ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

辺境の開拓

2006-12-30 23:05:57 | モスクワ留学記
30日(土)、今年最後のロシア人との会合。
1時にメトロ駅アレーホヴァで待ち合わせだが、
起きたのがギリギリで12時出発。無茶苦茶急いだ。気持ちだけ。
気持ちが急いでたので携帯忘れた。時間が分からな~い。
待ち合わせ駅について駅の時計を見たら12時59分27秒!!
30秒前行動、完璧だ。。。
しかし当のスヴェータが30分遅刻。年末の渋滞に巻き込まれたそうだ。
ロシアもやっぱり師走だなぁ。

ということでスヴェータ、スヴェータと同じクラスで日本語を習っているウリアナ、
かつてその学校で一緒に日本語を習っていたというマリーナの3人と、
駅の目の前から広がるツァーリツィンを散策した。
えらくだだっ広い庭園は、昔のなんとかいう公爵家の邸宅跡のようで、
クスコヴォやコローメンスカヤと歴史的な性格は同じなようだ。
夏に来ればとても良い散歩コースになっただろうが、既に木は枯れきっており、
周りは一面雪で真っ白。あまり変化のない景色だった。
しかも歩きながら、この散歩の後で見る映画のあらすじをえてもらっていたため、
景色をほとんど見ることもなく映画の話に終始した気がする・・・

ということで3時にコローメンスカヤ駅に移動し、駅前にある映画館へ。
最近公開されたばかりのロシア映画「Волкодав」で、料金は150ルーブルだった。
メトロ内にたくさん広告が貼ってあり、何かと思っていたら今日見ることになるとは。
ロシアでは有名なファンタジー小説からの映画化で、
言ってみれば中世の田舎を舞台にした剣と魔法の復習物語。
前半~中盤は楽しめたが、結構ワンパターンで後半がイマイチだった。
この小説のファンウリアナも、映画は気に入らなかったらしい。
映画はともかく、驚いたのが映画館の設備の良さ。
日本では珍しい(というか俺が行かなくなった)1スクリーンのみの映画館だったが、
座席も音響もかなり近代的でスクリーンも大きかった。
さらに待合室にはセガやタイトーのゲーム機が3~4台ほど置いてあるし。
そういえば計14ヶ月で初めて映画館に行った。安かったし行っといてよかった。

映画が終わり6時、マリーナはその後帰宅。
残り3人でノヴォクズネーツカヤ駅で降りて喫茶店へ。
朝12時前におきてから、キオスクで買ったパン2個だけなのでかなり腹が減っていた。
一番コストパフォーマンスの良さそうなアップルパイを注文。
飲み物はグリントワイン?という、ワインに味付けをした(様な)ものを3人で飲んだ。
色は赤、ワインの、特に赤ワインはイマイチ好きになれないんだが、
このグリントワインは美味かった。グラス1杯186ルーブルもして、ちと高めだけど。
スヴェータはかなりこのワインを好きなようで、結局皆でもう1杯ずつ頼んだ。

8時、2時間近くお喋りをしたところで解散。
(実は途中かなり眠気が襲ってきてやばかった。前日夜更かししたからかな)
普段スヴェータと会うと彼女が日本語で話す努力をするため、
ほとんどロシア語で話さないが、今日は映画を含めて会話はかなりロシア語だった。
昔より話せるようになってるなぁ、と少しだけ自信がついた。

音が深くなるのは・・・

2006-12-28 23:59:00 | 音楽・コンサート・バレエ・オペラ
前エントリー、Aサミの見送りでずいぶん遅れてしまったが、
今夜は今年最後のコンセルバトーリヤ。


第43回芸術祭「ロシアの冬」
ドボルザークのヴァイオリン協奏曲 ソリスト=イザベル・ファウスト
ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」
指揮はミハイル・プレトニョフ、ロシア・ナショナル交響楽団の演奏。

空港からマルシュルートカに乗って、メトロの駅に着いたのが6時40分。
そこからメトロで40分強、歩いて10分、入場5分。
チケットを持っていなかったため、再びダフ屋で買うことに。
運良く入り口前でおばさんが声を掛けてくれたため、
一番安い席を頂戴、と言うと300ルーブルだった。
席は3階席(2-йアンフィテアートル)の1番前。かなり気に入りの席。
定価で売ってくれたので、とてもお得に入ることが出来た。
上着を預け、結局ホールに入ったのは7時40分。
すでにヴァイオリン協奏曲の第2楽章が始まっていた。
この協奏曲は2楽章構成なので半分も聴いてないことになるが、
それほどたいした演奏ではなかった気がするのでまぁいいか。
どのみち今日の最大目標はショスタコーヴィチなのだから!!

人生初の生聴き「レニングラード」。
当初この第7番は俺の中で全ショスタコ15曲中5~6番目の位置づけだったが、
ここ2~3ヶ月で最も良く聴く最も大好きな曲となってしまっている。
第1楽章の軽い感じの出だしから、楽章が進むにつれて、
重く、深く、辛く、激しく、強くなっていくこの曲は、
ドイツ軍のレニングラード包囲下にあって書き上げられた曲。
だからこれほど戦争を連想させるようなすさまじい曲になっているのか・・・
実際、生は良かった。期待にたがわぬ素晴らしさ。
第1楽章中盤、小太鼓が静かに同じリズムを刻み始めるところでは、
CDでは聴き取れていなかった細かい表現までつぶさに伝わってきた。
そして最も好きな第4楽章冒頭2分~6分の、他の作曲家の作品では
聴いたこともない様な曲展開が繰り広げられるパートでは、
これがショスタコーヴィチなんだ!と1人で感動を噛み締めていたり。
そして最後のクライマックス部分、想像を超えるすごい速さで
弾き鳴らされるヴァイオリンやホルンは、こんな魅せ方もあるのかと感動した。
ヒロリンクルがいたら、また気に入らないと言われそうだが。。。
ただ金管が若干弱く、高音が体の芯まで響いてくる、まではいかなかったかな。
(普段CDで聴いてるのがロジェストヴェンスキーだからそう感じるだけかな?)
無茶苦茶良い、というわけではないがしっかり良い演奏で、
やっぱり初の「レニングラード」ということもあって素晴らしい1時間半だった。

