ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

ロシアの英雄 Kap.Ⅱ

2007-05-31 23:53:51 | 体操・フィギュアスケートその他スポーツ
5月31日(木)、ルージニキの小スポーツアリーナで
ネモフの体操ショー『Полёты Времени』を観てきた。
昨年5月17日に第1回のショーが行われ、今回は2度目。
前回はショー自体はイマイチだったものの、終了後の出待ちで
ネモフ、ヨブチェフ、ボンダレンコ、ホルキナ、ザモロドチコワ、パブロワ、
カバエワ、チャシナなど錚々たるメンバーと一緒に写真が撮れて最高だった。

前回は高めのチケットを買っても席はかなり遠かったので、
今回買った席は最も安い300ルーブル。それでも前回とそれほど変わらなかった気がする。
同行者は新4月生のNオコ嬢、Mリエ嬢、Sズエ嬢の3人。
彼女達は全く体操を知らないので、気に入ってくれるか心配だったが、
今回は2回目ともあり演出も洗練され、飽きることなく見ることが出来た。
特に休憩後の後半はトランポリンを2つ並べてその間を飛び交う、
漫画のようなアクロバティックな演技に魅了された。(写真参照)
体操よりこっちの方がすごかったり・・・
ネモフは前半の最後に鉄棒を一度演技しただけだったが、コバチは健在で、
さらにイワンコフ、ヨブチェフが凄く頑張ってくれて、見応えがあった。
ホルキナもサーカスの様な空中に吊るされた輪を使っての演技を披露してくれた。
後から知ったことだが、ツヴェトノイ・ブリバールのサーカスに、
ホルキナが出演していたらしい!なんてこった、見逃した!!大ショック。

終了後は彼女ら3人を半ば強引に誘っての出待ち。やはりこれは外せない。
前回は来て無かったイワンコフや観客で来ていたクリュコフと撮れたのは嬉しい。
他にパブロワや、ネモフの息子、そして勿論ネモフとも!
ネモフは写真の後、彼から手を出して握手をしてくれた。うぉぉ、感激だー!

ちなみに去年の出待ちでも一緒だったグルジア人親子とまた会った。
かーなとゆり、憶えてるかな?写真を送ってくれなかったって恨み事言われたので、
わしが代わりに渡すことになりました。
丸1年越しに同じ場所で再開。会うかもなと思っていたが本当に会えるとは。
娘のニーナは可愛くなっていた。来年は来れないから会えないのが残念だ。

過去へのささやかな旅

2007-05-30 23:41:38 | モスクワ留学記
先週のウクライナから帰着後のことについて。

23日(水)にウクライナから帰ってきて、翌24日(木)から3日連続でガイドのアルバイト。
講演の仕事でロシアに訪れた明治大学教授夫妻のモスクワ案内。
同大学元副学長で現理事、えらい偉い人を案内することになったもんだ。
日本史教授ということで、俺の持てるロシア語知識を総動員して、
教授の歴史学への興味に応えようとしたが果たしてどこまで成功したのか。。。
その関係で、現在NHKロシア語口座に出演中のヴィクトルさんと知り合った。
年下だがさん付け、だって何かパッと見で年上に見えたし。
知り合いになりたい人、紹介しますよ。

翌27日(日)は同室の2人に誘われて(というか頼んで)、
モスクワ日本人会のソフトボール大会に参加させてもらった。
1番ショート。なんと格好いいポジション!!
第1打席はショートゴロエラーで出塁。相手エラーの間に2塁進塁。
第2打席は2アウト満塁の好機でピッチャーライナー。正面・・・ツイてない。
第3打席は止めたバットにボールが当たりファーストゴロ。不覚・・・!
通算3打数無安打、打率0割、出塁1回、得点0、打点もちろん0。
なんと情けない成績だろうか。試合時間30分を過ぎたところで無念の交代。
(ちなみに試合時間1時間制で、他にも多くの人が途中交代です)
ちなみに守備ではゴロを危なげなく(?)捌き、
3度の守備機会でエラー0。守備率は10割を記録。
まぁ守備の要ショートではバッティングよりまず主になのでこれでいいのだ。
と自分を慰めてみる。。。悔しいー!絶対にリベンジをしたるわ!

