明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

夏の終わり 浜田省吾

2020-11-24 20:45:00 | 僕の音楽日記
人生を
季節にたとえ
表現する


1番熱く エネルギッシュに
動いていた
季節…
輝きの向こうを
夢中で追いかけて
走り続けた季節

人生の夏

もうあの若さに任せた
動きも、考えも
今となっては
出来ないことばかり

「夏の終わり」…と感じてしまった、
心に空いた空虚な感覚を
覚えている。

もう…終わったな…
これ以上はない
と自分で季節の終わりを
悟っていった。
それは
季節の変わり目に
立った時 感じるものであって
それを感じて
終わりを知る。
そうして
「秋」の季節へと
大人へと成長していく

「夏」という
青臭い 若い季節は
ほんの短く、そして深く、
振り返っても手の届かない
一瞬の夏のような
青春の季節

今僕は、
「秋」から「冬」の季節へと
旅している

そこには
そこにしかない
素敵な景色があり、
そこでしか
感じることのできない
感覚に触れて
人生の季節の変わり目を
移り住み
また、歳を重ねて
いく




花のサンフランシスコ スコット・マッケンジー

2020-11-23 18:33:00 | 僕の音楽日記
今から8年前?
初めて
US(ユナイテッド・スティト)アメリカ合衆国本土へ
旅した事があった。
会社の研修旅行ではあったが
西海岸 サンフランシスコ国際空港
へ、降り立った一向は
サンフランシスコ〜ラスベガスと旅する事に

アメリカは
グァムだけで
本土へは初めて。
空気感がやはり違った
その4年後はシアトルに行き
アメリカ本土へは2回、しかも西海岸ばかり…

遥かなるアメリカ
とはいったもんで
日付変更線を超えての空の長旅は
大変退屈で…

サンフランシスコ国際空港への
着陸案内を聞くと
生きてることを確認する
深い安堵のため息が
僕以外座席から聞こえてきていた。
長い飛行時間 寝たり
映画を見たり、本も一冊読んでしまえるくらい
退屈だった機内からの
解放は
西海岸の大都市
サンフランシスコが
向かい入れてくれた。

僕の頭の中には
スコット・マッケンジーの
「花のサンフランシスコ」が流れてきた。
♫if you're going to San Francisco〜
Be sure to wear some flower's
in your hair〜

(もし、サンフランシスコに行くのなら、髪に花を飾ろうね)

花の東京ならぬ
ここは
花のサンフランシスコ!

ゴールデンゲートブリッジを
見に早速
空港から直行した。

なんのイメージも持たず
期待もせず
アメリカへ乗り込んだ僕は
仕事半分観光半分だったから
浮かれる事もなく
スケジュールを淡々と…だった。

大体ゴールデンゲートブリッジは霧がかかったり
天候不順な時がほとんどらしく
西海岸特有の気候らしい
天候の変化が著しい
だから
晴れてのゴールデンゲートブリッジを観れるか、観れないかは
運次第だという。




僕たち一向を乗せたバスは
一気に晴れたゴールデンゲートブリッジへと到着した。
ここにおいても
「花のサンフランシスコ」を口ずさんでいた。
来たんだよなぁ
アメリカ!
サンフランシスコ!
なんて背伸びをしながら
景色を眺めて深い
深呼吸。

坂の多い街
サンフランシスコ
肌寒く路面電車に揺られ
街を登ったり下ったり

アメリカにきたんだなぁ
と日本では見れない風景に
改めて日本の良さを
知ることとなった。

愛と平和
ラブアンドピース
武器より花を
ベトナム戦争の頃の
反戦運動の頃に流行ったこの歌も

時代も流れ
ゆったりと、平和を噛み締める中で
聴くと
人々が望むように
願うように
歌も祈りのように
浸透していく感じがして
ならない。
アメリカ合衆国の西へ

日出る国 
日本からのおのぼりさん達が
大国アメリカの地を踏んで
学んで行く旅には
遥かに物事、考え方は日本より
数年進んでいると
実感したものだった。

あの頃平成25年だったから
ちょうど日本で四年前くらいの世の中の進み方
だったように思う。
成熟しているところと
そうでない格差もまた、アメリカという国。
それも日本もそうなりつつあるわけで
古き良き時代
はもう、人の心の中だけに
歌と、ともに
流れてるような気がする。





松本隆の松田聖子への恋愛色(こいいろ)歌

2020-11-23 06:42:00 | 雑記
松本隆さんの
詩には
「〜色」というキーワードが
入ってる

ロックバンド
「はっぴいえんど」
で展開してきた
日本語のロック
というところから
歌詞に関して
読んでいきながら突き詰めると
意味の合わない箇所が
あったりする。

でも 松本隆さんは
ロックだったのだから
詩の世界では
いくら 女の子が歌おうが
男の子が歌おうが
おじさん、おばさん歌手が歌おうが
その歌の世界は
「ロック」になっていたのだ
(細かい事は気にするな!それがロックだ!)
とでも言いたげな…


その「色」においても
恋愛色(こいいろ)を表現している
松本隆さんがイメージした恋愛対象の女性像を詩というフィルターにかけて投影して
現れたのが、現そうとしたのが
「松田聖子」だったのではなかったのか?