これまでコンセルバトーリヤの写真は何枚も載せていたが、
観客席の写真はなかったので今回は客席の風景を。

今年のコンサート通いもこれで終了。第2期留学の9月からで数えてみると、
9月=1回、10月=1回、11月=3回、12月=3回。もう少し行けたかな?
来年も素晴らしい音楽が聴けますように。

女優退場

2006-12-28 23:53:58 | モスクワ留学記
28日(木)、今年3月からの留学生で、最初の1ヶ月と最後の4ヶ月を
一緒のグループで学んだAサミが帰国した。
彼女はなかなか今まで出会ったことのないタイプの女であった。
自分で耳にピアスの穴あけるわ舌にピアス入れるわ突然爆発系の髪型にしてくるわ、
Aサミは確かにビッチだ。だが身長はモスクワ最小の148㎝(公称)ながら、
言う事やる事その他のモノも全てがビッグだった。ビッチながらビッグだ。

飲み会では底辺の下ネタ話で盛り上がったり、
飲み会でカメラにビールをかけられ、その犯人を登校拒否に追い込んだり、
古今東西でエロい擬音語というお題で盛り上がったり、
同じく古今東西で好きな体位というお題で「騎乗位」って答えたり、
バーニャに行ってロシア人とやっちゃいました写真撮ったり、
そのロシア人と本当にやっちゃったり(←これは勝手な推測なので信じない様に)、
ものすごい努力でモスクワ大学の外国人用ロシア語検定第2レベルに合格したり・・・

はっきし言って最後の一つ以外かなり変態的な女のようだが、実際変態だ。
変態だが明るかった。性格が明るいので裏表が無かった。
明るかったので酒を飲んでても楽しかった。
楽しいからよく悪ふざけをした。
一緒に遊園地やボウリングに行った。カジノにも行った。
そして授業では常に先頭を切ってロシア語を話し、
数多くのロシア人との交流にも時間を惜しまず、
たゆまぬ努力でモスクワ大学の外国人用ロシア語検定第2レベルに、
かなりの高得点で合格した。そして詳細なアドバイスを俺にくれた。
小さいがビッグと言うのはそういう訳だ。尊敬できる女であった。
面白い女が居なくなるのは実際寂しい。
(ここまでRオとほぼ同じだな・・・参照→「彼が征くはシベリアのタイガ」

4月生で2人目の帰国者。残り1ヶ月も経つと、留学仲間は半分になる。
非常に寂しいこの時期。去年は同じ9月生で来た奴らがいたが(勿論今年もいるが)、
今回は留学当初から知っている仲間の帰国だから寂しさもとりわけだ。

3時半、Aサミ、ロシア人の友人リョーシャ、Aサミの留学同期Aチ君と
4人でタクシーに乗り、シェレメーチェボ2空港に向かう。
途中モスクワ大環状(МКАД)からレニングラード街道への合流地点で
すごい渋滞にあったが、(年末の渋滞は日本もロシアも一緒か・・・)
それ以外は順調で、5時前には空港へ到着。
ちょうど半年前、自分も一時帰国したときのことが、遠い昔の事に思われる。
留学仲間に伝わる儀式=「フライデー」でハンバーガーを食べ、(参照)
そこでAサミの分だけ注文が来ないというハプニングもありつつ、
皆で別れを済ませて彼女を税関まで見送った。
正確には俺とAチ君はコンサートと観劇というそれぞれの用事があったため、
税関に入る前に2人を残して帰ってしまったわけだが。

今頃Aサミは空の上だろうか?飛行機が墜ちてなければ良いが。
無事に日本に着けます様に。
留学仲間で最も“できる”奴が帰っていった。
残された俺たちは、少しでも彼女のレベルに追いつけるよう、
追い越せるよう頑張っていこうと心を新たにする。

交響組曲への招待 Kap.Ⅱ

2006-12-26 23:13:47 | 音楽・コンサート・バレエ・オペラ
26日(火)、先週に引き続きコンサートのため、
授業を6時ちょっと過ぎに早退。
今日はコンセルバトーリヤでシェヘラザード!!
指揮はあのマルク・ゴーレンシュテイン!!
M嬢もヒロリンクルもこの素晴らしいコンサートに来ないと抜かすため、
しゃーなしでAチ君を誘った。(Aチ君、嘘だぞ)
ちなみにゴーレンシュテインに感動した記事はコチラ


