最近、Web 2.0やらMail 2.0やらという、びみょーに違和感のある言葉が大手を振って使われているようです。
この「2.0」の意味をひもとけば、「2」は漠然とした次世代・革新を表し、「小数点ゼロ」という書き方はソフトウェアのバージョンになぞらえたもの、すなわち、ソフトウェアによる~という意味になります。両者をあわせて、「~ 2.0」は「ソフトウェアによって実現される次世代~」を意味するわけです。
これらの、なんたら2.0、という言葉を聞くとどうしても思い出されてしまう言葉があります。それは(ちょうど10年前の)1996に作られた「インターネット2」と言う造語です。インターネット2は、ハードウェア、プロトコル、アプリケーションのすべてを含んだ革新を含んでいます(日本語版wikipediaでも、英語版wikipediaでも)。
もちろん、なんたら2.0とインターネット2は、かなり深い関係を持っています。有り体に言ってしまえば、なんたら2.0は、インターネット2という言葉が予言していた革新のうち、アプリケーションの部分に相当します。
ここで、インターネット2は、ソフトウェアだけではなく、ハードウェアやプロトコルも含む概念であることを考えれば、なんたら2.0に対応する造語がハードウェアやプロトコルの分野にもありそうに見えて、実は見あたらないことに気づきます。プロトコルでは、IPv4 → IPv6という(名称の変更としてみれば)あっさりとした変更しか行われていませんし、ハードウェアに関して言えば、どこまでが今までのインターネットで、どこからがインターネット2なのか答えるのが難しいくらいに、技術がオーバーラップしているのではないでしょうか。
では、なぜソフトウェアの分野において、なんたら2.0などという変な造語が闊歩しているのか?それは、この変化が、造語を作る必要があるほど、ソフトウェア分野における質的に大きな変化であるためです。逆もまたしかり。インターネット2という言葉で予言された革新の質的な部分は、ソフトウェアによって実現されます。
注目すべきは、ハードウェアやプロトコルといった、より基礎的な部分ではなく、ソフトウェア、すなわち応用(アプリケーション)で質的な変化が起こったことです。すなわち、ハードウェアやプロトコルをいくらつっついても、あるいは、ハードウェアに流れるビット列を観察していても、この変化を見ることはできない。
これが何を意味するのか?(開発者としてみれば)アプリケーションと呼ばれていたものが新たな基礎となったことを意味するし、(もう少し引いてみれば)学問領域としての断絶が起きたことを意味しますし、(社会的な見方をすれば)物理的実体から独立した機能としての新種の「都市化」がおきつつあることを意味しています。
2と2.0の間には、値としてみれば差はなくても、質的な転換があります。その違いは、いみじくも、整数と実数の差くらい大きなものかもしれません。