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明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

ペテン師 かぐや姫

2019-11-28 21:33:00 | 僕の音楽日記
かぐや姫LIVE に入っている
「ペテン師」はこのアルバム
に初めて挿入された正やんの
新曲だった。
前作の「三階建の詩」では
三者がそれぞれ4曲ずつ平等に曲
作りをし、
クオリティの高いスタジオアルバム
としての
「三階建の詩」だった。
名曲 
「22才の別れ」「なごり雪」が入ってる名盤である
比較的正やんの歌う
世界に登場する
男の人は野暮ったく気が小さく
母性をくすぐる
男性からみたら
なんでこんなやつが女性に
モテるのか?
というタイプの
男性モデルが出てくる。

この
「ペテン師」は
作詞は喜多条忠さんだけど
ほぼ正やんもこの手の男性
モデルの歌の世界は
のちに書いている
すこし、情けなく
すこし、正直もので
生きるのが下手な男


女心がわからない
でも、女性にモテる


切なさの糸が後を引くような
そんな展開の歌を
多く残す正やんにして

この「ペテン師」という作品を
新曲として
ライブアルバムから
披露してきたところに

正やんの独り立ちの準備が
徐々に整い出したと
思われた

「神田川」のヒットで
それぞれの個性を光らせる方向へ
進み始めたかぐや姫

とりわけ
正やんは
ソングライターとしての
才能がより
開いてきていた。

時代の流れを感じることの多い
この頃の歌たちだけど
「ペテン師」は
いま聞いても
そんなに古さは感じない
でも、
もう、「ペテン師」って言葉自体
死語的になっている。

今は
詐欺師

という言葉が定着しているし、
聞き慣れてる

同じ意味を持つことを表す
ペテン師
詐欺師

「ペテン師」なにやら
童話の世界から
赤い舌をだして
微笑んでる
そんなすこし悪そうで
すこし人の良さそうな

その男。


ペテン師につき…
















吉田拓郎 コンサートのラスト曲についての振り返り

2019-11-28 10:56:00 | 雑記
吉田拓郎さんのコンサート
ラストに歌う曲って…






初期の頃
そして
つま恋のような
大きなイベントで
オムニバス形式のコンサートやら
80年代
90年代
そして
最近に至るまで


どんな曲だったかなあって


初期の頃のコンサート
いわゆるアコースティックでの
リサイタル
オムニバス形式のコンサート

それの大きなものが
中津川フォークジャンボリー

「結婚しようよ」の売れる
前と後でも違ってきてたし
72年頃売れる前だと

その時の気分で
流れでラストの曲って
それぞれの場所で変わっていたようでした。
「花嫁になる君に」
「こうき心」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「イメージの詩」
「リンゴ」
「結婚しようよ」
なんかは
猫とのジョイントコンサートでのラスト曲でやられていた。

それから「結婚しよう」が売れ出してから
神田共立講堂でのテレビ向けの
リサイタルから
柳田ヒログループと回り始めたツアーから
「また会おう」がラスト

また、73年からツアーは
アコースティック部分一部は
「りんご」で終わり
バンド編成では
「また会おう」

「ガラスの言葉」で終わったところもあり
金沢事件後の神田共立講堂でのライブ
は「人間なんて」

その後Live'73のmcでいっていた

(魔の神田共立講堂)のこととはその時の人間なんてが凄かったことを
指している。


神田共立講堂の後少しリサイタルで
全国を回ってます。
その時もラスト曲は
「人間なんて」

そしてあの中野サンプラザでの
伝説のライブ
Live'73 
では
「望みを捨てろ」がラスト曲。

74年は
バックバンドを愛奴の時は

「私」(悲しいのは)でした。

そして75年は
つま恋
ラストは感動の「人間なんて」

76年 「明日に向かって走れ」ツアー
「明日の前に」

がラスト曲


そして78年 「大いなる人」ツアー
では
また、「人間なんて」でした。

そして79年
のツアーも「人間なんて」
篠島のラストも
「人間なんて」


そう思うと70年代のラスト曲の代表は
「人間なんて」だったし、その
「人間なんて」からの
脱却を
目論んで差し替えていこうと
した歌はあるものの

時代の流れでもう、「人間なんて」ではないと感じた
拓郎さんは

79年の最後のコンサートに
大晦日
「ファミリー」をラスト曲に変えました。




そして、
80年代に突入
しばらく
ラスト曲はこの
「ファミリー」
を歌うも
その後

「アジアの片隅で」
に変わって
82年 王様達のハイキングツアー
になり
はライブの武道館では
「マークⅡ」だったり

それから
「春を呼べⅡ」がラストになったり
83年は「今夜も君をこの胸に」をラストで歌ってたような気がするし、

84年は武道館とかで
また、「人間なんて」をやってたし


そして85年
one Last night つま恋
では
「明日に向かって走れ」だった。


それ以降はあまり覚えてなく

2006年つま恋では
「聖なる場所に祝福を」

「今日までそして明日から」
「人生を語らず」
なんかもあり、2007年のツアーのラストは
「外は白い雪の夜」だったし、

ラスト曲って
その時のツアーコンセプトとかその時の想いとかで
ラストの曲って意味を持たせるのだと思う。


あ、この歌
この演奏が始まったら
コンサートは終わりだな…
と思わせるのも大事。
予定調和ではあるが
双方がその気持ち
思いでラストを迎える
そのコンサート。

でも、それを続けているアーティスト
ラストを変えないで
ラストの曲はこの歌
としているアーティストも多くみられるだろう。


だけど
拓郎さんに関しては

それがなかった。

今回のツアーも
ラストの曲を
拓郎さん本人も決めていただろうが
ラジオでリスナーから
候補を出してもらったりした。

リスナー参加型の楽しい
ラジオだったし、
実際リスナーからの
提案曲が採用されたりもした。

コンサートを見る楽しみ
聞く楽しみ
参加する楽しいが増え

いつもながら
拓郎さんのコンサートは
ワクワクさせてくれていた。


長年コンサートを見てきて
そのコンサートのラストは何だろうと推理しながらの楽しみもあり

あたるも
当たらぬも
感動を迎えるフィナーレは
締めくくりに相応しい曲
そうでなかった曲
色々あったね。