ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

夢、見果てたり

2007-06-29 13:48:56 | モスクワ留学記
カテゴリ「モスクワ留学記」の記念すべき100エントリー目は、
「モスクワ留学記」最後のエントリー。
土壇場で「テニス」を抜き、何とか100に間に合った。
合計20ヶ月になるモスクワ留学の最後の週は、
それはそれは忙しいものだった。

24日(日)、イズマイロフスキー・パルクの土産物市ベルニサッシに土産を買いに行く。
スヴェータと最後に会う時間が作れなかったので、もしよければってことで、
買い物に一緒に同行してもらうことにした。
土産にマトリョーシカ8個で2,680ルーブル。
初めてちゃんとしたマトリョーシカを買った気がする。
クラシックのコンサートに行かないかと誘われたが、
翌日はテストなのでお断り申し上げました。


25日(月)テスト(ТРКИ 2-уровень)1日目 午前11時~
・文法=78% 1週間前にぶっつけで過去問をやったところ65.3%。
必要なのは75%。これは無理だと思ったが、ミッティに借りた過去問と
かなり同じ問題が出た。死ぬほどラッキー。自己採点より少し良かった。
・文章読解=80% 簡単だった。辞書を使っていいということだったが、
使用禁止でもいいくらいだった。一瞬1-уровеньかとも思ったほど。
1問、正答を残り2秒で誤答に書き換えたのが悔やまれる。
でも点数を見ると5個も間違えてるのか。どこ間違ったか気になる。
・手紙=55% ①広告を見て知り合いへの紹介②旅行会社へエクスカーションのお礼状
③エッセー形式-先生に求められる素質 ①と③が出来た自信が無い。
まぁその通りの結果になった。終わった後の手ごたえが分からないのが辛いところ。

とりあえず難関と思われた文法が、自己採点で合否ラインギリギリくらいだったので、
少し希望を持って翌日の勉強をした。当初から最も自信なかったのは会話で、
その次に自信のないのが文法だったから。だからこの日は会話の練習(1人で)。


26日(火)テスト(ТРКИ 2-уровень)2日目 午後1時半~
・聴解=56% 前日にミッティから、「聴解死ぬほど難しい」って言われて
怖気づいていたのだが、その通り怖気づいた結果。全く分からんかった。
昔、留学前に日本で受けたロシア語検定では聴解のみ死ぬほど良かったので、
聴解は何とかなるだろと思っていたら激甘だった。これは痛い・・・
・会話=84% ミッティから得た事前情報を元にかなり対策をしたので
(って言っても一夜漬けなんだけど)落ち着いて受けれたのが大きい。
こんな点が取れるとは思ってなかったので自分でもびっくりした。
かのAサミに得点で上回れたのが嬉しい。(他はボロ負けだが・・・)
あ、討論内容は「インターネットの功罪」、一緒でした。ありがとうAサミ。

テストも終わったことなので夜はミッティ、マーサ、その友達の大勢と花火大会。
モスクワ川の河原でビール飲みながら花火をした。
ほとんど花火見ずに喋ってただけだけど。ミッティ&マーサはこの日が最後の夜。
翌日は一足早くモスクワを発って行った。お元気で。


27日(水)ラスト・リリアの授業。いつも通りのトーンで最後って気がしない。
夜はJIC送別会。元同室のヒラシェンコ&Yコヤマ氏と久しぶりに会った。
リョーシャにも1ヶ月ぶり再会。ドゥラカーで負けた者が罰ゲームでウォッカ飲み。
さすがロシア人だけあって、リョーシャは強かった。(酒でなくてドゥラカーが)
結局6時まで起きていたのが不覚の元。


28日(木)ラスト・ニーナの授業。いつも通りの授業で最後って気がしない。
この授業に行く前にテスト不合格の結果を知りショック。やっぱり駄目だったか。
受けなおしを29日の午前中にすることに。って帰国日に2つもテスト受けるのかよ!
夜、部屋の片づけをしているとTかはしさんから電話が。
で、11時からAへ。ラストダンス再び!
ものすごい熱いA&D。俺の帰国を祝っているのか!?
しかし長居した結果勝ち額を大幅に減らし、結局普通の勝ちに収まった。
Tかはしさんは1度失った勝ちをもう一度取り戻す男気を最後まで見せてくれた。
もう思い残すことはない。
そしてTかはしさん、寮の前で別れるときの車内での最後の握手は、
俺にとっては忘れられない一瞬です。もう一度言わせてください、ありがとう。


