さて、今、新月の願いで、幸せと感じる動作をする事で状況を良くする願いを書いておりますが、良くあるスピ論と少し違うところがあるので明確に申し上げておこうと思います。
なんというか悲しい状況をそれでいい、それでも幸せと認めろと言う話しとは違うと言うことです。
これが根本的にいつも間違いになって悲劇を作らされる原因となっています。
今、困ったひどい状況になっているとき、それが正しいと認めてはいけないんです。
妙な理屈で悲劇があっても正しいと自分を納得させる必要なんかありません。好きな事やってりゃあ楽しいですよね。歌って踊って思いっ切り楽しむと効果的になりやすいのはそういうことです。
そう言う事で快楽にひたってればいいんです。その快楽の中で念じるんですよ。自分が望む状況を!
すると宇宙は感情の大きさで判断するんで喜び度が大きいとそれがもっとあるべきだとグリッド経由でプログラムされます。
なんと言ったらいいのかこのように宇宙は感情のみで動くのです。
難しく理念を重ねても何千年も過去の賢者がやってきて世界はちっともよくならなかったんですから間違いなのは明確なんです。
気持ちよく過ごしていれば、その感情が伝わって、その状況をもっと具現化しようとする作用が働きます。半端なく気持ちよい状況が性的な感情なのでそれがまた大きな力となるわけです。
謙虚とかになると恐れ入ってる状況なので宇宙はそれは良くないと判断してそのものが望む願いは何にも絶対、叶えなくなります。人通しはお互いに気持ちよく謙虚につきあえばいいですが、世界や宇宙に対しては傲慢なぐらいで丁度いいわけです。
哲学論や難しげな宗教的な説法にはまらぬことが重要です。不幸な状況は何らかの楽しみを増やしていくことでそれを押しのける思いであることが重要なのです。そこで今が楽しいと思うことは正しいのですが、不幸を認める感情ではグリッドに入るプログラムは不幸の延長となります。必ず至福の感情に包まれた時に正しく願うのです。間違った経済支配を続けていた者たちが新たな経済システムの発動のために力を失い、その座から引きずりおろされ、捕縛されることを!
よろしくお願いします。
今日の順位は?あなたのクリックでランキング上昇中
1日1回お願いします~~ポチっと押してください。
広島情報は広島ブログでばっちり