チケットを買っていなかったため急いでホールへ向かい、売り場へ。
「今日の一番安い席下さい、いくらですか?」「1,200ルーブルだよ」
まじかぁぁぁぁ!!!
よろめきながら後じさると、後ろにいた親子と思われる女性2人に話しかけられた。
英語で。
わかんねぇぇぇぇ!!
でも何とか聞きなおしてみると、チケットを買いたい模様。
今日のチケットは1,200ルーブルすると無茶苦茶拙い英語で伝えると、
諦めて帰っていった様だ。っていうか演目は何か?とも聞いてきた。
演目も知らずにチケット欲しがってたのか?
しかもリムスキー・コルサコフのシェヘラザードって答えても知らないっていうし!
そうこうしていると、思い通りにダフ屋のおばちゃんに話しかけられた。
「1人300ルーブルで、一番安い席を案内するよ」
よし来た。すぐに2人分600ルーブルを払ってお願いすることに。
すると裏口に連れて行かれ、
「あなた達の苗字は“アファナシエフ”よ。係員にそう言えば、招待客では入れるから」
果たして警備員は俺たちの名乗ったアファナシエフの苗字を名簿で見つけると、
本当に通してくれた!良かった良かった。
今日のコンサートが聴けなかったら一生の後悔だったよ。
結局席は、3階席(2-йアンフィテアートル)の背もたれ有りの8列目に落ち着けた。
かなりの満員だったから、早めに座れる席を確保しといて良かった。


第43回芸術祭「ロシアの冬」
ブラームスのピアノ協奏曲第1番 ソリスト=ヴァレリー・アファナシエフ
リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」
指揮マルク・ゴーレンシュテイン、スヴェトラーノフ記念ロシア国立アカデミー交響楽団の演奏

演目発表の時ソリストの名前を聞いて驚いた。アファナシエフ・・・
俺たちはこのソリストの関係者らしい。
ブラームスのピアノ協奏曲は初聴きで、出だしは結構気に入ったものだが、
曲が進むにつれて結構どうでも良くなってきてしまった。
知らないせいもあるだろうが、盛り上がってはまた沈み、の繰り返しがたまらなく嫌で、
あまり好きになれなかった。特に第3~第4楽章。第1楽章は気に入ったのになぁ。
ピアニスト独奏のアンコールは、まったく訳の分からない曲だった。。。
自分たちのちゃんとした席がないので、休憩時間は素早く席に帰った。
コンセルバトーリヤ初体験のAチ君に、十分な案内が出来なかったのが残念。

本題のシェヘラザード。
まったくもってこの指揮者とこのオケは大好きだ。文句のつけようがない。
これで文句を言うようだったら、コンサートに来ない方がいい。
それぐらい良かった。ディ・モールト良かった。
コンサートマスターのヴァイオリン・ソロもフルート・ソロも、
トランペットもクラリネットもハープもティンパニも、
全てが素晴らしい調和を作り出してくれた。
数日前からようやく雪が降り続き冬らしくなったモスクワにあって、
今夜のコンセルバトーリヤ大ホールは、まさに南の海だった。
はっきし言おう、前回11月10日のシェヘラザードより良い!(11月10日の日記参照)
今まで聴いたコンサートの中で(大半はモスクワ、その更に大半はコンセルバトーリヤだが)
今回は最高ランクの“特A”認定。
・6年前のロシア初旅行の、ペテルブルク・ショスタコーヴィチ記念大ホールでの
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(クラシックに本格的にはまる大きなきっかけ)。
・去年11月のチャイコフスキー・ホールでの同じくラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(参照)。
・今年3月4日、コンセルバトーリヤでのフェドセーエフ指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏、
ショスタコーヴィチの交響曲第8番(参照)。
・そして先月9日のゴーレンシュテイン指揮のショスタコーヴィチの交響曲第5番(参照)
上記4つに並び称される素晴らしいコンサートだった。
ちなみにあくまで個人的な好みなので、異論はどんどん下さい。


明後日28日は、今年最後のコンサート予定。場所はコンセルバトーリヤ。
曲目は。。。ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」!!!
これはいくら払っても聴かねばならぬ。聴かねば年を越せぬというものだ。

聖夜

2006-12-24 23:44:29 | モスクワ留学記
24日(日)。この日は何の日か?
天皇誕生日の翌日?
有馬記念でディープインパクト最後の雄姿が見れる日?
それとも、クリスマスイブ?

違います!ただの365分の1日です!前にも書いたなこのセリフ・・・
何度も言うがロシアではロシア正教が主流で、正教会は旧暦を使用しているため、
現在ロシアのクリスマスは新年明けの1月7日!
つまり俺の誕生日をロシア国民がこぞって祝うのだ!!
12月24日はあくまでただの日曜日だ!!!

ってことで予定が悉く無くなってしまった俺は4時に留学仲間のAチ君に電話をし、
「この日はいくら予定がないとはいえ、外に出ずに1日を過ごしたら負けだ!!」
と説得して一緒に出かけることに。あてもなくメトロに乗って中心街へ。
せっかくのイブなのでアルバート通りを歩いてみることにした、男2人で。
あまり変わりはない・・・やっぱり1月7日ではないので、
ロシア人はごく普通に1日を過ごしているようだ。
途中で「70%OFF!」と書かれたポスターを目撃し、そこの服屋に入る。
本当に安く、気に入ったセーターが600ルーブルで売ってたので買った。