29日(金)再テスト(ТРКИ 2-уровень) 午前11時~
・手紙 たぶんAサミが受けたテストと同じ問題。1回目よりはマシだと思いたい。
・聴解 1~5課題×5問の計25問だが、真ん中の2~4は1回目よりだいぶ簡単だった。
それでもあまり自信はないところが痛々しいが。
受け直しということで易しいやつを選んでくれたのだろうか。
いや、デッキかカセットかの不具合で始まりが10分くらい遅れて、
その間色んなテープを試していたから、それは考えすぎだろう。。。
結果は本日4時、もし受かったらAキコに頼んで証明書を送ってもらう。
受かってるといいなぁ。無理かなぁ。

2時にローザの点検を受け、10ヶ月慣れ親しんだ1721-2号室を後にする。
これでこの部屋ともこの寮ともモスクワ大学とも仲間ともお別れ。
今までありがとう。日本に帰ります。


モスクワの雪粒…
ひとつほども後悔はしていない………

何ひとつ……

ただ…気がかり…なのは…

女をひとり

中東に残して来た事だけだ

幸せになってほしい…
オレの祈りは…

…………それだけだ

さらば、遠き日

2007-06-25 23:24:12 | モスクワ留学記
22~23日はロシアで迎える最後の終末、いや週末。
当然ながら2日間フルで過ごすのは女の子と・・・
ではなく!マブダチと過ごすことにした。当然の選択だ。


22日(金)、丁度この日はTかはしさんの誕生日。
(何かこれまでT氏とか本名ばらして高橋さんとか書いたりしてたがTかはしさんに統一)
ささやかながらプレゼントを渡し、気合を入れていざ戦場へ。
さすが誕生日、AもTかはしさんを祝ってくれている。
先週と同じく大勝に次ぐ大勝で、この日の勝ち額は円換算で2桁万円を軽く超えていた。
俺はといえば・・・3度目にして今月初の負け。痛い・・・


23日(土)前日の夜更かしが祟ってか、起きたら4時。
Tかはしさんが6時に来るということだったので、全く勉強できなかった。。。
おそらくはこの日が2人のラストナイト。
最後だからロシア料理が食べたいという俺のリクエストに応え、
Tかはしさんが奮発してくれて、高級レストラン「シノック」に連れて行ってくれた。
(厳密にはロシア料理屋ではなくウクライナ料理屋だという突っ込みは受付けません)
ボルシチ、キエフ風カツレツの定番に加え、
(厳密には両方ともウクライナ料理だという突っ込みも受付けません)
なんとキャビア入りロシア風パンケーキ(ブリヌイの事ね)まで!
俺が20ヶ月もロシアにいながら未だにキャビアを食べたことが無いのを知って、
Tかはしさんが大盤振る舞いをしてくれたのだ。
たっぷりキャビアが詰まった小さなブリヌイが6つで、お値段なんと2,150ルーブル!
1皿1万円近くするじゃねーか!
「本当にいいんですか」と3回ぐらい聞きなおしたが、「好きなものを食え」
Tかはしさんの人間の大きさを見た。
店内には中庭のような空間に馬が飼われており、
民族衣装を着たお姉さんが餌をあげている。
本当にここはモスクワのど真ん中にあるレストランか?
カメラを忘れたことをすげー後悔した。
料理はどれも非常にうまく、特にボルシチと、カツレツの付け合せで付いている
ポテトに感動した。(安い舌なので・・・あ、もちろんキャビアも美味かった)
2人でお値段計4,500ルーブル。Tかはしさん、本当にご馳走様でした。

腹いっぱいになったところで俺たちの行く先は決まっている。
ラストダンスはもちろん2夜連続のA。Tかはしさんの車を洗車した後、
満を持してAに向かった。途中、車の中で胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。。。
この日の俺はツイていた。
前日にエンジェル&デビルズがバカ女のせいでプレイできなかったが、
その鬱憤を晴らすようにこの日はそのA&Dで2度のフィーバーイン。
前日の負けを大部分取り戻した。
Tかはしさんは・・・車の汚れともに憑き物まで落としてしまったのか、
前日の勝ち額の75%を失う大敗。
「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまった」
英雄Tかはし、壮絶に散る。これで晴れて2人ともA引退だ。

