明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

どうしてこんなに悲しいんだろう 吉田拓郎

2020-11-13 21:30:00 | 僕の音楽日記
先日といっても先月のことになるのか、
10月4日に
食道癌で62歳の若さで亡くなられた
キーボード奏者であり、
編曲家であった
小林信吾さん

吉田拓郎さんのバックバンド瀬尾バンドでのキーボードで
吉田拓郎の音をしっかりと弾いていたキーボードディストだった。

吉田拓郎さんが
1973年新六文銭でロックをやってた頃
そのステージに魅せられたと語っていた。

アレンジャーとしての仕事で有名になったのは
KANさんの
「愛は勝つ」の編曲
大ヒット作として有名!
中島みゆきさんをはじめてとする
有名な歌手、アーティストの編曲を
手掛ける傍ら
バックバンドの一員として、確か
ステージサポートをされていた
小林信吾さん

改めて
ご冥福をお祈りします。

有能な方々が逝かれてしまう
悲しみは
コトバに尽くせなく

やっぱり…

どうしてこんなに悲しいんだろう

映像はNHKスタジオライブの時の
模様
2分10秒あたりから
間奏を演奏される
小林信吾さんが映されます。

つま恋2006のステージにも参加され
瀬尾バンドでのキーボードは
小林信吾さんあっての
ものでした。

中島みゆきさんのステージにおいても
瀬尾一三さんと共同でのアレンジ活動などもされて
才能ある方でしたから
ホントに残念でなりません





Rock'n My Heart 矢沢永吉

2020-11-13 07:07:00 | 僕の音楽日記
矢沢永吉が
YAZAWAへと
進化した曲
「Rock'n My Heart」

日本に本物のロックンロールを
矢沢が目指すロックンロールを

キャロルでの若さに任せた
力ずくの暴力的なロックンロールと
そのギャップを埋める
バラードのアンバランスで
若いロックンロール像を見せてきた

ロックはツッパリ
というイメージ

ロックは破天荒
というイメージ

キャロル期の矢沢永吉さんの目指す
ロックンロールは
イントロダクションでしかなかった

ソロになって
矢沢永吉さんのロックンロール
の輪郭は見えてきた

もっと、スマートにクールに
熱く、
それは
キャロルでの
あのツッパリイメージを
払拭しないと
そこへ目指せ無かった

エンターティナーな部分も
持ち合わせた
本場のロッカーとの
ギャップを日本人として
変えていく気概を持って…


場末の野良犬の遠吠えのような
ロックと日本人のもつ
ロックのイメージを
もっと高い所へ昇華するために
矢沢永吉はYAZAWAとして
海外へ打って出ることで
日本の、ロック、はたまた、
矢沢永吉自身の進化と、変化
は望めなかったのだろうと…

1982年10月9日発売
Rock'n My Heart

作詞作曲はあの
ドゥービーブラザーズの
ジョン マクフィー

YAZAWAが英語の歌詞の歌で
勝負してきた。

海を渡ったアーティスト
野球と同じようにやはり
アメリカという国で
通用するかどうかが
1アーティストとして真価を
問われる

この歌を初めて聞いた時
体の中の血が沸き立つような
興奮を覚えた

矢沢さんが
「オレは、高みを目指す BIGをね
そして更にグレートへとね」
と言わんばかりに…

ファンに対して

お前たちもここまでついてこい
先に走り出して行く
そんな矢沢永吉さんを感じた
Rock'n My Heart !!