アルバート通りを抜けて新アルバートへ。そこからまた戻り、晩飯へ。
アルバーツカヤ駅裏にあるウズベキスタン料理「シシュベシュ」へ行った。男2人で。
(「地球の歩き方」06~07年版参照、HPはコチラ
店員がウズベキスタンの民族衣装のようなものを着ており、
木で内装された店内は結構いい雰囲気。
店に入ったのが6時頃だったせいか、それほど混んではいなかった。
せっかくなので普段は自分では飲まないのにビールを頼むことにした。イブだし。
2人が食べたのは、スープがハルチョとクラピィ(?名前忘れた)。
ハルチョはグルジアのものより少し辛め、クラピィ?は白身魚が入っており、
かなり久しぶりに魚のスープを食べた気がした。美味かった。
後で調べたらこの魚、チョウザメということだったけど本当かな?
次にシャシリク豚&鳥。クリスマスに鳥を食わなければいかんと思ったが、
基本的にシャシリクは豚のが好きなので、半分半分にすることにした。男2人で。
一緒にナンの様なものが付いてきて良かったが、
肉自体はグルジアで食べた方がはるかに美味かった。
イズマイロフスキー・パルク内のベルニサッシのシャシリク屋の肉も十分美味いが。
次に鶏肉入りオムレツと、カターフリ(?これも名前忘れた)肉入り&チーズ入り。
再び仲良く半分半分にして食べた。男2人で。
この鶏肉入りオムレツが美味い!!特別な味付けがあるわけではないが、
卵がとても美味く焼いてあって、頼んで正解だった。
Aチ君は、「やっぱり高いお金を払うと学食とは違いますね~」と、
当たり前の事を言っていた。アホか!!
まずまず腹いっぱいになり、計950ルーブル。チップに50ルーブルを置いて店を出た。
今回は食べていないが、他のメニューのシャシリク盛り合わせや
サラダバー(サフランライス、煮込み肉など有り240ルーブル)も美味そうだった。

店を出てもう一度アルバート通りを抜け、スモーレンスカヤ駅から家路に着く。
いや、家路ではない!!
この後2人には激しい戦闘が待っているのだ。
アリョーナックという名の戦場で。
ということで行きつけの?カジノへ行った。男2人で。
ルーレットに没頭すること4時間、2人とも良いクリスマスプレゼントを貰って帰れた。
結構幸運なクリスマスイブだと言うべきであろう、最後に負けていたら目も当てられぬ。

突然の新しい仕事? Kap.Ⅲ

2006-12-22 23:49:39 | モスクワ留学記
22日(金)。前日に同じクラスのNノAコが一時帰国から帰ってきたため、
木曜日はお帰りなさい会でシチューを作り再会を喜ぶ。
夜中2時、ようやく宿題を始め、終わって寝たのが朝6時。
果たして午前9時からの授業の出席は俺1人で、宿題の範囲は次回へ持ち越し。
さっさと寝ればよかったよ!!14ヶ月で初の個人授業だった。

金曜日は毎週恒例となりつつある、家庭教師の日。
今日は駅で落ち会わずにそのまま教え子ユリアの家へマルシュルートカで向かう。
途中すごい渋滞にハマって約束の6時に15分遅刻。すみません。

今日の課題は、まず最初に日本語の「助詞の説明」。
前もって「は、の、に、を、が、と、で、に、へ」の助詞一覧を、
ロシア語のどんな格に対応するかの表を作って持っていき、日本語の例文を交えて説明。
この表を作っていたお陰で、前回やった形容詞のおさらい表は作れなかった。
この助詞を教えている最中に、ユリアが面白いことを言った。
「с кемって何だっけ?あぁ、творительный подежだったわね」
そうなんだ。ロシア人は母国語を話すときに何格か?なんて意識していない。
俺たちが日本語で自然に「て・に・を・は」が出てくるように、
ロシア人も意識してないから、いざ言われてみると少し頭を傾げるんだなぁ。
この領域まで来なければ、ロシア語を話せるなんて到底言えないだろうなと痛感した。

助詞の説明が終わった後は、「形容詞の否定」の復習問題をもう一度。
それが終わって、彼女もある程度分かったといったので、次のレッスンへ。
レッスン9は「動詞」。
来た!!最も難しいものが。
日本語を教える上で、漢字以外で何が大変かといったら、これだろう。
何しろ形の変化が多すぎる。ロシア語の変化なんて可愛く思えてしまうほどに。
でもそんなこと言って相手がやる気を失くしたら大変なので、
「ロシア語の名詞は男性・女性・中性・複数で24の規則的変化があるだろ?
動詞も完了体・不完了体、過去形で16個の変化がある。日本語も同じ」
と、うまく誤魔化せた・・・のか?

ということで動詞の変化。
規則変化1。「買う」を一例にあげて
①買わ~、②買い~、③買う、④買え~、⑤買おう
規則変化2。「見る」を一例にあげて
①見~、②見~、③見る、④見れ~、⑤見よう
不規則変化。「する」を一例にあげて
①し~、②し~、③する、④すれ~、⑤しよう

皆さん分かりますでしょうか?いきなりこの表を見せられた時はかなり焦った。
簡単にロシア語で説明できるものではないと思えたからだ。
だいたいその前に、この表が何を意味するかを理解するのに30秒はかかった。
ちょっと考えた末、まずまずの説明をひねり出した。
①~ない、が続き否定を表す変化。②~ます、~ません、肯定&否定の丁寧語の変化。
③不定形。④~ば、仮定。~る、~た、可能の現在形と過去形(規則変化の1に限り)。
⑤動作をしようという意思を表す現在&未来形の変化。
ひとつひとつ教えるのが大変だった。。。
今日のエネルギーの3/4はこれに使った気がする。

授業時間約1時間半、300ルーブル(約1300円)を受け取って終了。
次のレッスンは動詞・・・俺のロシア語がその説明についていけるか不安だ。。。
次回は29日(金)。

