬忠と張嶷(ちょうぎょく)、その他の人々…。こうした人々がいたお陰で、曹操や諸葛亮、孫権が国事や外患に煩わされる事なく三国間での戦に明け暮れる事が出来たのかもしれません。
彼らを現地に赴任させた曹操たちの頭脳の凄さも改めて思い知らされます。(謀臣の献策かもしれませんが)

この武将がキラリ!
夏侯惇と夏侯淵。夏侯惇は大旱魃(かんばつ)と蝗(いなご)の害で苦しむ民の為に太寿の河をせき止めて堤防を作り、自ら土を担いで運び、将校・士卒にも稲を植えるように指導したそうです。当時の将が自ら労働する習慣が無かった点でも(あったとしても想像する事も無かったです)貴重ですし、土を担ぐ将軍の姿もかなり貴重です。合戦中とはまた違う凛々しい姿かな、と想像しちゃいます。
夏侯淵は曹操が家にいた頃、彼の身代わりで重い罪を被り、そして救い出されたそうです。
一体どんな罪状で、何故罪を被ったのでしょうか?想像するのも楽しいですし、小説や漫画でも読んでみたいです。
それも気になるのですが、兗州(えんしゅう)・豫州(予州・よしゅう)の大混乱で飢餓に見舞われた時、夏侯淵は自分の幼子を後回しにしてまで亡き弟の遺児の面倒を見たというエピソードが新鮮でした。でも正直、実子と“同様に”、が良かったのですが…。
凌統も若いながら誠実さを伝えたエピソード(留贊‐りゅうさん‐の項)を知る事が出来て良かったです。そして、若くして亡くなった事も…。著者が紹介した説では享年29歳。若すぎます…。少しイメージが変わったかも。高順も良かったです。彼の軍の渾名(あだな)・「陥(かん)陣営(敵の陣営を陥‐おと‐す)」がかっこ良いです。
あとは、太史慈! 理由は後述します。

この武将がトホホ
周不疑(しゅうふぎ)。幼い頃から聡明で、曹操にも「自分の娘を嫁がせたい」ほど気に入られていた人ですが、やはり幼くして聡明だった曹沖がわずか13歳で亡くなると一転して疎まれ、ついに刺客により殺害されてしまいます。「彼の才覚は曹沖以外には御しきれないほど後の脅威になる」と曹操は暗殺を止めようとした曹丕に言うのですが…暗殺時の彼は17歳。単純に考えるとやはり曹操が才能にあふれたまま成長した彼に嫉妬したように見えます。…子供の頃から思いやりのあった曹沖がそれを喜ぶとは思えません。

このエピソードがキラリ!
孫策との一騎打ちが有名な太史慈ですが、この本では黄忠もビックリの弓の腕前や孫策に登用された太史慈のその後のエピソードも紹介されています。
その中には、なんとあの曹操にスカウトされた話も!太史慈の評判を聞いた曹操は彼に手紙を送ります。文面には何も記されず、ただ当帰(とうき)という薬草が入っているだけ。
これは「当(まさ)に帰(き)すべし」という謎かけで、曹操の粋な一面を伝えています。
この話も色々考えると面白いです。太史慈の事は遠くまで聞こえた武名の他、配下の孔融からも聞いているかもしれません。(孔融とはかつて母の面倒を見てもらった事や、その恩で彼の危機を救ったなど、色々縁があったので)
配下への誘い方もいつもと違います。いつもの「捕縛後に説得や賛辞、人柄で魅了」ではなく、馬超と韓遂の時にあった離間の計でもなく、謎かけで呼びかけたのは、学問を好んだ太史慈の教養を知って(或いは聞いて)、試したのでしょうか?
配下に欲しくても強引に離間をしなかったのは、関羽の時のように心証を悪くしたくなかったのかもしれませんね。あの時は馬超と韓遂(のどちらか)を配下にする気は無く、不仲が目的で、しかも入れ知恵で、年代も違います。
太史慈の場合は将に恋する(吉川英治 三国志 参照)パターンだと思います。
薬草というのも太史慈が母親思いであるなら効果的です。謎が判らなくても母の為に薬草を送るか使えばいいですし。まさかいきなり毒草は贈らないでしょうから。それこそ印象は最悪になってしまいます。
曹操に認められる太史慈も凄いですし、目を付けた曹操も流石です。どちらも嬉しく思います。



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