その後同じ寮の8人で昼食後に大学のコートでテニス。いい汗をかいた。


そして今週末は再度ウクライナへ。Снежанаとヤルタへ行ってきます。
7年前の初めてのロシア・ウクライナ旅行で訪れたときから、
ヤルタは憧れの地だったのでかなり楽しみ。
授業をちょっと休んでしまうことになるが、
先生も理由を言ったら許して(というか半ば諦めて)くれたので、
向こうでの3日間思いっきり楽しんでこよう。
帰ったらヤルタ日記を書くのでご期待を。

それにしても最近多忙すぎて全く勉強できん。
先週から今週に掛けて暇だった日が27日の月曜日だけとは。
試験に関してはかなり諦めた方が良いな・・・

訪問者 Kap.Ⅱ

2007-05-23 23:53:53 | モスクワ留学記
前エントリーの続き

2日目、20日(日)は中心街を散歩することに。
モスクワからウクライナに着いて此の方両替をしてなくて
ルーブルしか持っていなかったので、
街中の両替所で両替。10ルーブル=1.9グリブナだった。
ていうか1日目は両替していない俺に変わってСнежанаが、
タクシー代も遊園地代もディスコ代も酒代も全て払ってくれたので、
この日は代わりに全部払うことにした。しかしこんなことも珍しい。。。

中心部の地下鉄の出口で、この日が最後となるサーカスの貼紙を見つけたので、
サーカスに行くことにした。Снежанаも子供の時に行って以来行ってないそうだ。
クリヴォイ・ログは田舎だからさぞ稀にしか興行しないのかと思いきや、
立派なサーカス施設があり、2ヶ月ごとに1ヶ月続く公演をやっているみたいで、
ただСнежанаが行って無いだけか。やっぱり旧ソ連圏はこういう文化が盛んだ。
公演は4時からなのでチケットを買った後散歩。
でもモスクワ以上にクリヴォイ・ログは暑く、散歩しててもすぐ喉が渇いた。
町に1件だけあるというマクドナルドで40円弱のソフトクリームを買って涼む。
その後公園の日陰で2時間くらい話して時間を潰し、やっと4時になった。

サーカスはモスクワのボリショイ・サーカスとはまた違う演出で、
特にアクロバット系がかなり凄かった。命綱をつけてない演目はヒヤヒヤもんだった。
あと、演者が結構ロシア功労芸術家の称号を持つ人が多く、
プログラムを買ってないので分からないがロシアからの巡業のようだった。
次回6月の公演も「ロシアのスター達」という題なので、きっと今回もそうなんだろう。
マジックが無いことだけガックリだったが、40グリブナ(約800円)の価値は大いにあった。
Снежанаも大満足の様子で良かった良かった。

その後、駅に帰りの電車のチケットを買いに行ったが、当初21日出発予定を、
1日延ばして22日まで居ろと言うので1日延ばすことにした。
授業サボりまくりだが、まぁいいか。
ていうか事前に両親に了解とらなくていいんだろうか?

1度帰りシャワーを浴びて晩飯をご馳走になった後、再び前夜にいった遊園地へ。
別の絶叫マシンに乗る予定だったが、前夜と同じ場所で前夜と同じビールを飲んで
話し込んでいたらいつのまにか12時過ぎてアトラクションが全て終わっていた。ありゃま。
ということでタクシーでマクドナルドのドライブ・スルーを買って、
家に帰ったのは夜中の3時頃だった。


3日目、21日(月)。当初この日に帰る予定だったが、延ばしたお陰で全日フリー。
家から歩いて15分ほどの近くにある川に遊びに行った。
川では月曜日だというのに若い人から壮年まで、10組以上を見かけた。
彼らは仕事や学校は無いのだろうか?という疑問はモスクワに居ても常に感じることだが、
そういえば日本でも同じ事があるから深く考えるのはよしとこう。
そこで日陰で飽きもせず3時間くらい話したり散歩したりしながら過ごした。
大して歩いてないのに暑くてやたら疲れた。

家に帰ってシャワーを浴び、晩飯をご馳走に成り、そして3日連続で遊園地へ。
今夜こそ昨日乗れなかった絶叫マシンに乗るのだ。
しかし3日間でこうも夜の過ごし方がパターン化されるとは。。。
で、絶叫マシンに結局2つ乗ったのだが、2つ目は日本にも無いくらい凄く、
怖いとかより降りた後に気持ち悪くなった。
そしてこれまた3日連続で同じ場所で同じビールを飲み始めたのだが、
夜は少し冷えたため、ちょっと早めに家に帰ることにした。といっても夜中1時だけど。
昨日と同じタクシーで、昨日と同じ様にマクドナルドのドライブスルーに寄って帰った。
タクシーの運ちゃんも覚えており(当然か)笑っていた。