終わりなき交響曲

2006-12-19 23:15:00 | 音楽・コンサート・バレエ・オペラ
19日(火)、クラスの3人(俺、M嬢、ヒロリンクル)で
授業を30分ほど早めに抜けてドーム・ムーズィキへ。
今日はヒロリンクル一押しの演目なのだ。
当日券を買いに少し急いでホールに向かった。
この日は最も安い席で200ルーブル、少し高いな?
でも平日ということもあってか客があまり多くなく、全席ほぼ自由になった。
一番安い席にしといて良かった。


「ロシアの交響曲目の精髄」
チャイコフスキーの交響曲第4番
チャイコフスキーの弦楽四重奏曲より、アンダンテ・カンタービレ
チェロとオーケストラのためのロココの主題による変奏曲
           上記2曲のチェロソリスト=アレクサンドル・クニャゼフ
祝典序曲「1812年」
指揮マクシム・フェドートフ、「ロシア・フィルハーモニー」モスクワ交響楽団の演奏

今回はヒロリンクルの感想を参考として載せる。
まずは交響曲第4番。
「まったく気に入らない(怒)。弦楽隊はともかく、木管も金管も最悪!特にフルートとトランペットのソリスト!私が最も嫌いな演奏。管の中に入る息よりも外に出る息のほうが多くて、完全に音が死んでる。ドーム・ムーズィキの音響効果のせいじゃない、演奏自体が全くダメ。せっかくの第4番なのに拍子抜け(怒怒)」
挙句の果てに幕間の休憩時間も「ガックリ来たからトイレに行くのもだるい。ここで待ってるわ」怒り心頭でした。
次に真ん中2曲のチェロ。
「うん、これはまずまずね。あのチェリストはいいわ~。」管楽隊が抜けていたため、気に入らない奏者が居なくなってお気に召した模様。
最後にヒロリンクル最もお気に入りの曲「1812年」。
「第4番に比べたら大分良かった。フルート以外はそれほどひどくなかったし。でもラ・マルセイエーズの主題から後半の爆裂まで徐々に盛り上がっていく最初の部分で、本当は全体が静まり返った中にホルンの響きだけが奏でられていて欲しいのに、別の楽器の音が大きすぎ。あれではその後の大音響との対比が薄れて良くない」
以上、かなりの辛口コメントでした。
このオケはどんなオケなのか、先生に絶対聞いてみる、
とまで言っていらしたので怒りは頂点でしょう。
なお俺は、確かに管楽隊のしょぼさは感じたが、
ヒロリンクルほど辛口じゃないので、まぁこんなもんですか、って感じ。
「1812年」は普通に良かった。

どんなにヒロリンクルが怒りをぶちまけ、俺が素人音楽論をこねくり回しても、
モスクワ川は優雅に夜の光に映えていた。(写真)

金なき戦い Kap.Ⅱ

2006-12-18 22:29:29 | モスクワ留学記
17日(日)起きたら3時。何て骨体。
前日、ロシア人の友人リョーシャの家で飲み会があり、
帰りが3時過ぎになり、寝るのが5時になり、
そして起きるのが3時になった。まさに必然の流れだ。

前日・土曜日も日中はどこにも出ていないので、これではいかんと思い出かけることに。
が!財布に80ルーブル(約350円)しか入ってない不覚の事態。こんな27歳嫌だ。
だから金のかからない散歩に行くことに決めた。

ハッ!?ここまでの流れ、先週と一緒じゃねぇかぁぁぁぁ!(→金なき戦い)
ただ一つ違うのは、先週はただ単に財布に金が無かっただけだが、
今週は銀行にも無い!действительноない。
お母さま、早く入金してください。

この日は寮を出てメトロ駅プロスペクト・ベルナーツカバの裏に広がる公園に行った。
かなり大きな公園で(といっても何も無いが)、自分の部屋からも一部が見える。
途中、モスクワ大学の大きな校舎の夜景がとても良く見えたので写真撮影。
そのまま公園を突っ切り、適当に大きな道(ミチュリンスキー・プロスペクト)に出て右折。
2キロほど行くと学校横のロモノーソフスキー・プロスペクトに出たので、
さらに右折。この大通りはいつも学校に行くときに横断しているのいだが、
反対側に出たのは初めてだった。大学の大校舎の真横に来ると、
つい1~2年ほど前に建てられた新しい図書館があった。なかなかの威容。
完全に明かりは消えて閉まっているにもかかわらず、警備員が2人立っていた。
ウニベルシチェート駅まで着いたら、例の如くラムストルに寄り、
あとは寮まで歩いて帰った。全行程約2時間。
途中写真を撮るために停まったりしたものの、疲れた。
帰って晩飯を食い、かなりの眠気に襲われながら(あれだけ寝たのに!)、
必死で宿題をやるもギブアップ。1時前に就寝。
月曜日の授業は12時からだが、8時半に起きて残りを終えた。

これで生活リズムが朝方に戻ってくれるかな?