最後はTかはしさんの家でTかはしさん結婚DVDを観賞したり、
Tかはしさん新婚旅行写真を見たりしながら談笑した。
長かった2年弱の付き合いもこれで最後。
別れは寂しいが、数年後、必ずモスクワ駐在員として戻ってこようと思っています。
どこの会社かは分かりませんが。
だからTかはしさんは絶対にその時までモスクワ駐在を続けていてください。
言葉では言い表せないほどの感謝をこめて。ありがとう、Tかはしさん。

決意と野心と

2007-06-21 07:21:00 | モスクワ留学記
18日(月)夜7時、ザリーナとデート。
3回とも地下鉄駅チェーホフスカヤでの待ち合わせ。
そして3回とも「銀の滝」は満員で行列が通りに伸びている。
仕方ないので今回は旧КГБ本部裏、ミャスニーツカヤどおりにある
アメリカンなカフェ「Дяди Сема」に行った。
H君とI氏は覚えているかな?
一度3人で入ってハンバーガーを食べたことあるんだけど。

今回も頼んだのはハンバーガー、ザリーナは魚料理。
サラダやスープを頼まなくて良かった。結構な量だった。
前回は俺が日本の風景やら友達を撮った写真を見せたが、
今回は彼女がカフカースに行ったときの写真を持ってきて見せてくれた。
あと、前に話していた「школа ниндзя」という忍者の本を持ってきてくれた。
忍者の修行や技などがえらい詳しく書いてあった。
日本にもここまで詳しく解説してある忍者本はねぇー。

3回目にして初めてアルコールが入った。ちと高くついた。
カクテルを2杯ずつ。ザリーナはアルコールに弱いらしく、
しかも頼んだカクテルが2杯とも結構強かったので、2杯でかなり酔っていた。
改めて、29日で日本に帰ることを話し、改めて彼女を落ち込ませた。
11時過ぎ頃まで店でまったり話し込み、その後恒例の散歩。
酔ってるのを口実にして初めて手を繋いだ。なんとプラトニック。
スーハレフスカヤ駅まで歩き、そこから彼女を乗換駅メンデレーエフスカヤまで送り、
別れたのは1時過ぎ。ボーっとしてたらパールク・クリトゥールィを乗り越して焦った。

デートに向かう前に、何日かぶりにСнежанаにメールを打った。
久しぶりだがすぐに返信が来たのは嬉しかった。
お陰でダークサイドに落ちずにすんだ。

動乱への誘い

2007-06-16 20:14:17 | モスクワ留学記
ロシアは12日(火)が「ロシアの日」という休日だったので、
11日(月)の授業を9日(土)に振り替えて、日・月・火が3連休だった。
9日(土)の授業のあとラムストルに寄ってロスティクスで昼飯を食ったが、
そのときに食べたハンバーガーが生焼け気味で赤かった。
ラムストルで買い物をしてメトロに乗ったあたりからものすごく体調が悪くなってきて、
メトロを降りて寮に向かう道を歩いているときはマジで倒れそうだった。
ラムストルで大量の買い物をするんじゃなかった。。。
寮について体温を測ってみると、38.9℃・・・そら倒れそうなはずだわ。
とにかく寝た。
この日の夜にミッティ&マーサとカレーパーティをやる予定だったが、
残念ながらキャンセル。色々と聞きたい話し合ったんだけどなぁ。
何よりも不安なのは、生焼け肉食ったことで鳥インフルエンザにかかったんじゃないか、
と頭によぎったこと。ロシア南部で流行ってたし。
でもネットで鳥インフルエンザについてを調べる余裕もなかった。
結局今でも調べてないが、結局アレって人に感染するのかな?
寝て寝て寝まくったら次の日の朝起きたときには熱が37℃台まで下がっていたが、
代わりにものすごい腹痛に半日悩まされることになった。
下痢の腹痛ではなく、かつて経験した腸閉塞のような痛みだったので、
飯を食ったら余計に危険だ、と何も食わず何も飲まず夜まで過ごした。
病院に行きたかったが、SOSクリニックまで地下鉄使って1時間以上かかる。
そこまで辿り着く自信はないし、タクシーは高いし・・・行かなかった。
夕方ごろ、意を決して少し飯を食った。大丈夫そうだったのでもう少し。
しばらくして恐ろしい腹痛は治った。ただ腹が減ってただけだったのか!?
20時間以上何も飲み食いしていなかったから、それが駄目だったのかも。
この日の夜、Kみこちゃんとシチューを作って食ったら見事に全快した。
果して原因はクリミア旅行の疲れだったのか、はたまた鳥インフルエンザか?
とりあえず治ってよかった。めでたし。