松田聖子さんの
色…がついている歌のタイトルには
「白いパラソル」から始まって…
その前に
「白い貝のブローチ」というアルバム作品から
松本隆さんの松田聖子さんへの
作品提供がスタートされていた。

それから
「赤いスィートピー」
「ピンクのスクーター」
「水色の朝」
「小麦色のマーメイド」
「黄色いカーディガン」
「Blue christmas」
「赤い靴のバレリーナ」
「蒼いフォトグラフ」
「真っ赤なロードスター」
「ピンクのモーツァルト」
「銀色のオートバイ」
「白い夜」
「瑠璃色の地球」
「ピンクの豹」
歌のタイトルだけでも
色を表して、歌詞に関していえば
もっと色々と表現に
使われている
松本隆さんの
恋愛色。

とくに、
松本隆 呉田軽穂 松田聖子の
トライアングル
三位一体で表現された作品は
群を抜いている。

ユーミン独特のサビの作り方
特に
それを松田聖子さんが
表現すると
等身大の彼女のプロフィールを
超えたところに
大きく人の心に入り込んで
映像化され
美しくイメージされる

松本隆 呉田軽穂(ユーミン)
松田聖子で出来上がった
作品はファンのみにあらず
人の心に響く作品となっている。

「赤いスィートピー」
「制服」
「渚のバルコニー」
「レモネードの夏」
「小麦色のマーメイド」
「マドラスチェックの恋人」
「秘密の花園」
「瞳はダイアモンド」
「蒼いフォトグラフ」
「Rock'n rouge」
「ボン・ボャージュ」
「時間の国のアリス」
「永遠のもっと果てまで」
「惑星になりたい」
と三位一体作品の凄さは
全て
松田聖子さんの絶頂期を支えた
作品だということ
松本隆 呉田軽穂という強力な
エンジンを得て
他の追随を許さなかった
圧倒的なチカラを得たであろう
強力なブレーンをも味方につけた
独り勝ちだった
松田聖子さん

時代の象徴アイドルとして
山口百恵後のトップアイドルの在に
ついた彼女は
今となっては、彼女が
最後のグループでない
ピンのトップアイドル
となってしまった。
(まだ、現役で活躍中ではあるが…)


松本隆さんが
作品を提供し続けていくたびに
よりイメージを
具現化させ それを
完成させていった
松田聖子というアイドル。

そんな松本隆さんから
聖子さんへの
手紙がまた、
唸るコトバで綴られているのだ
松田聖子さんのアルバムに寄稿された松本隆さんの手紙より…



スタジオの電動ドアが開くと

聖子さんが現れる

身体の周りがボウッと輝いて

白いオーラに包まれてた。


全盛期の仕事はたいてい

前の晩に作詞して、

録音前に手渡すというもの。

彼女は2.3回軽く歌うと

メロディーを覚えてしまい、歌詞の

意味などほとんど聞かない

そこから5テイクくらい

録音すると ほぼ完成した。


あの頃は譜面など見ずに、

ぼくの歌詞の言葉の横に、

彼女しかわからない記号のような

書き込みで、紙が真っ黒になるほど。


あれから40年か。


紙の上のぼくの言葉は、

彼女の喉を通り、

空気に発声されると、

特別な言葉になり、

音楽史に焼き付いた。


アルバムのどんな片隅の

地味な曲さえ、

誰もが鼻歌で歌えるという現象は

ビートルズしかしらない。

ぼくは彼女のために詩を書き、

彼女は何百回、何千回と歌い継いだ。


たぶんぼくの言葉の中の

女性像は溶けてしまい、

彼女の毛細血管を流れて、

リアルな聖子さんと

結びついたのだろうなと推測する

作家と歌手の稀有な

同一化だと思う。

巡り合えた奇跡を感謝したい。


松本隆



風は西から 奥田民生

2020-11-21 05:36:00 | 僕の音楽日記

MAZDAのTVCMでも流れた
「風は西から」
このMVがすこし
キュンとして
切なく、泣ける。

人が安全に
車を運転し、走行するために
犠牲になるもの…

そんな視点で
ちょっとした
ショートムービーに仕上がってる

二週間前に
運転免許証の更新に
出かけ、前回はゴールドだったんだが、進入禁止で捕まって
惜しくも
ゴールドではなくなってしまったが…
安全運転に心掛けて、もう一度
気をひきしめて…いかないとね。
また、次の更新は5年後。