突然の新しい仕事? Kap.Ⅱ

2006-12-15 23:45:33 | モスクワ留学記
15日(金)夕方4時過ぎ、先週金曜日にも書いた家庭教師に行って来た。
(参照→突然の新しい仕事?
4時10分にメトロ駅プロスペクト・ベルナーツカバで待ち合わせ。
ユーゴ・ザーパドナヤ駅からバスでユリアの家へ向かった。
道がえらく混んでおり、バスで30~40分もかかった。前は15分くらいじゃなかったか?
わざわざ地下鉄でユーゴ・ザーパドナヤまで行かなくても、
プロスペクト・ベルナーツカバ駅近くから、マルシュルートカ1本で行けるので、
これからは家に直接行くよ、と言っておいた。渋滞は嫌だ。
家に行く前に、彼女は近くのスーパーでお母さんに頼まれた買い物。
お菓子とパンを買って店を出た。
前回通った道と全く違う場所に出たので、これでは家の場所が全く覚えられないぞ。
だいたい俺は方向音痴なのだ。来週来れるかどうか不安。。。
家に着いたのは5時半過ぎだった。

先ほど買ったお菓子とベトナム茶(←これが結構美味い)を飲みながら、
今日はすぐに勉強に入った。
前回やったレッスン8「形容詞の否定」の復習。
先週はかなり平仮名の読みで詰まっていたものの、今日は大分改善されていた。
1時間くらい勉強をして疲れてくると大分読み間違えていたものの、
「る」「ろ」「れ」「さ」「ち」以外はかなり読めていた。感心。
片仮名はまだちょっと問題ありなので、それは50音表を見てもOKにしてある。
『このホテルは高いですか』『いいえ、高くありません。でも安くもありません』
こんな文章をたくさんやった。並行して形容詞もいくつか勉強。
「高い」「安い」「低い」「うるさい」「静かだ」「遠い」「近い」「明るい」「暗い」
「白い」「黒い」「赤い」「青い」こんなところだろうか?
教科書に書いてなかったので、「大きい」「小さい」を忘れてた。次に教えてあげよう。

これまでのレッスンはどんなだったか知りたかったので見返してみると、
1~5までは平仮名・片仮名の書き方の練習と簡単な単語、
6~7で『これは何ですか』の様な疑問文を使った簡単な受け答えの練習だった。
いきなりレッスン8で形容詞の否定に入るとは、段階飛ばしすぎじゃないか?
普通はその前に形容詞(肯定)があると思うのだが・・・
さらに今日の練習問題で、『私は京都です』『わたしはコーヒーです』と、
2つの省略文があった。これはこの段階で覚えるものじゃないだろ!!
しかもその前に来るべき質問文が無く、いきなりこの2文が書いてあったので、
日本語を話せる人に教えてもらわない限り、独学では確実に意味は通らないと思われる。
まぁ相手の教科書に文句を言ってもしょうがないか。。。

勉強は結局1時間半近く続いただろうか?時間を見てなかったし、
教える側としては相手が充分というところまでは教えてあげようと思ってたので、
まぁ妥当なところか。ていうかもう少し教えたかった。
あまりやり過ぎても次への課題が多くなりすぎるので問題だが。
そして気になる授業料だが、今日は結局200ルーブル受け取った。
見たところ手持ちに100ルーブルが無かったらしい。
お母さんの元へ走ってお金を取りに行ってたが、結局100ルーブル足りず。
(先週出されたときは300ルーブルだった)
俺は別に最低交通費さえ貰えればいくらでも構わないので、快く受け取った。
次回はこちらでも、覚えて欲しい単語のリストを作成していってあげようと思う。
今のところは無茶苦茶簡単な単語だから、全然ロシア語の勉強にはならないけど。

帰り、バス停までの道を何とか確認しつつ帰った。
来週の金曜日は6時に直接彼女の家へ。迷ったら電話しよう。
とりあえず毎週金曜日に、家庭教師日記を書くことになりそうなのは確かだ。

失われたもの

2006-12-13 23:14:01 | テニス
マラト・サフィン非公式サイト(ロシア語)トップページより

Москвичам: 8 декабря (в эту пятницу) в 12:30 в магазине adidas Олимп
(м. <Улица 1905 года>, ул. Красная Пресня, д.23) Марат Сафин будет раздавать
автографы и фотографироваться со всеми желающими.
Будем рады всем фанатам Марата и тенниса.

モスクワ在住者の皆さんへ:12月8日(今週金曜日)の昼12:30より、アディダス・オリンピックショップ(地下鉄1905年通り駅すぐ、クラースナヤ・プレスニャ23番)にて、マラト・サフィンのサイン会と撮影会を希望者全員に行います。
マラトの、そしてテニスのファン全てに喜びを。


今日→13日(水)。遅いよ!先週の金曜日って!!?
先週の5日(火)にこのサイトを見た時は、間違いなくこの情報は載ってなかったんだが!
わずか2日しか告知しないなんて!
しかも金曜は授業が午前終わりだから、無理しても行ったのに~。
しかしこれだけ告知期間が少なくて、どれだけの人が集まったのだろうか?
まったく惜しいことをした。悔やんでも悔やみきれず。

発芽

2006-12-12 23:54:42 | モスクワ留学記
12日(火)、今日夜7時半、学校から帰ってきてから、
ロシア人に溜まっていたメールの返信をしまくった。
長文2本、ショートメールで20本くらい送った気がする。

合計で3~4時間くらいはパソコンでロシア語を見てただろうか?
さすがに疲れ果てた。
せっかくロシアに居るのだから、ロシア人に声をかけまくろうっと。
がっちりフラレたことだし。。。
いつまで体力と精神力が続くか怪しいものだけど。
日本語のペラペラなロシア人の友人が欲しい。意味ないか。

っていうか、ただコレだけの日記。

金なき戦い

2006-12-10 23:34:41 | モスクワ留学記
今年のモスクワは超暖冬で、いまだに外には雪が積もってない。
気温も0℃~5℃、マイナスなることはほとんどなく、
冬用コートもまだ必要ないし手袋・マフラーも要らない。
と言っても去年は年明け一気に-30℃とかになったので、
今年もどうなるかは分からない。
まぁ今年は欧州全体での暖冬のようなんだけど。。。