11日(月)は体がまだ本調子じゃなかったので外に出ずにボーっとしていた。


12日(火)、ようやく外出。結局3連休は何もまともに出来ずに終わってしまった。。。
この日は4月末に初めて会ったザリーナとのデートの約束があったので、
体調がまだ本調子じゃなく、イマイチ気が乗らなかったが、7時にプーシキンスカヤへ。
「銀の滝」は例のごとく満員御礼だったので、大ドミートロフカ通り沿いの日本食屋へ。
日本食屋というよりは普通のレストランが寿司も作ってる、というような店なんだが、
2月にアーニャと行った時に、意外に寿司が美味かったので覚えておいた。
少なくとも隣のアジアカフェよりはこっちのほうが美味いはず。行った事ないけど。
ザリーナは箸を使ったことがないらしく、持ち方を頑張って教えた。
寿司は巻き物を3種類ほど頼んでにぎりを注文するのを忘れる失態だったが、
すごい気に入ってくれた。特にうなぎの巻き寿司。味噌汁も気に入ってたみたい。
箸はかなり苦戦してた様だけど。。。

その後、恋愛の話に移り、互いの好みのタイプなどを話していたが、
どうも様子が・・・変だ!
「私はロシア人とはもうあまり付き合いたくない」とか、
「ネットで知り合って会うのはあなたで6人目だけど、これ以上別な人と会うことはない」
とか言っている。(↑注・ちなみにネット通じて知り合いました)
意を決して聞いてみた。
「俺は君の事を気に入っているけど、君も気に入ってくれているのかな?
今ここで交際を申し込んだらOKしてくれる?」
「もちろんOKよ」ドカーン!
禁断の領域に踏み込んでしまった。俺にはСнежанаが居るというのに。
しかも6月で日本に帰らなければならない。時間が全くない。
このことを伝えたら、ものすごく動揺してしまい、10分ぐらい会話が停まった。
あなた本気ですか。。。
嬉しいけど悩ましい。時間もないし、なにより・・・
とにかくこの事についてはそれ以上深追いせず(させず)、店を出た。
店を出てから他愛もない事を話しながら2時間くらい歩いていたら、
いつの間にかツベトノイ・ブリバールに着いていた。どんだけ歩いてんだ。
1時10分前、終電ギリギリチョップ。
必ず帰る前にまた会おうね、と言って別れた。
散歩の間、結局手も握らなかった。
このままプラトニックにさようならしようか。どうしようか。

終わりなき別れ歌

2007-06-11 23:44:02 | モスクワ留学記
7日(木)朝5時40分頃、キエフ着。
結局3時間ほどしか眠れなかったので死ぬほど眠い。
駅前のマクドナルドに行って朝飯。1時間ほどつぶす。
マクドナルドで朝からコニャックを飲むВиктор。。。
その後益の西側にある教会前の広場に行って、
トランプをしたりしゃべったりしながら更に2時間をつぶす。
СнежанаとИринаにトランプ手品を見せたらえらいウケた。ラッキー。

9時20分頃、ようやく待っていた女性(名前は忘れた)が到着。
本当は女の子と呼びたいが、えらい貫禄があって女の子では似合わないので女性と呼ぶ。
この女性とСнежанаとИринаの3人は、これから仕事でヨルダンに発つのだ。
なぜにヨルダン!?と言い争いになりそうだったが、
まぁ彼女が決断したことなので我慢することにした。3ヶ月の予定ということらしい。
まぁウクライナに居ようがヨルダンに行こうが、どうせ俺は6月末に日本に帰るので、
結局これ以上会えないことには変わりないんだけどね。