4日目、22日(火)この日は帰る日。朝8時半に起きて朝飯食べつつ帰りの準備。
ご両親が「ヒロキ、何故こんなに早く帰るの?もっと居ればいいのに」
と引き止めてくれ、お父さんは写真をバシバシ撮ってくれた。
これだけ歓迎されると嬉しいものだ。これだけお世話になったのに、
こっちは大したことは何もしてないので、ちょっと恐悦至極にございます。
ちなみに、なぜか弟のアンドリューシャも俺の事をエライ気に行ってくれて、
パソコンゲームを教えてあげるだの自分の描いた絵を見てくれだの
オリンピアーダ(小学生の何かの大会)の写真を見せてやるだの何かとかまってきた。
お父さんも自分の仕事の話をしたがったり、息子のオリンピアーダに付き添いで
行ったときのビデオを見せたがったり、やたらフレンドリーな家族だ。
Снежанаが「私の時間がなくなる!」と怒っていたほど。
で、最後に記念写真を撮って、さようなら。
「必ずまた来てね」と言ってくれるのは嬉しい。
基本的にロシア(ウクライナだけど)では社交辞令ではこういうことは言わないので、
本当に来て欲しくて言っている、と思っていいだろう。
ただ8月はもう日本だからと説明しても「来い」と言って聞かないお父さん。
さすがに無理だよ。。。

クリヴォイ・ログからバスで2時間、ドニェプロペトロフスクまで行き、
帰りはそこから発のモスクワ行き列車昼1時4分発で帰国の途へ。
わざわざそこまで見送りに来てくれたСнежана、ありがとう。
この日はウクライナ全域で最高気温が31~32℃。
よりによって発車時間は昼1時。車内はかなり蒸し暑かったが、
暑さ回避のために早めに寝たら夜眠れなくなるという分かりきった悲劇。
関係ないけど同じ車両に凄い美人が2人居た、それだけだけど。。。

23日(水)朝9時20分にモスクワに着き、そこから寮に帰って風呂に入って
宿題をやってリリアの授業に出る体力は、、、なくても出ざるを得ませんでした。
で、1時間ほど遅れて出席。疲れてNHKのバイトはサボり、今に至る。

訪問者 Kap.Ⅰ

2007-05-23 23:10:10 | モスクワ留学記
5月18日(金)夜~23日(水)朝にかけてウクライナに行ってきた。
「ウクライナに行く」と言って、何故か友人達には勝手に
キエフに行っていると勘違いされていたのだが、
今回の行き先はクリヴォイ・ログ。観光地ではありません。
Снежана(スニェジャーナ)という子の家へお客に行っておりました。

18日(金)夜7時40分クールスカヤ駅発ニコラエフ行き電車3等寝台。
寮を出るのが7時になって、かなり際どい滑り込み乗車だった。
ていうか良く間に合ったもんだ。あぶねー。
この週からモスクワは、ていうかヨーロッパは死ぬほど暑くなり、
車内は30℃はあったんじゃないだろうか。汗がたらたらターラタラ。
飯も風呂も歯磨きも済ませてきていたので、お茶だけ飲んですぐに寝た。
明方、ベルゴロドでのロシア出国の際に警官に入国カードにいちゃもん付けられたが、
それ以外は順調に進んで翌19日(土)3時20分頃にクリヴォイ・ログ到着。
電車内は暑くてする事が無いので、2時近くまでとにかく寝倒した。

電車を降りてすぐСнежанаと会い、タクシーで彼女の家へ。
ご両親と弟に挨拶をし、シャワーを借り、夕飯をご馳走に成る。
本場ウクライナの家庭風ボルシチとコーカサス発祥のピラフのようなプローフ。
上手かった。24時間ほど何も食べてなかったので大量に食ってしまった。
で、出かける準備。お父さんから
「酔っ払いには取り合うな、変な奴が近づいてきても無視しろ」など注意された。
まぁモスクワでもどこでも同じですな。。。