10日(日)、友達5人でテニスをしようという事になり、大学へ。
しかしコートの管理人のおじさんが見つからず、30分探して断念。
管理人ならコートのそばに居ろ!!
それにしてもこの時期でまだ屋外コートでテニスが出来るのもすごいことだな。。。

帰って昼寝をしたら夕方4時過ぎになってしまった。
昨日・土曜日もほとんど外へ出ていないので、これではいかんと思い出かけることに。
が!財布に50ルーブル(約200円)しか入ってない不覚の事態。こんな27歳嫌だ。
だから金のかからない散歩に行くことに決めた。
寮からメトロ駅横の交差点を東に曲がり、レーニンスキー・プロスペクトへ出た。
そこをそのまま北へ向かってひたすら歩き、ロスティクス&KFCのある交差点で左折。
ウニベルシチェート駅の交差点でプロスペクト・ベルナーツカバに合流。
ショッピングセンター・ラムストルに寄って、寮まで帰ってきた。
(前4月生&前9月生&Rオへ、ウニベルシチェート駅すぐ横に、
巨大なショッピングセンターが出来たのです。アシャン&メガを少し小さくした感じ。
これでわざわざ遠くまでマルシュルートカ乗ってアシャンまで行く必要ない。ラッキー)

この時期、モスクワも既に街のあちこちにツリーが立っており、
ショッピングセンター内部なんか既にクリスマス商戦モード(写真)。
今年“も”特に浮いた予定のない身としては、寂しくもあるが。。。
ってロシアではクリスマスは1月7日で、12月24&25日はただの365分の2か・・・
と自分を慰めてみる。
そういえば去年は一応(いや、しっかり)女の子2人と過ごしたんだった。
とは言ってもクラスメイトとエジプト行っただけだけど。
思えばあの日は散々だった・・・orz(参考→波乱の旅立ち

約2時間、歩きまくったので結構疲れた。
帰って晩飯食って横になったら3時間もうたた寝しちまった。
さぁ宿題だ。

突然の新しい仕事?

2006-12-08 23:01:14 | モスクワ留学記
8日(金)、午前で授業が終わり、昼寝。
4時半に最寄のメトロ駅(プロスペクト・ベルナーツカヴァ)で、
最近ネットで知り合ったロシア人学生ユリア(20歳)と待ち合わせ。
2週間前の金曜日に一度、同じ場所で会い、日本語を教えて欲しいというので承諾。
こちらもロシア語を話せるし、最近は金曜日の夜だというのに、
悲しいながらも特に予定がなくなってしまったので一石二鳥かな、と。

前回は普通に喫茶店でお茶をして公園を歩いて1時間ほどで解散。
今回は日本語を教えるとなると静かな喫茶店が良いなぁ、と思っていたら、
彼女の家に連れて行ってくれた。ロシア人の家に入るのは久しぶりだ(7ヶ月ぶり!)
落ち合ったメトロ駅から5キロほど南東にあるマンションの1画で、
外見は汚いが内部はとても綺麗な造りの、いかにもなロシアのマンション。
両親と、4歳下の妹との4人暮らしらしい。

部屋はとても広くて大きく、何部屋あるか分からないがかなり良い間取りっぽい。
通された居間?にはヒューレット・パッカードの高そうなパソコン(20インチ?)、
平面ブラウン管のテレビ、キヤノンの1眼レフデジカメ(700ドル)と、
ロシアではかなり裕福な部類に入る家庭のようだった。
(こんなに細々と描写するには訳があります、いやらしいって思わないで下さい)

お茶とチョコレートをご馳走になり、持ってきた日本の写真を見せながら談笑。
で、彼女はパソコン広げてICQ(=ロシア版MSNメッセンジャーみたいなもの)
で友達と連絡を取りつつ、日本語の教科書を広げて勉強開始。
どうでもいーけど勉強を教えてと頼んだら、チャットは止めて下さい。
「レッスン8、形容詞の否定」高い→高くない、立派だ→立派でない
非常に簡単な内容で助かった。ただ彼女は独学で勉強しているようで、
未だに平仮名と片仮名の読みが完全ではなく、詰まりまくる。
とりあえず平仮名&片仮名だけは読めるようにしておいて、と注意。
しかし結構プライドが高いようで、先に先に進みたがる。いや、まず読みを・・・

で、約1時間が経ったところで何とかレッスン8の例文を全て教え終わり、
終了。彼女はさっき連絡してた友達に会いに行くので、終わりましょう、と。
1時間、結構頑張って教えてこちらも疲れてたので、丁度良いと思い席を立つと、
なんと300ルーブル(約1300円)を渡された。。。「???」
いきなりの事で、全く予期していなかったので断ると、
「とても良い先生だったから受け取って」と言う。
いや、俺って家庭教師だったのか!!?
とりあえず今回は全くそのつもりはなく、友達感覚で教えていたので断った。
「今回は受け取らない、次回にね」
それで彼女も引き下がったが、さすがにこれには俺もちょっと動揺した。
最初はネットで、お互いの言葉を教えあいましょう、みたいな感じで話して会った。
で、会ってみると彼女の日本語は俺の大したことないロシア語レベルよりさらに低く、
まだ初めたての様子だったので、普段の会話は全てロシア語。
(彼女は早口で難しい言葉も使うので、かなり理解が大変だったりするが)
それに俺は学校で習っているし、宿題も結構あるから敢えて他の人に習うつもりはない。
普通に友達として会話をしてくれれば練習にもなるし良いや、
教科書使って教えるときも会話はロシア語だし、と思っていたのだが、
彼女の方では家庭教師を頼んだノリだったようだ。
後で聞いて思い出したんだが、そういえば留学仲間のヒロリンクルも、
昔の同室に「40分300ルーブルよ」って言われたって言ってたっけ?