で、その女性が合流したところで再び朝飯。マクドナルドの向かいにあるピザ屋へ。
俺とСнежанаはサラダとビールだけだったが、ИринаとРомаはピザを食べていた。
某女性は1人でピザとサラダとビール。そりゃ太るわ・・・
まぁそれはいい。そこまではいい。
Викторが注文したものはシェイク3杯。1人で3つも飲むのかよ!
前の晩コニャックしこたま飲んで、徹夜で朝からコニャック飲んで、
その後シェイク3杯とは、さすがにわしも真似できんわ。恐るべしウクライナ人。

その後さらにバスの時間の1時半まで、駅の待合室で2時間ほど時間をつぶす。
ИринаとРомаが2人で寄り添って寝て、俺がСнежанаの横で寝ている間、
ВикторはずーっとСнежанаと話していた。というかВикторがずっと話していた。
お前、徹夜じゃなかったのか??タフな奴。。。さすが21歳だ。

電車内で知ったことだが、実はВикторはСнежанаの事が好き(だった)らしい。
今でもかどうかは知らない。学校が同じで、ВикторはСнежанаの2年後輩。
当時から気になっていたが先輩に話しかけるのが恥ずかしくて見ているだけだったそうな。
Снежанаは当時はそのことを全く知らなかったらしいが。
で、半年ちょっと前にИринаとその彼氏Ромаを通じてお互いに知り合った後、
Викторから何度も誘いがあったそうだが、Снежанаは年下には興味なく。。。今に至る。
ということで彼の目の前でいちゃつくのはあまりよしたほうが良い、
とСнежанаから言われたのだが、何か無性に気持ちよかった。
おぉ、このウクライナ人に勝ったのか!って感じで。性格悪いかな?
いや自己満足です、スルーしてください。

1時半、時間になった。いよいよお別れのとき。
РомаもВикторも空港まで3人の見送りについていくが、
俺は電車の時間の関係で行けないのだ。
ということで空港行きのマルシュルートカに乗る5人を見送った。
意外にあっさりした別れだった。
お互いもう少し悲しむと思ったが、まぁ実際はこんなもんだろう。
次はいつ会えるだろうか。彼女が日本に来てくれることを願って止まない。


身が軽くなったところで、5時初の電車まで2時間半ほど時間があるので、
キエフの街中を見ることにした。キエフも実に7年ぶり。
地下鉄テアトラーリナまで出た後、フレシチャーティク通り~ネザレージュノスティ広場
~聖ミハイル修道院~ソフィア大聖堂~黄金の門~ウラジーミル通り~キエフ大学
~ウラジーミル聖堂~駅、と歩いて回った。
特にネザレージュノスティ広場は見ておきたかった。
3年前、まだ日本に居たとき、ウクライナ大統領選の際のオレンジ革命で、
オレンジの旗が広場にはためいていたニュースを見て、
おぉ!ここはかつて訪れたネザレージュノスティ広場だ!と感動した覚えがあるからだ。
でも行ってみたら大した事なかったってのはよくある話だ。
それよりもフレシチャーティク通りやウラジーミル通りの洗練された美しさにびっくりした。
ロシアとは明らかに違って、緑が多く、乱雑でなく、都会的でしかものどかな、
ヨーロッパ的な雰囲気のとっても気持ちの良い通りになっていた。
(※注↑決してこれはロシアを駄目といっているのではなく、
ヨーロッパ的になりきれない田舎くさいロシアが俺は好きなんだー!)
金もなく時間もないし学生証も荷物預けに忘れたので、
ソフィア聖堂は結局外から眺めただけ。7年前に行ったしまぁいいや。
それよりも時間があったら是非ペチェールスカ大修道院に行きたかった。
きっとキエフにはまた来る機会があるだろうことを祈って次回にとっておこう。

街中を散策中、Снежанаからさよならメールが来たが、
携帯のお金が切れて返せないのがなんとも痛々しい。
ウクライナではМегафонのカードは売っていないのだ・・・不覚。

