問わず語りの...

流れに任せて

映画『碁盤斬り』

2024-06-03 04:19:06 | 時代劇

 

 

 

 

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。清廉潔白も過ぎると、多くの人に迷惑をかけることになりかねない。

 

 

主人公、柳田格之進(草彅剛)は、清廉潔白が過ぎたがため、しなくてもいい苦労をしてしまったともいえる。もっとも等のご本人は、そんな風なことは毛ほども思ってはいないわけですが。

 

 

白石和彌監督ということで、血みどろ残虐時代劇になっちゃうのではないかと、少々危惧していたのですが、そんなことはなく、寧ろ上質の人情時代劇に仕上がっていたのには、関心させられました。こういう映画も撮れるのですねえ。

 

 

ここからネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

物語の前半は碁の話。真っすぐな生き方を崩さない柳田格之進は一人娘・お絹(清原果耶)との貧しい長屋暮らし。この格之進と碁の勝負を通じて知り合った商家の主人、萬屋源兵衛(国村隼)との交流が描かれ、源兵衛は格之進の”嘘偽りのない”碁の打ち方に感化され、己の商売の在り方を改めて行く。

 

この萬屋の手代・弥吉(中川大志)と、お絹との間に仄かに思い合う気持ちが芽生えてきて…とほのぼのとした展開が続きますが、これが一転します。

 

 

萬屋で500両もの大金が行方知れずとなり、格之進に疑いが及びます。格之進は怒りに震え、疑いを掛けられたことを恥じ入り、切腹しようとします。

 

 

折しも、格之進の奥方の仇、柴田兵庫(斎藤工)の消息が知れ、お絹は母の仇も討たずに切腹はならぬと父を説得。お絹は500両を用立てるため、知り合いだった吉原の女郎屋・半蔵若葉の女主人、お庚(小泉今日子)の下へ、己を身売りします。

 

 

お庚は以前からの知り合いであったことから、大晦日までに500両を返してくれることを守ってくれたら、お絹を店に出すことなく無傷で返すことを約束します。

 

 

はたして格之進は、妻の仇を討てるのか!?お絹の運命やいかに!?

 

 

 

 

ワンカットごとの情報量が多い。ある映画関係者の方は「手数が多い」と表現しておられましたが、まさしく手数の多い映像で、丁寧に丁寧に、ちゃんとした時代劇にしようという意欲が感じられる映像で、これには感心させられました。非常に好感を持ちましたね。

 

 

白石監督、やるじゃん!って感じ。

 

 

雨の情景、雪の情景。縁日の屋台の風情。街中を歩く人々。街並みの表現。

 

 

すべてにおいて”手数”が多く、豊かな映像になってる。

 

 

この映像だけでも、観る価値は十分にあると言えるんじゃないかな。

 

 

これには京都の撮影所の方々が長年培った、素晴らしき”職人技”にプラスして、VFXも大きな貢献をしており、近年の時代劇においてはVFXの発展が映像表現の幅を大きく広げています。

 

 

伝統的な手法と最新のVFXの融合。これが時代劇の表現の幅を大きく広げている。

 

 

古くて尚且つ新しい。伝統とはこうして後世に伝えられていくもの。

 

 

とても健全で、よい状況だと思う。

 

 

このままの方向性で、行っちゃってほしいです。

 

 

殺陣も良く出来てました。往年の時代劇の殺陣を踏襲しつつも、現代にも通じるようなリアリティがある。草彅さんは元々身体能力の高い方だし、斬られ役の方々も専門の方々を揃えていたようで、かなり激しくもカッコイイ殺陣を見せてくれてます。

 

 

碁のことはよくわからないと、敬遠している方もおられるかもしれませんが、全然大丈夫ですよ。私も碁はよくわかりませんが、どのような状況になっているか、ちゃんとわかるように演出されてます。全然大丈夫。

 

 

演者の皆さんも良かったですね。小泉キョンキョンなどは、優しい一面を見せながらも、女郎屋の女将としての”鬼”の一面もしっかりと持ち合わせており、これが、お絹さんが本当に店に出されてしまうかもしれないという危機感を、観客に抱かせる。うまく出来てます。

 

 

国村隼さんは相変わらず上手いし、中川大志さんの純朴な感じね。なんとかお絹さんと添い遂げてほしいと、観客全員が願いましたね、絶対(笑)。

 

 

斎藤工演じる一応の悪役、柴田兵庫などは、ある意味格之進の清廉潔白さに人生を狂わされた一面もあり、単なる悪役としては描かれていない。武士としての一抹の矜持は持っているんですよね。

 

 

清廉潔白さは必ずしも「絶対善」ではない。後半に進むに従って、格之進自身が徐々に、そうしたことに気づいていく展開になっていく。

 

 

しかしそれはそれとして、武士としての「筋目」は通さねばならず。それが

 

「武士の一分」と申すもの。

 

 

いやはや、現代人にはなかなか理解しがたくも、どこか美しさを感じ。美しさを感じつつも、どこか

 

 

哀しい。

 

 

武士とは真に…。

 

 

主演の草彅剛さんは、内側から湧き上がってくる情念のようなものを感じさせるのが上手いなあと思いましたね。多くを語らなくても、その思いは観客に確実に伝わっている。

 

 

 

忘れちゃならないのは、なんといっても清原果耶ちゃん。この凛とした涼やかさ。この方なしにこの映画は成り立たないといって良いほどの、清らかな存在感。

 

 

こんないい子を、苦界に沈めてなどなるものか!観客全員そう思いましたよ、絶対(笑)。

 

 

 

観終わってみれば、結構良い時代劇でしたよ。まあ、敢えて言うなら、ラストの展開がちょっと都合良すぎるかな、とも思いましたが、映画としてのテンポを考えれば、それも仕方ないかもね。

 

 

悪くなかったですよ。この位丁寧に、時代劇への「愛情」を感じさせるような撮り方をしてくれたら

 

 

文句は言えませんやね。

 

 

丁寧に丁寧に、愛情を込めて撮る。

 

 

見ごたえのある、良い画を撮る。それこそが

 

 

時代劇を継続させることに繋がると信じる。

 

 

 

時代劇の灯を消すな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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