2人で中心街にある遊園地に行って絶叫マシンの1つに乗り、
ベンチでビールを飲みながらだらだらと話し、11時過ぎ頃、ディスコチェーカへ。
以前、モスクワで人生初めてディスコチェーカに行ったっていう話をしたら、
じゃぁクリヴォイ・ログでも行こうね、ってことで約束だったのだ。
で、人生初のディスコから3週間で、これで3度目。ハマっとるわ。
1件目の家から歩いていける距離にあるというディスコチェーカに行こうとしたが、
Снежанаが「ここのディスコチェーカは女の子達がいやらしい踊りをする」と言って、
タクシーで別のディスコチェーカへ移動。いやらしい踊りも見たかったが・・・
で、モスクワでは2度とも同じディスコだったので一概には言えないが、
ここのディスコは少し雰囲気が違った。大体踊る場所の規模に比べて人が少ない。
まぁモスクワみたいな超大都会と比べるのが間違いかもしれないが、
人が少ないとモロに踊りを見られて恥ずかしいじゃぁ無いか。。。
途中にショーのようなものがあったのも変わった趣向だった。
バーやビリヤード台等もあり、かなりきれいなディスコだった。
で、ワインを飲みつつ夜中の3時過ぎまで過し、4時に家へ。
家族を起こさないようにかなり静かに寝床に着いた。
結局帰った時間はバレたみたいだけど。

長くなったので次回へつづく

電波到る

2007-05-07 23:57:00 | モスクワ留学記
最近バイトしているNHKについてちょっと書こうと思う。

同じクラスのAキコ嬢に誘われて、2月からバイトを始めた。
まさかモスクワでバイトすることになるとは思わなかったが、これが結構良い。
まず待遇。時給250ルーブルは日本円で1100円オーバー。
しかも出勤日の縛りも労働時間の縛りもなし!バイトしたい日にフラッと行って、
疲れがくるまで好きなだけ続ければよい。2時間で終わっても5時間頑張ってもOK!
仕事内容は過去に収録した映像のデータ入力。
1万本を超えるテープがあり、1人の人がノートに書いて管理しているのだが、
それを誰でも使えるようにデータベース化しようとしていて、
まずはその人の書いた資料ノートをひたすらパソコンに入力する作業。
93年頃から02年頃までの資料ノートがあって、
「あぁこの事件はもう7年も前になるのか」とかノスタルジーに浸ってみたり。
しかもロシアの地名や政治家名は全てロシア語入力なので、
ロシア語入力とロシア政治家の名前が自動的に凄い覚わる。
(つっても引退してる政治家も多々居るけど)

ロシアを目指すものなら誰もが知っているNHKモスクワ支局の
石川支局長や安間記者が目の前で働いているのも素晴らしい。
すぐ隣の一室でBS特番の収録を行っていたり。
そして4月23日は凄かった。
午後5時半頃だっただろうか。ロシア人局員の机に1本の電話が入り、
「え、エリツィンが死んだ??!!」そこから一気に局内が慌しく動いた。
大声で石川支局長に知らせに行く安間さん。
支局長はそれぞれの持ち場に一斉に支持を開始。
映像担当の人には過去のエリツィン映像を探させ、
ロシア人局員にはクレムリンの声明と、過去のエリツィン関係者の声明を取らせ
(「ブリュブリースは?出張中?チェルノムィルジンとプリマコフ、それからゴルバチョフもだ。あ!ベレゾフスキーは忘れちゃいかん!」等)
安間さんにはニュース原稿用にエリツィンの略歴と評価を書かせ、
ロシア人レポーターとカメラマンにモスクワ市民の反応を取材に行かせ、
手の空いているロシア人局員と今後の影響について話し合っていた。
(「政治的には何の影響力も無いエリツィンだけど、今後のプーチンの出方はどう思う?エリツィンの家族に対して何も手を出さないという密約をプーチンは今後も守るかな?娘のタチアーナに何らかのアクションがあるかな?」「来年の選挙を控えたこの時期ということは何か意味がありそうな気がするね」等)
と言ってるそばから安間さんの原稿を厳しくチェックし、注文をつける支局長。
さらにNHK東京本社に電話し、「いつでもモスクワからの中継を入れるから!」

結局特番は日本時間午前7時、モスクワ時間午前2時になった。
ロシア人局員も含めて残業体制が敷かれ、安間さんが中華料理屋に弁当10人分を注文し、
うーん、これこそマスコミだ。
昔、某スポーツ新聞で仕事をしていた時の、
「長嶋茂雄倒れる」の報が飛び込んだときの慌しさを思い出した。
こういう国を駆け巡るニュースに直で関われるから、マスコミは良いんだよなぁ。
少しだけ、もう一度マスコミで働きたくなったこの日の出来事だった。