電車の時間まで少し時間があったので駅前の市場をちょこっと見た後、
昼飯を食っていなかったので、電車に乗る前のマクドナルドを食べ、
さらに持ち帰りでマックラバシュを1つ電車に持ち込む。

5時3分初モスクワ行き。これでウクライナともおさらば。
電車内泊含め計7泊8日、一瞬で過ぎ去った最後の旅だった。
さようならСнежана、元気で。また会えることを祈ってる。

愛に斃れ

2007-06-10 19:20:54 | モスクワ留学記
5日(火)アルシタでの3日目最終日。
少し早く起きて午前中にビーチに行こうと言っていたのに、
俺が起きたのは(起こしてもらったのは)またもや10時過ぎ。
前夜にСнежанаが寝てる横で1人でTVでローラン・ギャロスを
遅くまで観ていたせいだろう。寒くてなかなか寝付けなかったし。
最後の飯は残り物の野菜を使ってのサラダと前夜の残りのジャガイモ炒め。
毎度毎度わしが寝てる間に用意をしてくれてありがとう。

当初の予定では午前中にビーチに行き、1時過ぎに帰ってきて荷物をまとめ、
3時頃に部屋の管理人にこの日でおいとまする旨を言い、お金を返してもらい、
4時半発クリヴォイ・ログ行きのバスに乗る、という予定だった。
転機も3日目にして初の快晴だった。ただし予定は未定、俺の場合は特に。
朝飯の後2人でうだうだしてたらいつの間にか11時を過ぎてしまい、
これからビーチに出ても往復50分以上はかかるので日光浴の時間が全くない。
ということで結局3時過ぎまで2人でまどろみながらうだうだ過ごした。

その後部屋の管理人に電話をかけ、急遽帰らなければいけない事になった旨を告げ、
270グリブナを返してもらい、3時半過ぎ、宿泊部屋を後にした。
管理人は内心はどうか知らないが快く早期の退出を許してくれ、
お金もほぼきっちり3日分返還してくれた。
部屋も食器以外は悪いところなく気に入ったので、
また来た時はここに泊まりたいねとСнежанаと話した。
果たして彼女と再びクリミアに来る機会は来るのか・・・?気になるところだ。

帰りのバスは予定の4時半を15分ほど遅れて到着。
しっかり飲み物を仕入れ道中8時間の予定に備える。
移動の際は常に寝ることを信条としている俺だが(そんな偉そうに言うことでもないが)
しっかり睡眠をとったせいか、全く寝付けないので、
ずっと窓の外を眺めるかСнежанаと話すかしていた。
昔の友人でアホなエピソードの多さにかけては右に出るもののいない、
通称「ア堀」の事を話して聞かせたらウケていた。
ウクライナ人からも笑いを取れるとは、「ア堀」恐るべし・・・
中間の4時間ほどの場所で1時休憩。行きの際にも停まった同じ休憩場所。
ここで自家製クリミアワインをお土産に買い、シャウルマで夕食。
後半4時間はほぼ寝ていた気がする。お腹が一杯になったせいかな。

夜12時頃、クリヴォイ・ログのСнежанаの家に到着。
7年前の初ヤルタ旅行以来の夢だったクリミア旅行が終わってしまった。
お母さんのボルシチを食べて、シャワーを浴びて就寝。疲れた。


6日(水)、11時頃起きて朝飯兼昼飯をご馳走になる。
その後、何をやってたか分からないほどだらだらとノンビリ過ごした。
出発の準備をしたり弟のАндлюшаとゲームで遊んだりお父さんと話したり。。。
で、晩飯を食ってシャワーを浴びて、8時過ぎにタクシーで駅へ。
夜9時発のキエフ行きの電車に乗った。
同行はСнежанаの友人Ирниаとその彼氏Рома、彼氏の友人Виктор。
計5人でプラッツカールトヌィの一角を占領し宴会が始まった。
Викторが持ち込んだコニャックをРомаと俺との3人で2本あけ、
СнежанаとИринаはビールとワイン。
12時頃にさすがに気持ち悪くなって俺が寝た後もまだ他の4人は起きていたらしく、
結局俺とСнежана以外の3人は徹夜だったようだ。タフだなぁ・・・