何やらチップが入っているとか
認証番号を二重にとか
免許証もデジタル化だ。

僕が運転免許証を所得するために
自動車学校へ通っていた時は
まだ、教習車にオートマチックは一台くらいで1〜2時間の教習だった。
今では
オートマ限定とか
交通法規も複雑になり
自動車教習所も大変なんだろうなぁと…
僕たちの時代はまだ、おおらかな時代だった気がする。


誕生日を迎えてすぐ
高校在学途中に内緒で
トシくんと同じ自動車教習所に
通っていた。
僕は運転技術は鈍臭くて、
縦列駐車がなかなかできなかったり、
トシくんはすんなり
要領が良いだけあって
単位もスイスイ
すぐ路上教習に入ってた。

よく、僕はトシくんから
情報を聞き出してた
教習所の先生が助手席に乗り込み
路上教習は始まるけど
どうやら教習所の先生も
運転技術のある生徒(トシくんを含め)には気が緩むのか知らないが…
余裕があるようだ。

路上教習中は
ドライブでも連れて行ってもらってるように
リラックス
してるらしい…

生徒によるらしいが

トシくんいわく…
「〇〇先生なんか助手席であぐらかいて、よそ見しながら
ラーメン屋かぁ〜おお〜ここの蕎麦屋美味いんだよなぁとか
聞こえるように言葉を投げかけてくるんだ」と、
当然、トシくんは
そうなんですかぁ?
と相槌を打って応えているらしい

そんな話を聞くと
僕は…どうなんだろ?

緊張しの要領悪い生徒の僕の
路上教習は
無言のハンドルは手に汗握る
肩はガチガチに肩こりになる
チカラの入れ具合となる
路上教習だった。

夜が多かったから
とにかく神経を使った。

♫明日はきっと、いいぜ
未来はきっと、いいぜ
魂で行こうぜ!!!
明日へ突っ走れ
未来へ突っ走れ
魂で走れ

運転免許証を取るまでは
ガムシャラで
一世一代の大勝負だった
感じは
後にも、先にも
あの時ぐらいのもの

魂で走っていた!!!
自動車教習所






STAND BY ME (cover 山下達郎) on the street cornerアルバムより

2020-11-20 09:27:00 | 僕の音楽日記

もう 
スタンド バイ ミー 
はどれくらい多くのアーティストが
coverしてきたのだろう…

スタンド バイ ミー 
が良い歌なのだから
誰もが歌っても
そつなく
良く聞こえる

それぞれの個性も出て…
以前
このブログで
スタンドバイミーcoverの
ジョンレノンが
よかった!
と書いたことがあった。

僕はジョンのあの力強い
スタンドバイミーが好き
という個人的嗜好。

日本人も沢山の人たちが
coverしてます。

では、誰のが
いいのか?よりどりみどり状態。

作り込んでますねぇ〜
やっぱり達郎さんだ!

という事で
洋楽ポップス60〜70年あたりを
語ったり、歌ったり、
できるアーティスト
大瀧詠一さん、山下達郎さんが
coverすると、
より、デコレーションがついて
豪華になる感じがする。

アルバム On The street corner 3に収録されてる
「スタンドバイミー」

このアルバムシリーズも3枚目。

1人多重録音の
アカペラアルバム

音を重ね合わせていく
大瀧詠一さんのウォールサウンドのようなあの豪華な感じを
山下達郎さんは声で、
コーラスで、
重ねあわせ音の厚みを
作り上げる
絶妙なバランスとコーラスワークの
良さに裏打ちされた
仕上がった作品は
聴いてて心地よく
ドゥワップからオールディーズをcoverしている
山下達郎さんならではの
職人芸の域 に唸ってしまう。


イヤホンで聴いていると
ホントに人の声の
温かみ、声も楽器の一部との
認識をまた、強く持つもので、

山下達郎さんが70年代中期あたりに
スタジオでコーラスワークを
されていた実績もあり、
コーラスアレンジ等
やはりピカイチだと思う。


心地良さと癒される感じが
アカペラのもつ
魅力だ。