大体毎週金曜日に会いましょうと言われたにもかかわらず、
前週の金曜日はテニス観に行くからって断って、それでお金貰ってたらひどい。
お金を貰うとなるとそれなりにしっかりした教え方をしなければいけないし、
こちらの都合でキャンセルも出来にくくなるから(別に予定は無いんだけど)、
交通費(往復36ルーブル)だけ貰って後は断ろうか?
それともせっかくだし貰っておこうか?
なかなか悩みの種を増やしてくれた今回の出会いだった。
皆さんはどう思われますか?

過去へのささやかな旅

2006-12-05 21:10:35 | モスクワ留学記
こってり忘れていたが、3回前の「ファイナルの死闘(中編)」
記念すべき200エントリー。
どれだけ居るのか分からないが、ご愛読下さっている皆様、有難うございます。
ちなみに100エントリーはこちら→「休暇は終わりぬ!」

今回を含めた203本のエントリーの中でカテゴリ別に見ると、
<モスクワ留学記>が67本、<テニス>が94本、<音楽~>で16本、その他が計25本。
思った以上にテニスが多くなってしまった。(全体の約46%)
去年と今年のクレムリン・カップ、今年1月の全豪OPで立て続けに書いたのも原因だし、
何より先月、男女の年度最終戦の記事を意地になって書いてたからだ。(見てもいないのに)
今回のデビス・カップも6本連続だったし・・・
最近30本で<モスクワ留学記>は、今回をあわせて僅か5本。
これでは全くブログタイトルとかけ離れてしまうので、
今後は少しモスクワ生活の日記を増やせる様に頑張っていこう。

夢、見果てたり

2006-12-04 21:36:52 | テニス
デビス・カップ決勝、ロシアvsアルゼンチン、3日目
(モスクワ、オリンピックスタジアム、カーペット)

続き。

アカスーソのフォアがネットにかかった瞬間、
会場の張り詰めた空気が一気に開放された。
サフィンは両手を高々と挙げプレッシャーからの開放を喜び、
監督やチームメイトが駆け寄り勝利の英雄を胴上げ。
アカスーソは握手の後チェアで泣き崩れ、ナルバンディアンが彼を慰めていた。

全ての観客が立ち上がり、素晴らしい試合に拍手を送っていた。
感激で泣いている者はいたのだろうか?
俺以外に。
試合内容に興奮したのか、ロシアが優勝したのが嬉しかったのか、
辛い状況にあった自分を勇気付けてくれたサフィンの頑張りに感動したのか。。。
とにかく泣けて泣けてしょうがなかった。
05年全豪OPのサフィンの優勝のとき、控え室から戻って来て
自分のチェアで喜びを噛み締めるサフィンに少し涙が出たことはある。
でも今回は、込み上げてくるものがどうにも抑え切れなかった。
隣のSゲルにバレると恥ずかしいのでそっちを向けなかった。
立ち上がって、他の観客と同じように一心不乱に選手に拍手を送ることで、
何とか気持ちを抑えてその場を取り繕っていた。
でも抑え切れずに3回泣いた。


胴上げが終わった後、サフィンは長いインタビューを受け、
その間に表彰式が準備された。凄い数の報道陣が入ってきた。
ここぞとばかりに俺は自分の席を離れ、より近くで選手を見れる場所へ移動した。
選手にカップが渡された後、タルピシェフ監督とマンチーニ監督のスピーチ。
そしてカップを囲んでの記念撮影。ロシア選手は最高の笑顔で写真に収まっていた。
アルゼンチン・チームも誇らしげに、ロシア・コールの沸く中会場を後にした。
負けて天晴れ。ナルバンディアンの精神力には脱帽だし、
敵地で苦手なサーフェスにも拘らずサフィンを最後まで苦しめたアカスーソも強かった。
アルゼンチン選手達が引き上げた後、しばらくインタビューを受ける
ユーズニー、トゥルスノフ、ダビデンコの3人。
まだ続く歓喜のコールに、会場全体に感謝の手を振ってコートを後にしていった。
唯一、サフィンだけが再度のインタビューを受け観客席近くに残っていた。

最後にサインをねだる50人ほどがインタビュー後の彼に殺到し、観客席中段は修羅場。
その波を掻き分けて、何とか彼に近づくも、無常にも目の前で彼は帰って行ってしまった。
人並みから抜け出ると、Sゲルがガッツポーズしてこちらに駆け寄ってくる。
「サイン貰って、ガッチリ握手もしましたよ」
何でお前が・・・せっかくの感動も薄れる最後のコイツのパフォーマンスに、
放心しながらスタジアムを出た。


この3日間は本当に夢のようだった。
実は自分の事では辛い状況に置かれ、土曜の夜は一睡もしていなかったりした。
テニスがなかったらどうなっていたか分からない。
サフィンはいつでも俺の心を勇気で満たしてくれる。
この日の事は、前夜からその夜まで続く出来事とあわせ、きっと忘れないだろう。
2006年12月3日(日)。
27年と11か月の人生の中で最も印象的な日。