7日(木)以降は次回に続く

愛に生き・・・

2007-06-08 23:01:03 | モスクワ留学記
6月1日(金)、19時40分クールスカヤ駅発。
この2年弱の留学の中で4度目、そして最後の海外旅行。
行き先はクリミア半島、同行者はСнежана。
翌2日(土)午後3時、クリヴォイ・ログ着。
彼女の家で風呂、晩飯を済ませ、8時発のバスでクリミアへ向かった。

20人乗りの小さいバスの車内は窮屈で、道路は悪く車体がガタガタ跳ねる。
8時間の道中、寝るのにすごい困った。しかも結構な音量で映画を流すし。。。
シンフェローポリで大部分が降り、最後の2時間強はやっと楽な体勢で眠れた。
ちなみに前回の日記とかで「ヤルタ」にいくと書いてしまったのだが、
これは俺の勘違いでした。彼女の提案した行き先はアルシタ。
ヤルタから海岸沿いに北西40㌔と少しほどに位置する町で、
世界的に有名なヤルタに対して、こちらは外国人にはかなり馴染みが薄そうな保養地。
これまでまったく名前を聞いたことがなかったし。
街中にも観光用の立派なホテルはかなり少ない感じだった。
ビーチに隣接する公園の一角に立派な建物を建設中だったけど。


3日(日)朝6時頃、アルシタに到着。
バスを降りた目の前で「部屋貸します」のおばさんに遭遇。
2件物件を見て、海岸から徒歩20分だが家具が新しく綺麗な部屋を借りることにした。
1番18ドル、6日間で計108ドル=588グリブナを払った。
滞在予定は2泊3日の予定なのだが、それだと期間が短すぎて
部屋を紹介してもらえないというСнежанаの機転(悪知恵?)で、
とりあえず1週間の滞在ということにし、3日目に急用が出来たとかで
払い戻しをお願いしよう、という事だった。いやいや、逞しいものだ。

シャワーを浴びた後、彼女のお母さんが作ってくれた朝ごはん用の弁当を食べ、
昼まで2人で少し寝た。さすがに10時間も車内にいたら疲れるわ。

1時過ぎ、支度をしてビーチへ出かける。宿泊場所から案外遠くて、
徒歩20分のはずが30分以上は楽にある距離だった。客引きおばさんの嘘つき!
結局3回ぐらい道を聞きながら、ビーチにたどり着いたのは2時近かった。
午前中は雨が降っていたので、気温は少し肌寒い。
いきなり泳ぐのは踏ん切りがつかず、日光浴で体を暖めた後、思い切って海へ。
いやいや、泳ぐのは1年半前のエジプト以来だ。
エジプトの時よりはさすがに暖かいので、気持ち良く泳ぐことが出来た。
ただ、ちょっと遠くのブイまで往復してみたら、死ぬほど息が切れて歳を痛感。
最近なんだか年齢を感じることが多いなぁ・・・とショックだった。

太陽が弱くなった夕方6時頃、ビーチを後にする。
市場で野菜などを買って宿泊場所へ帰る。そう、飯はすべて自分たちで作るのだ!
せっかくの旅行だし、どこかでディナーでも洒落てみたいもんだが、
貧乏旅行だし彼女の料理が食えるので、これで良しとしとこう。

宿泊部屋の台所は使い勝手は悪くないものの、食器や鍋はすごい汚かった。
自分1人だったらまず使おうと思わなかっただろうというくらい。
その辺ウクライナ人(ロシア人も)は変わっていて、
例えばそれなりにキレイな浴槽に湯を張るのは、赤の他人が使ったからと嫌がるのに、
食器は汚くても全然平気で、更に洗剤が無いので入浴剤で洗おうとしよった。
それはさすがに体に危険があるので、俺が走って市場で洗剤を買ってきた。
スポンジも汚いので新品を一緒に買ってしまいたかったが、
見当たらなかったのとスポンジの単語が分からなかったのでそこは諦めて妥協で。
しかし改めて感覚の違いというものが分かった瞬間で面白かった。
アルシタ1日目の晩飯はジャガイモ炒めとトマトときゅうりのサラダ。
その後2人でビールを飲みながらテレビを見ていたら、
Снежанаはいつの間にか寝てしまってた。バスで寝てなかったしさすがに疲れたかな?
俺も風呂&歯磨きをして寝た。夜中に1回起こされたけど。


4日(月)、アルシタ2日目、朝10時頃に起こされると朝飯が用意されていた。
(↑ちょっと新婚ぽい感じでいーねコレ、と一発ノロけを入れてみる俺)
朝飯のメニューは昨日の残りの野菜を使ったサラダに鶏肉のソテー。
やたらうまく焼きあがっている鶏肉に、調理品を買ってきたと思ったんだが、
冷蔵庫にあった肉の塊を見てびっくりした。
Снежанаが朝早く起きて市場に買いに行ってきたらしい。俺が惰眠を貪っている間に!
嬉しかったのと申し訳なかったのとで、食器は俺が洗った。当然か。
2日目はこれまた午前中に雨。俺は晴れ男のはずなんだが・・・ツイてない。
ちなみに彼女は雨女らしい。負けた。。。
2人で昼過ぎまでうだうだ昼寝したりしながら時間をつぶし、
ようやく雨が上がってビーチにいけたのが1時半。前日と変わりないし。
しかも前日よりも空が雲がちで、太陽の出ている時間が少なかった。
結局この日も思う存分日光浴できたとは言い難いが、
一気に日焼けしたら肌に悪いのでまぁいいかと自分を慰めてみる。
ビーチでビールと一緒に売られていた鮭の干物を飼った。
こっちでは、日本とはちょっと違うビーチの売り子たちの光景が面白かった。

この日も同じく6時頃にビーチを後にし、帰って一緒に晩飯の仕度。
メニューは朝飯と同じ。サラダに使う野菜と鶏肉の味付けは少し変えたけど。
で、晩飯を食ってビールを飲みながらテレビっていうパターンは前日と同じ。
ただ前日とちょっと違ってたことが2つ。
1つは晩飯後に高橋さんから俺に陣中見舞いの電話がかかってきたこと。
もう1つはその電話の後で初めて2人の間に言い争いがあったこと。
言葉の違いから来る勘違いというかスレ違いというか。
で、一つ一つすごく丁寧に説明してようやくお互い理解し納得しあえた。
互いの意思疎通が日本語だけで通じる事は簡単だし、
しかもそっちの方が絶対に良いのかもしれないけど、
こんな場合に俺は妙な意地を張って、相手に言い負けたくないために
話をこじらせてしまう場合が多々あるので、今回はロシア語で良かった。
いや~、頑張った。この会話がテストだったら80点は採れてただろう、フフフ。


5日(火)以降は次回に続く

敢えて航空券を手に

2007-06-01 22:31:46 | モスクワ留学記
6月になった。モスクワで過ごす最後の1ヶ月。
いよいよ長かった留学生活も終わりを告げようとしている。

今日、学校の1階にあるスタートラベルという旅行会社で航空券を買った。
6月29日(金)モスクワ発30日(土)成田着のアエロフロート。
学割チケットを買うために作ったISICの国際学生証とあわせて、
航空券代計14,550ルーブル。意外に安く済んでよかった。
この券はギリギリまで買いたくなかった。
買い損ねてもう1ヶ月くらい残ろうかな、とか思ってみたりしたが、
そんな事出来る訳がないので普通に買った。

5月アタマに、ごく最近知り合いになったみってぃ&マーサが、
6月末の航空券は残り少ないって言ってたので、
もしかしたら帰国は6月半ばになってしまうんでは、と心配したが、
29日という最も理想的な日付が取れたので良かった。

そういえば去年も帰国は29日だったな。去年はレーチカと一緒に大韓航空だった。
あの時の帰国は、また2ヵ月後にロシアに来ることが分かっていたので、
同期達との別れを惜しむ気持ちはあれどモスクワに対して思うことは無かった。
今回は、何よりもあと一ヶ月でモスクワを離れねばならないことが悲しい。
良い街だった。まぁ感慨にふけるのはあと1ヶ月思いっきり楽しんだ後で、
まとめてここに書こうと思うので後回しで。


とか何とかモスクワへの思いをつづりながら、2時間後にヤルタに向けて旅立つ俺。
徹底的に楽しんできます。更新はまた1週間後に。